7/13からまた八木に居るが、ここは実にぼんやりしているのに向いている場所である。だからと言って名古屋に居れば活発に動くのかと言えば必ずしもそんなことはないが(苦笑/※1)、そろそろ次の行動を始めたいため今の私を覆いつくしている無気力について考えてみたい。
※1 それに対して名古屋は「昼夜逆転の生活がしやすい場所」である。ただ昼夜逆転だとやれることに限りがあることは言うまでもない。とはいっても昨今の夏は、特に昼間については猛暑という災害かゲリラ豪雨という災害かあるいは台風という災害かのどれかが常時発生している状態であるため、特に酷暑なコンクリートジャングルの大都会では昼間起きていたからと言って活発に動き回れるような状態ではなくなっているわけであるが
最初から結論を述べれば、これは平成という時代の後遺症だろう。何度も書いたように、あの時代は日本の絶頂期であると同時に最悪の迷走期でもある時代だった。そして80年代からの文化リベラルの蔓延、そして私はその成れの果てだと思っているのであるが90年代からの右派ポピュリズムの蔓延(※2)もあり、さらには”失われたx年からの脱却”が国是となる一方で実際には日本史上最も豊かな時代だったわけであり、経済危機・財政危機が喧伝されながらもGDP世界第二位の経済大国であるくらいには豊かな時代だったことも相まって、平成という時代は結局「無限の現状肯定」が正義とされた時代だったと結論づけて良いだろう。私の無気力はその後遺症である。常識に反することは常識に反するというだけで無条件に切り捨てられ、何をどう主張しても無意味だとしか思えず、そして常識を追認することはあまりにも当たり前であるが故に私がわざわざ発言することもないわけである。
※2 これを一般には「右傾化」と呼ぶわけだが、私は右傾化という言葉そのものは肯定的ニュアンスで使いたいため、いわゆるネトウヨの蔓延などは「右派ポピュリズムの蔓延」と呼ばせて頂く。その方がより解像度が高いだろう
とはいえその時代は終わった。今の時代は行動により望む未来をつかみ取る時代である。事実の時代・真の知性の時代の幕開けとなるポテンシャルを有する一方で、著しい事実誤認と絶望感の蔓延から人類が破滅の谷底へといざなわれようとしている時代でもあり、しかも破滅の道の急先鋒にはかつて知識人と呼ばれた、今でも一定の社会的信任を得ているはずの人々が立っているという時代でもある。先の都知事選において神宮外苑再開発反対を掲げ80年代型の反開発型文化リベラル色を前面に出す選挙運動を展開した蓮舫氏が敗北し、一方で炎上芸が目立ちつつも倉本圭造氏の分析によればマクロ的視野に立ちつつ地道な改革を行う能力に秀でているという石丸伸二氏が伸びたのは象徴的事例であると言えるだろう。私自身立憲民主党の支持者であり、恐らく東京都民であれば蓮舫氏に入れただろうが、とはいえ文化リベラルを支持しているわけでもなく神宮外苑再開発反対は「無理筋」と認識していた(※3)私としてもこの変化は全く歓迎すべきものである。
↑都知事選に関する倉本圭造氏の記事。付け加えることは何もないだろう。
※3 これは言い訳でしかないが、正直蓮舫氏があそこまで神宮外苑にこだわるとは予想外だった。蓮舫氏は有名な「2位じゃダメなんですか」(→文科省は世界一のスーパーコンピューターを作ろうとしているけれど、変にスペックを追い求めるより別に世界第2位でも良いから実用に耐えるスーパーコンピューターを作るべきなのではないか)の発言に代表されるように、行革派や文化リベラルを表向き味方に付けつつも実務面では実際的な目標を追い求めることのできる政治家だと評価していたからである。神宮外苑も見直しのポーズだけ見せて都知事の座を勝ち取った後は粛々と再開発にゴーサインを出すものと思っていた。
↑「2位じゃダメなんですか?」は真逆の意味で理解されているが、あれが本当はいかなる発言であったのかはこの記事にある通りである。
思えば私は西暦2017年の段階では「排除」に反発して立憲民主党支持に移行したわけであるが、しかしそうして出来た立憲民主党(と名のつく政党)ももう7年目になるわけである。今の立憲民主党は旧国民民主党の幹部を務めた泉健太氏が代表となり、入管難民法や共同親権では単に反対するのではなく付帯決議を盛り込んで賛成に回るなど、結果として「対決より解決」の国民民主党の路線へと移行しつつあると言えるだろう。私自身長らく立憲民主党を支持してきたとは言えあくまでも消極的支持であったが、泉代表になってからの立憲民主党は積極的に支持できる政党になってきたと認識しており、それはやはり私の本来の思想性・党派性的にはむしろ希望の党→旧国民民主党に近いものがあったということだろう。旧立憲民主党において中核を担った左派・文化リベラル系政治家については、党が排除するのではなく民意によって政治の表舞台から去っていくのであれば、それは民主主義国家において実に健全なことである。つまり希望の党騒動で一時は終わったとも見なされたいわゆる「保守二大政党制」は立憲民主党においてむしろ実現しつつあるのであり、そしてそれは左派を切り捨てるのではなく、むしろ左右の分界点を移動させることによりある意味においては「左派を右に広げる」ことによって実現されつつあると言えるだろう。これは肯定すべき変化である。そして来るべき今後の政治の変化としては以前の記事で私が書いたように、そして倉本圭造氏も予測しているように生活保守的・中道的な「リベラル」とかつての左翼・右翼が融合した過激な言動も辞さない「極」との対立になっていくものと思われる。そしてリベラルが安定多数を獲得すれば、様々な社会問題はより実際的に解決されていくことになるだろう。まさに事実の時代・真の知性の時代の幕開けである。
ただ懸念すべき点としては2つある。1つは旧来の左翼政党が今後ますます弱体化することにより、彼らのみが包摂してきた「真に問題を抱えた地域」が今後とも包摂されるのかどうかという問題である。そしてもう一つは啓蒙の名の下にバカな大衆をこき下ろすことをアイデンティティとしてきた作家、批評家、そして専門外の分野にも躊躇なく発言する学者と言った”知識人”達はこぞって「極」に移行してリベラルと対峙することになるであろうことで、そこにがり勉だけが取り柄というような高学歴でかつ権威主義的な若者達が強力な支持者となることにより一定以上の存在感を出すことになっていくだろうことが予測できることだ。彼らは今後とも”啓蒙活動”を続けていくだろうが、しかしその言説に耳を傾ける人はますます減っていくものと思われる。その結果彼らはフラストレーションを貯め、最終的に「バカな大衆へのジハード」とでも称してテロリズムに走ることさえ考えられるのではないか、と思えてならないのだ。
その萌芽は既に環境左派に見られる。ヨーロッパ方面を中心に昨今見受けられる、芸術作品にスープを掛けるような環境活動家達のことだ。彼らのやっていることは全くの犯罪行為であることは言うまでもなく、それを「環境問題の問題提起」の名の下に肯定している様は、まさに「啓蒙のためのテロリズム」である。彼らはまだ殺人にまでは到達していないが、今後エスカレーションすれば自爆テロのような方向へ走ってもおかしくはないだろう。日本でも東京大学大学院准教授の地位にある斎藤幸平が東洋経済オンラインにあのようなテロリズムを肯定する文章を書いており、これを理解できるようになることこそが「学び」だとさえ主張しているのだ。まさに「啓蒙のためのテロリズム」である。
↑環境左派は問題の本質的解決をむしろ遠ざけているように思われてならない。私も海外の事例を以て日本を批判することはよくあるが、しかしこの問題に関して言えば日本人が彼らの行動を理解しないのはむしろ日本人の良識を示しているのではないかと思う。なお私が斎藤幸平に対しては敬称略とするレベルで敵視しているのは、その主著「人新世の資本論」が事実性という意味において大変疑義のある内容であり、かつ80年代型の文化リベラル的な世界観を助長する内容だったからである。つまり彼は前時代的な”知識人”の世界観を拡大再生産することで支持を集めているのであり、またそのために世の中を間違った方向へと向かわせる可能性が大変高いのである。
斎藤幸平のような人々は、こたつねこ氏こと木下ちがや氏の記事によれば専門的には「ウォーク左派」と呼ぶようである。そして彼らへの意義申し立てが木下ちがや氏やスラヴォイ・ジジェック氏のような専門家からも行われているのは大変心強い限りである。とはいえ過激派は追い詰められればこそより過激になっていく存在である。平穏な生活を望む一般市民としては、ウォーク左派については平和的な言論での批判を試みつつ、実力行使については決して認めない姿勢を示していくしかないだろう。とはいえ先日私がTwitterでRTしたように、暴力の全否定はそれはそれでまた別の問題を発生させるのであるのが。
それにしても木下ちがや氏は以前よりTwitterでフォローしていたし、また倉本圭造氏についてもツイートを拝見したことくらいはあったはずだが、これら両氏がこれほどまでに私の見解や問題意識と重なっていたとは驚かざるを得ない。それは私自身が「現実からの解放」の目標の下に変化し、両氏のような最前線の研究者や本物の「知識人」の認識に、私自身が今ようやく追いついたということだろう。これは人生再興以来の私の変化が全く正しいものであったことの表れであるように思う。誇りに思いたい。また7月に入ってからの私は全国乗合交通巡りこそなかなか進んでいないが、一方で長らく休止中だった艦これ小説の執筆を再開し、これで休止中だった趣味活動が5年の時を経てすべて再開されたことになる。また非公開ブログでは4月以降私と空想委員会の基盤的思想と位置付けられながらもその中身が存在しない状態であった「空想主義思想」について、
「自由主義(リベラリズム)と自己批判の視点、及びそれに基づく全人類の対等性をその根底に置きつつ、物理的な事実と思想的事実及び物理的事実に基づく普遍的正義により社会を形成することを目指す思想」
ということでまとめることに成功したところである。そもそも空想委員会の創設目的の一つには私自身の中にある多様な対立を可視化して整理し両者を否定することなく共存させる機能を有することが期待されていたという面もあった(→これを「対立の内包」と呼ぶ)のであるが、その根幹となる思想が不明瞭であったために長らく空想委員会は「対立の内包」ができない状態であった。それがここに空想主義思想が言語化されたことによって空想委員会の組織としての統一的立脚点が明確となり、これによりようやく統一的立脚点を確保した上での平和的な対立、すなわち「対立の内包」が可能となったわけである。私の活動の基盤は盤石に整いつつある。あとは進むだけなのである。
……と長々と書いてきたが、これを書いているうちに思ったのだけれど、私の今の無気力は平成の後遺症というよりも、単に「お金がないから」な気がしてきた(笑)要は人生のフェーズが変わってしまったが故に、クレジットカード会社にも申告している低収入ではもはや様々なものが賄えなくなってきたというわけである。これは早急に何とかすべき課題である。今の私は忙しいわけではないから、なんとかやりようはあるだろう。