今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

JRの難しさ(0)

 相変わらず名古屋に居るのだが、台風10号の影響と9月の予定の兼ね合いもありなかなか八木に戻る時期を確定できない。腹痛は既に名古屋でのかかりつけ医に行っておそらく特に何もないだろうという診断をもらい薬を飲んで落ち着けているところであるが、この予定の未確定ぶりと様々な問題がさっぱり解決に向けて進んでいかないことから正直かなりストレスが溜まっている(※1)。

 

※1 だからこそ腹痛が続いているのだろう

 

 ただその中で、この公開ブログの更新についてはどうにかこうにか前進できていると評価しているところだ。これも正直7月中の記事は高熱に浮かされて書いたような内容になってしまいあまり良くなかったと思っているところだが、8月に入ってからの記事は大変満足しており、これでようやくこの5年ほど検討を重ねていた「何を敵とし何を味方とするかの問題」、「何を正義とし何を悪とするかの問題」が一段落し、またこれでようやく私もより本格的に実社会にコミットできるかと思う。

 

 ところで昇り龍さんによれば私はSNSとうまく付き合えているのだそうで、それは大変ありがたい話なのであるが、とはいうものの私のTwitterアカウントについては7月以降はどうも散発的に連続しない話を出したり出さなかったりする場になってしまっており、これはこれで少しどうなんだろうかとは思うところである。とはいえ閲覧主体の運用はもとより目指した方向性であり、そしてそれは当然SNSの外へ、つまり実社会における「読書と対話」へと広がっていかなければならないところであり、そうなるとログイン時間は今後もどんどん少なくなっていくことは当然である。その中で下手な誤解を生むこともなく情報発信を行っていくことを考えると、やはりそれは公開ブログを強化する、という方向になるわけである。そして今後の公開ブログはより個別具体的な話になっていくわけである。

 何を語るか、という問題は、何を学ぶか、という問題とほぼ同義と言って良い。では私は今何を学ぶか。それは私の趣味の原点であり、また今でも中核であり、その一方で日本の交通問題のラスボスともいえるJRの問題について、いよいよ切り込むべきときが来たのではないかと思っているところだ。

 

www.kyoto-np.co.jp

 その発端は亀岡市JR西日本株購入の件であることは言うまでもない。これはまさに「JRの難しさ」を象徴する問題であり、交通問題一般に対しては一定以上の見識を有する方であってもJRについてはまた別の見識が要求されるのである。また同時にJRの問題については数々の都市伝説、陰謀論、素人の思い付きが虚実ないまぜに喧伝されており、その中で事実を探し求めるのは大変困難と言わざるを得ないという問題も抱えている。

 私のこの問題に対する現時点での認識は以下の通りである。それは

現時点では亀岡市の対応を支持せざるを得ないが、しかしこのような対応をせざるを得ないのは国レベルでの政策の失敗である

ということだ。この見解に対し違和感や反感を抱く方も多いだろうが、そのような方々と私の認識の相違にこそJR問題の本質があるのである。なぜならJRは国鉄改革法上の使命を負った組織であり、単なる営利企業ではなく、また補助制度や路線廃止の手続きも他の交通機関とは別世界だからである。それは既に完全民営化を果たしたとされているJR東日本JR東海JR西日本JR九州も同じなのだ。端的に言えば、JRに対する補助制度や路線廃止手続きは未確立の部分も大きく、だからこそ沿線自治体は独自予算の独自政策で対応せざるを得ない部分が大きく、また路線廃止ともなればその都度政治問題化して大騒ぎしなければならないのである。さりとてJRの使命は同じ陸上の乗合交通機関の中でも路線バスや民鉄とは未だ相違する面が大きいのも事実であり、単に路線バスや民鉄と同等にすべきとも言い難いのもまた事実なわけである。個人的にはローカル線の廃止と新幹線の延伸でJRの路線網は旧国鉄が元々目指したような地域間幹線を主体とした路線網になってきたのであり、だからこそそれをさらに整備改良を促進していくためにこそJRの再国有化も検討すべきではないかと思っているのであるが、それは巷で言われるようなローカル線を存続させるための国鉄復活論とはわけが違うのである。

 

 なおこれはこのブログの記事にはすべて言えることではあるが、この記事の目的は私の現時点での認識をまとめて今後の学習に繋げるためである。つまりこの記事は学習ノートなのであり、これをこのまま喧伝して啓蒙活動をしようとかそういうものではない点をご留意頂きたい。また、この記事執筆もあくまで日常生活の中で趣味として行っているものであり、次回以降の記事継続やその公開時期については何ら確約できないこともご了承頂きたい。さらに言えばこの記事に対してSNS上でどこの馬の骨ともわからないような方から何か反論を受けたとしても、私もこの問題に関しては高々SNSで何か言われた程度で見解を変えるようなあやふやな話をしているつもりはないため、原則として反論には応じられないと言わざるを得ない。

 

 余談であるが、8/21に「すべてを敵に回すだろう」と題する記事を書いたのは、JRについて自由に学習し見解を述べられる体制を整えるため、という側面もあるのである。JRの問題とは、そのような問題であるのだ。

 

laws.e-gov.go.jp

 この記事の初期版では「JRは国鉄再建法上の使命を負った組織」としていたが、どうもそれは私の勘違いだったようで、正しくは「JRは国鉄改革法上の使命を負った組織」だったようだ。このような学習は今後ますます加速させていかなければならず、この公開ブログはまさにこのような目的のために存在するのである。

 

(続く)

国土利用と地方創生(4) 地域間公平性はいかなる水準において確保されるべきか

kazetosoratokumo.hateblo.jp

 

 前回の記事を公開したことにより、とりあえず私がこのブログでやりたかったことは一区切りついた感がある。もちろん書きたいことはまだあるが、そもそも私の趣味の中核たる鉄道は結局のところケースバイケースとしか言いようのない代物であり、端的に言って東京と北海道では必要なものも取るべき政策も何もかも違うし、北海道の中でも札幌と根室ではやはり違うし、たとえ同じ人口密度・同じだけの交通流動のある区間でも他の路線・他の政策との兼ね合いで違う答えが出て当然である。その他の比較においても、例えばバスと鉄道では交通体系上担う役割もコスト構造も違い、また新線建設と赤字路線の補填でも意味合いが全く違ってくる。私はこれでも住む市町村によって生活水準に著しい差が出るのは問題だと思っており、実際私の生活の中においても名古屋市京都市の違いだとか、亀岡市南丹市の違いだとかは批判的に見ているが、さりとて東海道筋には新幹線があるのに○○には新幹線がないのは差別だとか、「○○にはx億円投じられているのに××にはy円しか投じられていない」とか言われても私は基本的に賛同することはできない。そのような比較言説は結局は「足の引っ張り合い」でしかなく、また一般に”優遇されている”とされる方は何らかの理由により一見すると優遇されているようにも見えなくもないような公的支出のなされ方がされている例が結局は多いのであり、さらに言えばそれらは必要性が高い一方で膨大な予算も必要とするため他の政策に比べれば”優遇”されていてもなお実際のところは不足しているという場合も多いのであり、結局は”優遇”を批判した方に分の悪い戦いになってしまうものである。「人を呪わば穴二つ」とはまさにこのことで、他人の足を引っ張るような言説は結局自己に破滅をもたらすのであり、結局自己の望む政策を実現するには足を引っ張るのではなく、他と相補的に高めあうような論を展開した方が良いだろう。これは他人を批判するなだとか、そういう話とは違う話だと認識している。また一方で生活水準の差に著しい差が出るのは問題だとも思っているため、生活交通の維持のような基礎的な政策において「地元の努力」だとか、「自治体の独自予算による独自政策」のようなものを過度に賞賛することもできず、非常に地域的・局地的な事例を除いてはそれはむしろ全国レベルでの政策に穴があるのだというような方向で捉えざるを得ない。

 

 ところで私は何度も言及しているように立憲支持者であり、それはつまり旧社会党の系譜を受け継ぎ、比較的分配政策の推進も支持する立場だということだ。だからこそ公平性の問題には敏感にならざるを得ない。ただここまで述べてきたように地域間公平性を振りかざして中央新幹線をこき下ろしつつド田舎に新幹線を走らせるような言説にはさっぱり賛同することはできず、それはむしろ地方創生や様々な社会問題解決の足を引っ張るものだとさえ考えている。またこの私は目立った専門分野を持たない代わりに多様な学問をわずかにかじった経験はあり(※1)、経済学・財政学もその入り口の門の前くらいには立ったことがあるため、現在の経済学の主流である新古典派の見解についてもある程度はその妥当性を認めており、たとえば公的支出の方向性として出血を止めるような政策よりもパイを拡大するような政策を重視すべきだというような言説にもある程度までは賛同している(※2)。

 

※1 そのため学術的な話については様々な分野において、「過度な期待をすると失望するが、無知だと思ってバカにすると火傷する」くらいの存在ではあるかと思う

※2 たとえばTwitterリスト6番でフォローしているデービッド・アトキンソン氏についても高く評価している。こなたま氏等が度々批判を挑んでおられるが、批判者の方に対してまず経済学を学ぶべきだと思わされることが多い。ただ新古典派経済学はかつてのマルクス経済学と近代経済学の対立のような真っ向から対抗できる主要な学説は特にない一方で、その批判的見直しは世界中の経済学者によって試みられており、MMT論者叩きに見られるような現在の学説を絶対化して振りかざすようなやり方はいずれ足元をすくわれるだろう、とも思っている。

 

↑分配政策を重視すればこそ、このような事実は直視すべきである。交通分野は社会保障と生産性的支出のどちらともいえるが、一般に赤字路線への補填は社会保障的側面が強く、一方で新線建設は生産性的支出としての側面が強いのであり、そして社会保障への過度な支出は経済の過度な萎縮を招くのだ

 

 果たして国土政策・交通政策における「公平性」とは何か。「国土の均衡ある発展」とは実際のところいかなる均衡を目指すべきなのだろうか。それは「国土利用と地方創生」の(1)に戻ることになるが、物理的なものではなく実質的側面において追求されるべきだ、ということになるだろう。たとえば「自家用車に乗らずとも生活できる」「自家用車に乗るという選択肢も認められる」は、国土のいかなる場所でも自由に選択できて然るべきであり、行政の責任においてその自由が確保できない場所においては住居の建築確認申請を受理しないというようなやり方もあって然るべきだろう。一方で自家用車に乗らずに生活することを選択された方々が乗る乗り物は、場所によっては鉄道になり、それがバスになったりライドシェアになったりあるいは船になったりすることもありうるだろうが、運行頻度・運賃・乗り心地(※3)の面を含むある程度の利便性が確保されるのならばいかなる乗り物でも可とすべきであり、何としても新幹線でなければまかりならぬというような話はまともに取り合うべきではない。

 

※3 乗り心地は現在政策的に重視する見解を全くと言って良いほど見かけないが、これも本来は非常に重要な要素であるはずである。たとえば現在主流のノンステップバスはおおむね30分程度の都市型路線においてはさほど問題なく乗車できるが、より長距離の路線においてはもっと長距離利用に適した車両とするべきであるだろう

 

kazetosoratokumo.hateblo.jp

 

 これも過去の記事に戻る話だが、国土の均衡ある発展や地域間公平性は従来あまりにも物理的側面を重視しすぎたが故に、実質的には失敗したと言わざるを得ない状況に追い込まれているのだろう、と思う。これは国土政策・交通政策に限らず社会の様々な問題に対して言えることであるが、今後は物理的・形式的なものを目指すのではなく、より実質的な方向を目指す政策にシフトすべきである。現在の国政政党の中でこのような話が最も通りやすいのはやはり立憲民主党であるだろうと思われ、だからこそ私は立憲支持者をやっているわけである。

国土利用と地方創生(3) 我が交通趣味の現在

 8/23はいよいよ非公開ブログの記事を公開したが、これ自体は前々から予定していたことではあったものの、どうやらこの目的と具体的な公開範囲をどこにもメモしていなかったようで朧げな記憶を頼りに公開範囲を策定することになってしまい、この内容・この時期で良かったのだろうかとは私自身少し思うところである(苦笑)

 

 まあこのブログは公開ブログとは言えど徒然なるままに私の現在の思索・思考を吐き出すためのものであるから、重大な人権侵害でも起こしていなければそれでよいのだが、ただだからこそいつどんな話をするか・すべきかは私にもさっぱり不明瞭なのは少々問題かと思われる(汗)不明瞭なのは「国土利用と地方創生」シリーズをどこに持っていくかも同じであり、私としてはさっさとローカルな交通やまちづくりの話を始めたいのであるが、しかしそのためにこそ私という人間は何を支持し何を批判するのかを取りまとめる必要があるわけであり、それも結局は私の自己満足と言えばそれまでだが、さりとていかなる論を展開すれば私の自己満足に至るか、というものすら私の中でもまだ見えていないのである。

 

 というわけで今日も名古屋を襲う雷雨の音を聞きながら徒然なるままに記事を書くわけであるが、一つ「他人とのかかわり」というテーマで私の鉄道趣味・鉄道派生趣味を見つめなおしてみると、改めて特徴的だと思わざるを得ないのはいわゆる”鉄道趣味界”とほとんど絶縁しているというところである。私は鉄道雑誌でも学術論文でも単行本でも公になったものについては存分に活用する方針であるが、鉄道趣味界に再びコミットしてインサイドな話にアクセスしようとするのはもう二度とないだろう。私が今後交通のインサイダーになるのであれば、それは趣味を起点とするのではなく、何らかの関連企業に就職するか、あるいは地域公共交通会議の委員になるかのような方法になるかと思われる。

 

note.com

 今の私の立ち位置は、結果として架空鉄道作家のサマンサさんと似通った立場になったものだと思う。サマンサさんは自身の自由を追求するため「徹底した不干渉」を宣言されており、鉄道趣味界との交流をほとんど絶っておられる。その追求ぶりは他者からの「賞賛」すら遮断するレベルであり、私はそこまでには至っていないし至ることはできないが、ただサマンサさんには今後ともこのような立ち位置を貫いてほしいものだと思う。

 

 私がTwitter旧アカウントの時代、多くの鉄道趣味人をフォローしていたのは「インサイドな話」が面白かったからだ。また一応は業界人になる可能性もあったため、それに先駆けて人脈を作る的な意味も少しはあった。とはいえ根本的には人生の迷走でかなり気が滅入っており、せめて「好きな趣味の話」をできる空間くらいは確保したいと思っていたというのが結局は大きい。

 転機となったのは北陸新幹線敦賀~新大阪のルート問題である。私は以前から米原ルート一択だと思っていたのだが、ふたを開けてみればそれよりもB/Cに劣り、L特急の一角にも数えられ今でも毎時運転を行う特急「しらさぎ」のルートを完全に分断する京都小浜ルートが採用されるに至った。私が失望したのはこれを受けた鉄道趣味界の対応である。私は賛否両論くらいになるかと思ったのだが、実際のところは京都小浜賛成派のすさまじいゴリ押しが始まり、それに対する反対意見への罵詈雑言はリンチの様相すら呈した。そしてそのリンチには当時の私の相互フォロワーや片フォローでも以前よりフォローしてきた方々が多数参戦されていたというわけである。

「客観的事実とはこれほどまでに弱いのか」

と改めて思わされた。その後西暦2019年の台風19号【令和元年東日本台風】のときに長野の車両基地が水没して北陸新幹線が不通となり、代替ルートとして「しらさぎ」がクローズアップされたときも私はこれで米原ルートが多少は息を吹き返すかと思ったら、やれ並行在来線を分割するな(※1)だの北陸新幹線京都小浜ルートと中央新幹線を早期に実現させて新大阪で接続を取れ(※2)だのと喚きたてる体たらくであった。結局この区間のルート見直しについては実際に敦賀サンダーバードが分断されるまで持ち越しとなり、これについては鉄道趣味界のみならず社会一般に対してあまりにも対応が後手であると嘆かなざるを得ないのであるが、しかし新聞各紙が社説でルート見直しを求める段階に至ってもなお京都小浜ルートに固執し続ける鉄道趣味者の姿勢はあまりにも嘆かわしいとしか言いようがない(※3)。

 

※1 北陸新幹線並行在来線と言えばえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインはたったの1両であるし、その他の区間も2両とかで地域輸送のみでも立客が出ているような状態であり、JRであろうがなかろうが新幹線の代替などできるはずがない。逆にJRができるようなことは現在の並行在来線事業者でもある程度はできるだろう

※2 非常代替とはいえ東京対北陸が大阪経由で良いのだろうか。米原ルートなら名古屋経由にできるわけだが

※3 ただしこれは強調しておきたいのだが、私は京都小浜ルート推進派のすべてをこき下ろしたいのではない。私がこの問題について該当分野の専門家として特にその言動を注視しているのはTwitterではShin-ya Ohnishi氏とTAKA kawasaki氏であるが、このうちTAKA kawasaki氏は京都小浜ルート推進派である。

↑全く仰る通りであり、新幹線という手法に捕らわれずともこの辺りの交通整備が粛々と推進されるようでなければ米原ルート転換も重大な禍根を残すだろう。またこれはTAKA氏の見解ではないが北陸新幹線東海道新幹線乗り入れには困難が伴うのも事実であり、米原ルートへの転換もまたその辺の事情を汲んで京都小浜ルート推進派を罵倒することの無いような人々で進めてほしいものだと思う。その意味においてはネット上の論客は米原ルート推進派もまた多くは落第点である。

 

 

 趣味人というものは、どうも極論を言いたがる傾向にあるようである。SNSだけで収まっているならまだ良いのだが、商業開発の実務家であるpom氏がこのようなことを呟いておられるのを見ると、どうも実社会の実際の審議会のような場所にも鉄道趣味者が極論を持ち込んでいるようである。

↑あまりにも当たり前すぎてなぜわざわざこんなことを呟かれなければならないのだろうかとすら思ってしまうが、こんなことも呟かざるを得ないような無茶苦茶な暴論を公の場で垂れ述べた者が居るのだろう。pom氏にはただただ同情しかない。

 

 私も公共交通・乗合交通の整備・利用推進派であり、猫も杓子も自家用車に乗らなければならないのは国土開発の失敗だとすら思っているのであるが、とはいえpom氏が批判するような輩と同類とみなされてはたまったものではない。それが私に活発な情報発信に対して二の足を踏ませているのだが、しかしそうこうしているうちに機会損失ばかりが膨らんでしまうのである。

 

↑これも本当におっしゃる通りで、公共交通の整備・利用促進と都市の立地適正化は必須であるが、さりとてそれは昔ながらの「電車・デパート・商店街」を維持存続するような施策に拘るべきではなく、郊外モールは今後の地域の拠点としてそれを生かしたまちづくりが必要であろうし、またそこを走る公共交通も昔ながらの代物に拘る必要は特にないのである。私は現代は人々が「都市に住み、郊外に買い物に出るようになった」ことを追認し、商店街活性化は各県都1つくらいの勝ち組を残してあきらめることにし、その跡地を宅地転換した方が良い段階になっており、交通網もそれに応じて変化させるべきだろうと思う。場合によっては都市間鉄道の駅も移転し、街自体を移転させることも考えるべきだろう。

 

↑このツイートはpom氏の最新のRTであるが、私は安藤健吾氏のご意見を拝見しても逆に「そこまでして商店街活性化って必要なんだろうか?」と疑問に思わざるを得ない。もちろん高松の丸亀町商店街のようなところは今後の発展も期待したいところであるが、さりとて他の寂れた商店街はいくら中心市街地にあると言ったところでそこはもはや「過去の市街地」なのであり、商業需要はむしろ既に満たされているからこそ現状があるのであろうし、都市のイメージアップは他の方法を模索するか、あるいは戦略的に「新市街」を作るかした方が良いのではないだろうか。

 

 そもそもの話として、自家用車と公共交通は「違う社会問題を解決する乗り物」なのであり、だからこそどちらか一方ではなく相補的に機能を果たしていけるような交通網を整備すべきなのだ。それはもちろん公共交通・乗合交通の中においても、鉄道・バス・船・飛行機はすべて他の交通機関を補完すべき存在なのであり、個人的にはその中でも特に鉄道については現在非常に弱っているため他の交通機関から需要を転移できるような整備もある程度推進すべきかとは思うが、さりとて世の中の見方はあまりにも対立的でありすぎるようにも思う。

 

↑結局この通りなのであり、自家用車しか移動手段がないのは問題ではある一方で「自家用車に全く乗れない」のもまた問題なのであり、そして昨今注目される宇都宮や富山は道路整備もまた進んでいるのである。私は富山には何度か行ったことがあるが、富山駅前のバスターミナルに発着する富山地方鉄道の路線バスが駅前広場からそのまま直進で国道41号に入り、ロードサイド商店街の中を駆け抜けていく姿にこそ富山という都市の本質があるのだと認識させられたことを覚えている。鉄道網・路面電車網はあくまでもその補助を行うための存在なのだ。

 

 

 さりとて今この日本が再出発のときを迎えているように、公共交通・公共インフラもまた再出発のときを迎えなければならないものと認識している。実際まー氏が指摘する通り日本は大都市・田舎を問わず土木インフラが根本的に過小ではないかと思わざるを得ない場面が多々存在し、にもかかわらず建築業界・運輸業界は悲惨な人手不足に陥るまでに放置されている。立憲支持者の私が言うのもなんだが、今の日本に真に必要な改革は自民党をこき下ろすことでも神宮外苑再開発や中央新幹線を止めることでもなく、市場経済も活用しながら生産性を向上しつつ、人々を多様な社会活動にもいざなうための公共投資が粛々と行われていくようにすることだろう。社会保障との最適な分配比率や最適な税率の問題までは私はまだここに見解を書くことはできないが、そして私も一応は障がい者である以上社会保障の維持・拡充も望まざるを得ないところではあるが、しかし一方で文化リベラル的な反開発・反大規模土木工事的な言説にはこれまた全く賛同することはできない。

 

↑まー氏の言説と言えば「日本は道路事情もよくない」という指摘も非常に重要である。日本国内でも隣の芝生は青いとしたがる主張はごまんとあるが、実際のところ日本国内において本当に”優遇されている”ものなんてほとんどないのであり、実際には足りないもの同士の低レベルな足の引っ張り合いでしかない場合が大半なのである。

 

www.youtube.com

↑最近私のマイブームとなっているウェザーニュースLIVEでは気象予報士の山口剛史氏による大雨知識の特番が7/20に組まれたが、この中で「日本に降った雨の8割は活用できずに流れて行ってしまう」という指摘があった。水利設備と言えばダムであり、そしてダムは公共事業反対論の王様のような存在でもあるが、実際のところ多少梅雨が短かったり猛暑が続いたりする程度ですぐに水不足になる日本の水事情を鑑みると、実はダムもまた不足しているのではないかとも思うところである

 

↑なぜ日本の公共投資はこうなのかと言えば、それは大石久和氏が指摘するようにそもそも日本には城壁都市の伝統がなくそれ故に「共通の敵に皆で立ち向かう」的なインセンティブに乏しく、ヨーロッパの国々に見られるような「公共精神」に乏しいというところが一つ考えられるだろう。また戦後はそれを受け継ぐ形で弁護士の堀新氏が指摘するように日本の言論界をリードした左派文化人達が結局は「社会福祉文化施設だけはあってほしい無政府主義者」であったが故に、社会民主主義的な分配政策もまたどこか「必要最低限」的なものとなり、その後は文化リベラルの勃興に飲まれ教条的な反開発論者へとなり果てたこともまた背景にあると言えるだろう。実際私は立憲支持者としてTwitterの左派・立憲支持者達の言動を観測してきたが、根底にリバタリアニズムがあるとする「左派」が多いのには驚かされた。結局日本の左派はリバタリアンの隠れ蓑となってしまっているのであり、だからこそ旅行支援や高速交通整備等には冷淡なのだろうと思わざるを得ない。それが必要な分配政策や自由人権的改革の足を引っ張っているものとも思われ、私はそのような左派に今後とも期待するのではなく実際の一般市民の生活に立脚した「リベラル派」の誕生をやはり夢想せざるを得ない。

ポスト・自由の時代

 唐突に非公開ブログの公開を始めたのはとある記事を公開したかったからなのだけど、その記事が見当たらなかったためあきらめかけたのだが、それらしいのが見つかったため公開することにする。

 

空1年2月7日(西暦2021年2月7日)

・社会再構築時代――ポスト・自由の時代

 21世紀は、社会というものを再構築していく時代になると考えている。

 20世紀は社会を破壊し、自由を獲得する時代だった。とりわけ1960年代以降のポストモダンの時代はそうだ。そこには必然性もあったが、しかし失ったものも大きかった。失ったのは、「秩序」と「コミュニティ」である。だから今後は、これを再構築していくことになると思う。

 

・なぜ、社会は破壊されなければならなかったか

 強制でありすぎたからだ。

 

 これはヤフージオシティーズと共に消えて行ったサイト、「以久科鉄道志学館」で和寒氏が言っておられた「第二次世界大戦の敗因」になぞらえている。氏は第二次世界大戦の日本の敗因を「強制でありすぎたからだ」とする。強制労働は質の高い仕事を産み出さないからである。この話は北海道の、戦時中に突貫工事で建設された炭鉱鉄道の廃線跡のページで出てくるのだが、鉄道の構造物は明治時代から今なお現役のものも多くある一方で、昭和時代、とりわけ戦時中に建設されたものの中にはは見るも無残にボロボロなものもあるのである。特に廃止され、保守点検を受けていない廃線跡を比較するとそれは明らかになる。明治時代のトンネルは特に保守点検を受けていなくても立派に残っているものも多くあるが、戦時中の炭鉱鉄道はコンクリートの剥離がひどいなど、明らかな老朽化が目立つものも少なくない。それはもちろん地質などの影響もあるだろうが、強制労働による突貫工事の影響、というのもやはりあるだろう。それは私自身そう思っていただけに、以久科鉄道志学館を見たときは「やはりそうか」と思ったものである。

 過去の時代は、あまりにも強制でありすぎた。秩序もコミュニティも、「押し付けられたもの」でしかなかったのだ。だからそれを解体し、自由になることに必然性があった。その次に来るべきものは、「自由を確保した新しい社会の構築」だろう。自己決定に基づく秩序、選択可能なコミュニティの創造だ。今の社会はそれに向っているものと考えている。

 

 もちろん懸念もある。第一に考えられるのは自由の制限が過剰になることだ。秩序もコミュニティも、多かれ少なかれ自由を制約するものである。それが過剰になると、20世紀を繰り返すことになる。第二に考えられるのは絶対自由主義者によるバックラッシュだ。自由に対するいかなる制約も許さないと考える者達の台頭である。ドナルド・トランプをはじめとするポピュリスト政治家の台頭は、この動きの現れであると考えられる。

 

 空想委員会は、自由の過剰な制限には反対しつつ、絶対自由主義にも反対していくものである。

 

2月7日

・社会再構築時代(2)

 「選択可能なコミュニティの創造」と書いたけれど、それを担保するのは流動性のある社会だ。現代社会のウィークポイントは、先進国における中間層の没落・格差の拡大によって社会の流動性が失われつつあることである。

 

 これは経済学の敗北と言えるだろう。経済学は格差の存在こそが経済発展に結びつくのだと標榜してきたが、私は経済発展の原動力は格差それ自体ではなく、努力によって格差を覆せるという「ドリーム」にこそあるのだと考える。そして格差の拡大・社会階層の固定化でそのドリームが失われたとき、すなわち経済的弱者が夢を見ることができなくなったとき、自由主義社会は人々の希望ではなくなり、経済発展は頭打ちとなるのだ。どんな時代も、弱者に夢を見せた国家・集団が勝者となるのである。

実現性偏重の弊害

 前回で一区切りのつもりだったけど、面白い記事を見つけたため3/4の記事も公開することにする。

 

空1年3月4日(西暦2019年3月4日)

・「現実からの解放」の第一歩

→「事実」と「正義」の分離。そのために必要なのは

1.「実現性」と「妥当性」の分離

2.「定量的評価」と「趣味的評価」の分離

であり、両者は相補的に併存させるべきである。

 


 現代日本(少なくとも太平洋戦争以降。あるいはそれよりもっと前から)の問題点は、実現性についての議論と妥当性についての議論がごっちゃになっていることと、定量的評価と趣味的評価が無用な対立を起こしており両者が足を引っ張り合っていること。これらはそれぞれ別の地平に立つ概念であり、本来は対立概念ではなく、むしろ相補的なものであるという認識を持つべき。それが「現実からの解放」の第一歩となる。

 

・実現性偏重の弊害

 これが日本だけの現象なのか否かは知らないが、少なくとも日本では実現性が過剰に重視されており、妥当性が軽視される傾向にあるように思う。これによる弊害は以下の通りであると考えられる。

 議論の前提として、「妥当」という概念自体は以下の2つに分類できる。

a.倫理的妥当性

→それは倫理的に正しいか

b.方法論的妥当性

→それはそもそも課題を解決できる案か

 また物事を解決に導くための代替案は、以下の4つに分類できる。

1.実現可能であり、かつ妥当な案

2.実現可能だが妥当でない案

3.(現時点では)実現不可能だが妥当な案

4.実現不可能であり、かつ妥当でない案

 実現性偏重主義の弊害は、類型3の代替案が軽視され類型2の代替案がまかり通ることである。何か問題を解決するとき、常に類型1の案が存在すれば良いが、実際には存在しないことも多い。つまりそのとき実行可能な案のみで物事が解決できるとは限らず、物事を解決するためにはある程度「不可能を可能にする」ことが求められることもあるわけである。にもかかわらず実現性偏重主義においては、倫理的または方法論的のいずれかあるいは両方が妥当でない案が「解決策」として採用されてしまい、かつその妥当でない解決策で物事を解決することに労力が注がれてしまう。これが、実現性偏重主義の弊害である。労力を注ぐならば「不可能を可能にする」努力に労力を注ぐべきであり、それによって類型3を類型1にするべきなのだ。

空想委員会の起源について

 前回に引き続き、今回は2月の記事から公開したい。

 

空1年2月1日(西暦2019年2月1日)

・現実主義の逆説

→現実に対する最も現実的な代替案は、現実それそのものである

 当たり前の話だが、現実は必ず何らかの理由があってそう構築されているのだ。現実の持つ構成要素をすべて肯定したら、それは現実それそのものにならざるを得ない。

 

 逆に言えば、何らかの変革を成し遂げることを欲するならば、必ず現実の構成要素を何か一つ以上否定しなければならない。何を根拠にしてそれを否定するかと言えば、それは「理想」であろう。現実に存在する何かを変革したいと欲するならば、必ず理想を持たなければならないのだ。

 何かを主張する限り、人は理想主義者にならざるを得ないのである。

 

・主張することは、否定することである――肯定の逆説

 何かを肯定することは、それ以外のすべてを否定することである。

 

 肯定だけをする者は、何も是とすることができない。なぜならば、何かを是とすることは、それ以外のすべてを否定することだからだ。

 私が否とするものも、それを願った者が居るのである。否とするのは、その願いを否定することである。その願いを踏みにじることである。しかしそれを否定しなければ、私の願いが否定されてしまうのだ。

 あらゆる主張は暴力的である。何かを発言することは何かを奪うことであり、誰かを殺すことである。決断は戦いであり、主張は戦争である。人は戦い続けなければならないのだ。

 

・狂気について

 「狂気」とは、「『現実』に屈して不正義を受け入れること」である。

 これはアニゴジ前日譚小説に出ていた「狂気とは、理性だけになってしまうことだ」という意味のセリフに基づいている。それもそうだろう。狂気はなぜ実行されるか、と言えば、それは「必要だったから」である。たとえば東日本大震災のとき、多くの人が無人のコンビニから物を盗んだことがわかっている。これはまさに震災という異常事態が生み出した狂気だろうが、さて人々はなぜこのような行動を実行したのか。それは「必要だったから」である。異常事態の中、人々が冷静かつ客観的に状況を分析し、理性を持って行動したからこそ、「モノが足りない」ことに気付き無人のコンビニから物を盗んだのだ。狂気は感情的行動ではなく、むしろ極めて理性的な行動なのだ。故に倫理は狂気に対して無力なのである。人々はそれが倫理的でないことを知りながら、しかし「必要だったから」狂気に走るのである。

 

 

・大人になるとは、もう一度夢を見ることだ

 人間は以下のように発達段階を踏むと考えられる。

1.子ども時代:夢を見る時期

2.青年期:夢に挫折する時期

3.成人期:事実を踏まえ、もう一度夢を見る時期

 

 現実に屈し、夢を諦めるのは青年である。そして青年は狂気に走るのである。

 それに対して成人は事実を踏まえ、もう一度夢を見る。そして子ども達に、より良い未来を残していくのだ。

 今の日本は夢に挫折している。これはかつて、マッカーサーが「12歳の子ども」と評した日本という国が、今まさに青年期を迎えているということではないか。ではこの次に来るのは成人期であるはずであり、またそうであるべきだ。

 

2月3日

・この世は良くなっているのか、悪くなっているのか

→短期的には悪くなっているところもあるが、長期的には良くなっている

 故に、「短期的悲観と長期的楽観」の組み合わせこそが最適解なのだ。

 

 なぜそう言えるのかと言えば、人類の歴史がそうなっているからである。人類史上悲観論は全敗している。西暦1960年代には「アジア崩壊(アジアの人口爆発に食糧生産が追い付かず深刻な飢餓が発生するという予測)」が叫ばれていたらしいが、その後のアジアの経済発展と少子化はその予測を完全に覆した。その20年前には日本で「アメリカが勝つと日本人は皆殺しになる」などと言われていたが、むしろアメリカに敗北した後の方が発展した。事実として悲観論は全敗しており、今我々は人類史上最高の時代を生きている。それは今後も続くだろう。つまり地球温暖化少子高齢化もいずれ克服されるのである。

 だがしかし、人類という種族はそれでよいとしても、個々人の運命はむしろ短期的事象の方に左右される。故に世の中には常に

「悪くなった、悪くなった」

という話ばかりが跳梁跋扈するのである。また同時に、人は短期的楽観と長期的悲観という組み合わせで物事を認識しようとする。なぜなら災いが自分に降りかかってくるとは思いたくないからだ。災いには備えなければならない、だがしかしその災いは自分が死んだ後にやってくる。人はそう思い込みたいのである。だからこそ人は見誤る。目の前の災いを過小評価しようとする。だが残念ながら、災いに直面するのは今を生きる我々であり、災いから解放された世界に生きるのは未来の子ども達である。この構図は未来永劫不変である。我々は先人達の困難を知り、それよりはマシと思って目の前の災いに立ち向かうしかないのである。実際、先人達よりはマシなのだから。

 

空想委員会の起源について

 大人への反発、というのは間違いなくある。

 

 我々の世代(西暦1990年代生まれ)というのは、平成不況の深い絶望の中で教育を受けた世代だ。よく覚えているのは、小学校1年のとき、教務主任が学活の時間を丸ごと潰して

「世の中は豊かになったが、その反動で人々の心は貧しくなった」

「世界平和」

と書いたところ、教師に

「そんなことは実現不可能だ」

などという説教を食らったことである。私はこう思わざるを得なかった。

「そんなことわかり切っているよ」

だがしかし世界平和などという、定番中の定番すら書いてはいけないのならば、何を願えというのだろうか? 願いなどというものは叶うかどうかは関係なく願うものだ。そこに現実主義など不要である。私は今でも、あの教師はとち狂っていたと思っている。なお1月1日の所見で書いた海上保安庁が武器を使わないのは憲法9条のせいだなどというでたらめを言ったのはその教師である。

 

 私の見たところ、大人たちは好き好んで悲観論ばかり見ているようだった。少しでも自分達に都合の悪い話のネタがあれば、藁にも縋るようにその話に飛びつくのだ。そしてそれが虚構であっても決して認識を変えないのだ。そうして好き好んで絶望しているようだった。私はこう思わざるを得なかった。

「この人達は絶望に浸りたいのだ」

 私はこの人達のようにはなるまいと思った。でたらめの絶望に身を委ねるのが現実主義だというのならば、私は現実主義とは決別しよう。そして事実を見よう。絶望すべきは絶望するが、希望は希望として認識しよう。そして確かに存在する社会の課題に対しては、科学的かつ合理的な解決方法を探し求めよう。そしてそれを社会に提示し、社会をより良い方向へと導いていこう、と思ったのだ。

 私は灯台を作ろうとしたのだ。混迷の海を進む社会という船に、一筋の光を投げかける灯台を。その光はまさに希望である。その希望こそが最初期の「空想計画」であり、それを投げかける灯台こそが最初期の「空想委員会」だった。

 

 空想委員会の歴史は、そうして始まったのである。

 

・理想論について

 最初期の空想委員会を語る上で欠かせないワードがある。「理想論」である。「正論」あるいは「きれいごと」と言っても良い。そして空想委員会とは、理想論を語るための組織だったのだ。より正確には、理想論を語り合う場を作るために空想委員会を作った、と言うべきだろう。

 私が理想論を重視した理由は2つある。第一に、

「社会が絶望にまみれているのならば、一時の癒しとして理想論は必要不可欠なはずである」

ということである。要は「理想くらい語ってないとやってらんじゃないじゃん」ということである。人間の精神力には限界がある。”辛い現実”だけを見て生きるなど不可能だ。私は結局のところ、理想を拒絶することのできる人間は”辛い現実”をまともに見ていないのだろう、と思っている。”辛い現実”から適当に目をそらせるからこそ、”辛い現実”だけを見て暮らすことができるのだ。だから常日頃から現実、現実と言い、理想論をせせら笑う自称リアリストに限って、いざ災厄が起こったとき事実から目をそらすのである。

 第二に、2月1日の所見に書いた通り、

「何かを主張する限り、人は理想主義者にならざるを得ない」

からである。だがこの事実を強く認識したのは高校に入ってからであり、中学生だった私が委員長をやっていた最初期の空想委員会ではあまり重視されてはいなかった。ただ重視されてはいなかったが、薄々感づいてはいたように思う。

 

 そんなわけで、空想委員会とはまさに理想論を語り合うための「場」であった。「委員会」なのはそのためである。空想委員会は灯台であると同時に、会議室(議場)でもあったのだ。今でも私は1月31日の所見に書いたように、空想委員会内部に異論を認め、言論の自由と活発な議論を担保しようとしている。それはなぜかというと、今でも空想委員会とは「理想論を語り合うための場」だと思っているからである。

 

・行き詰まった理想論

 だがしかし同時に、空想委員会の歴史は理想論への挫折の歴史でもあることも、また事実である。

 

 理想とは途方もないものである。終わることのないものである。最初は少し現実から違うだけのものを理想だと思い込んでいても、すぐにそれを上回る理想があることに気付く。そして理想を追い求めれば追い求めるほど、現実から乖離し、実現不可能になり、そして現実に不満を抱くようになる。そしてやがては虚無へと至る。何もかもにやる気を失せ、物事がどうでも良くなっていくのだ。

 

 最初の問題は、日本が軍事力を保有することを認めるか否かという問題だった。理想論は絶対平和主義である。軍事力を撤廃し戦争を放棄するのが理想である。……はずだが、本当にそうなのかどうか私は疑問に思っていたのも、また事実だった。この世には軍事力があるからこそ秩序が保たれている、という話は極めて合理的であり説得力があったからだ。私は鶴舞中央図書館で「14歳からのリアル防衛論」などを読みながら、次第に軍事力容認へと傾いていった。そして作り上げたのが、「平和主義的戦争肯定論」である。

 これはすなわち、「武力攻撃を受けたとき、軍事力を用いて敵軍を国境線に食い止めていれば、本土は平和である。故に軍事力は平和の領域を拡大するから、軍事力の保有を認めるべきである」という理屈である。私はこの理屈を以て、完全に軍事力容認論者に鞍替えした。しかしこれは理想論との妥協であった。空想委員会はこれに反発した(※1)。以後委員長たる私と空想委員会は対立し、和解するのは実に空1年(西暦2020年)8月になってからのことである。

 

※1 正確には私が分裂し、軍事力容認派が「私(委員長)」に、軍事力否定派が「空想委員会」になって対立した、というべきである

 

・迷走

 そしてこの理想論への妥協と現実主義の容認こそ、長い迷走の始まりであった。それもそうだろう。元々現実主義への反発のために空想委員会を作ったのに、当の私が現実主義を受け入れてしまっては空想委員会の存立基盤がなくなってしまう。早くも空想委員会は存立の危機を迎えたのだ。だが結果的に組織自体がなくならなかったのは、私が理想を追い求めることを諦められなかったからだ。

 自信がなかったのである。とにかく自信がなかった。空想委員会などという取り組みに対する妥当性を担保するものなど何もなかったから。私はあまりにも未熟な子どもであった。大人達に抵抗し続けるなど土台無理な話だったのである。追い打ちをかけたのはティモシー・ライバックの「ヒトラーの秘密図書館」だ。あの本で私は稀代の犯罪者、アドルフ・ヒトラーが読書家だったことを知った。私も自身を読書家だと思っていたから、つまり私はヒトラーになるかもしれないのだ。空想委員会はナチスになるかもしれないのだ。私は自分自身に恐怖した。空想委員会にも恐怖した。さりとて読書を辞めることが正しいとも思えなかった。

 高校生になったときにはすっかり自信喪失していた。東日本大震災以後の民主党政権を支持しきれなかったのもそのためだ。空想計画の発祥たる鉄道計画も行き詰まった。鉄道事業者は各社とも様々な制約の中、理想的なダイヤを組んでいることがわかったからだ。「現実に対する最も現実的な代替案は、現実それそのものである」という逆説についに直面したのである。そしてその理想的なダイヤを持ってしても、鉄道の利用者は減少しているのだ。理想的なダイヤを組めば問題はたちどころに解決する、という楽観はここに潰えた。そしてこの行き詰まりを、私はついに解消できなかった。

 

 空想委員会の発足から迷走の開始までを「第0次空想委員会」、そして迷走開始から第二次空想委員会発足までを「第一次空想委員会」と呼んでも良いように思う。これからはそう呼びたい。

 

 

・架空鉄道と空想委員会

 鉄道の話が出たところで、空想委員会のもう一つの起源である架空鉄道について語っておきたい。

 私の架空鉄道の始まりは小学校の登校分団を列車に見立てたところだが、空想委員会の起源となったのは小学校近くの空き地にホームを並べて中央駅にしたい、と思ったところに始まる。登校分団は「七本松鉄道」、空き地は「千代田鉄道」であった。以後七本松鉄道は名古屋中央鉄道に発展し、また千代田鉄道は空想委員会に発展して今でも併存しているというわけである。ここでは千代田鉄道の系譜を述べることにする。

 千代田鉄道の画期的だったところは、私の日常生活に全くタッチしないところである。中央駅たる空き地は確かに小学校からすぐのところにあったが、しかし目の前というわけでもない中途半端な場所だった。千代田鉄道はそこを起点に、あおなみ線に直通したり中部国際空港まで行ったりするのだ。基本的には路面電車なのに普通鉄道に直通運転したり知多半島を専用軌道で駆け抜けたりするのだ。空港特急を4両で走らせるために国交省の特認を受けているのだ(※1)。そしてそれほどの鉄道でありながら、私の家の前にも小学校の前にも電停はないのだ。正直言ってなぜこの鉄道にあれほど入れ込んだのかは全くわからないのだが、当時の私はとにかく千代田鉄道が好きだった。まだ地図が読めなかったから路線網は断片的で適当だったが、その分サービスに力を入れた。路面電車でできる限りのサービスを展開した。たとえば夕方の電車の車内では野菜を売って移動と買い物が同時にできるようにした。誰が利用するのかわからないけどとにかくやった。誰も考えたことがないだろうからこそやった。こういうところが後の「常識外れを排除しない」という姿勢に繋がっているんだと思う。そういう意味で千代田鉄道は空想委員会の起源なのだ(「第-2次空想委員会」とでも呼ぼうか)。

 

※1 日本では「軌道法」の定めにより路面電車は最長で40メートルに制限されているが、京阪電鉄京津線国交省の特認を受けて4両の電車を路面電車として運転している。もっともこの特認は路面電車区間に停留所がないから認められた可能性があり、道の真ん中に堂々と電停を置く千代田鉄道で特認が受けられるかどうかはかなり疑問である。また受けられたとしても、おそらく中央駅発車直後にある直角カーブを曲がれないだろう。

 

 さてそんなときに、私は夕方のNHKニュースであおなみ線の苦境を知る。名古屋駅までしか行かないから栄まで直通する東山線に対抗できないらしい。しかし一方で栄の経済的地盤沈下も著しく、松坂屋三越丸栄もJR名古屋高島屋にお客を取られて苦境らしい。そこで私は思ったのだ。

「栄を中心としてあおなみ線や各地を結ぶ鉄道を走らせれば、あおなみ線も栄も救われるじゃないか」

東山線が栄へ行くから利用されるというのであれば、つまり栄への交通需要はあるわけである。しかし現状では地下鉄と瀬戸線しか乗り入れていないから、JRも名鉄近鉄も乗り入れている名駅に勝てないのだ。だったら栄を中心とする鉄道網を整備すれば一挙に問題解決じゃないか……そんなわけで千代田鉄道は栄を中心とする普通鉄道、「愛知電気鉄道」へと発展したわけである。

 ……なぜここで「千代田鉄道を発展させる」という方法が取られたのかは定かではないが、おそらく私自身の日常生活に無関係な鉄道という点が被ったのと、中央駅にしていた空き地がコインパーキングになったことが関係していると思われる。

 愛知電気鉄道が画期的だったのは、「架空鉄道と社会問題をリンクさせたこと」だ。これこそが社会問題を解決するための空想の始まりであり、こういう意味で空想委員会の起源なのである(「第-1次空想委員会」とでも呼ぼうか)。

 愛知電気鉄道は後に東京~名古屋の特急(全席指定個室車食堂車連結)を走らせるまでに成長したが、並行して私は現実の世界にも様々な鉄道計画があることを知った。名古屋の地下鉄も新幹線もまだまだ新線計画があるのだ。私はそちらにも関心を持ち、愛知電気鉄道と並行してそちらの構想も開始した。そしてまたそのころにダイヤ構築の面白さを知るのである。愛知電気鉄道にも既存の鉄道・計画路線にも様々な列車を走らせた。特急が普通を追い越す駅をどこにするかで頭を悩ませた。当時の私はある種の確信を持っていた。それは、「理想的なダイヤを組み、サービスを展開すれば利用者は伸びる」という確信だ。鉄道は車両ではなくダイヤである。そしてどこに駅を設置するか、駅の出入り口をどこに置くか、職員の対応はどうか、と言ったことが利用者数を左右するのだ。車両ではない。それは豊橋鉄道えちぜん鉄道が中古車両で利用を伸ばしていることから明らかである。もちろん現実には資金的都合で必要な投資ができなかったり、用地買収や人員確保が上手くいかなかったりするからなかなか理想的にはいかないわけであるが、しかしここは空想世界である。いくらでも理想を突き詰めることができる。という具合に私は全国に架空鉄道を展開した。

 中学校に入って、通学路鉄道(=名古屋中央鉄道)以外の「社会問題系架空鉄道」に総称を与えた。

「空想鉄道計画」

愛知電気鉄道その他の架空鉄道は空想鉄道計画の一部となった。これこそが空想計画の起源である。これが後に空想交通計画になり、空想計画になるのである。

空想主義思想原論

 この公開ブログにも記事が溜まってきたが、元々このはてなアカウントは非公開ブログを開設し、そこで様々な文書を管理するためのものだった。今回から非公開ブログの一部を公開することにしたい。まずは空1年1月(西暦2021年1月)に行った「空想主義思想」についての検討から。なお当時は「願い」という言葉を使っていたが、これは無駄にポジティブに捉えられることを避けるため現在は「欲望」と言い換えているが、この記事では「願い」のままで公開することにする。

 

 

空1年1月1日(西暦2021年1月1日)

・現実からの解放

 グレゴリオ暦が新年を迎えた。空1年ももうあと半年である。そこで今改めて、「現実からの解放」について考えたい。

 

 なぜ現実からの解放が必要なのか、といえば、それは世に蔓延る「現実」なるものがむちゃくちゃだからである。たとえば、私が小学校で教員から繰り返し聞かされた話に


「『国産じゃがいも使用』と書かれたポテトチップスに国産じゃがいもはほとんど使われていない」

というものがあった。もしこれが本当ならば日本国内でじゃがいもが不作でもポテトチップスの流通に影響はないはずだが、実際に西暦2016年夏北海道でじゃがいもが不作になってみると市場からポテトチップスが消えるという事態が発生した。

 

 

mainichi.jp

↑西暦2017年5月3日付の毎日新聞。年が明けてもなお影響が続いていたのだ。

 

 つまり小学校の教員が語っていた「現実」は、根も葉もないでたらめだったということだ。

 

 ポテトチップスくらいなら他愛ない話で済むが、これが国家戦略や安全保障の分野になってくるとおちおち笑っていられなくなってくる。実際、私は中学校の教員にこのような話を聞いたことがある。

海上保安庁の巡視船が尖閣諸島に不法侵入した中国漁船を撃沈できないのは、日本国憲法第9条があるからだ」

冗談じゃない。不審船を撃沈できないのは憲法9条のせいではない。日本と中国が戦争状態にないからである。そしてあらゆる努力をして戦争を回避しようとするのは国際社会の常識である。不審船が領海に接近したからと言って、即軍隊が出動して武力で応戦していたら全世界が戦争だらけになってしまう。だから不審船に対してはまず警察組織である軽武装沿岸警備隊(Coast Guard)が対応し、たとえ時間がかかっても極力穏便にお引き取り願うのである。これは日本だけでなくアメリカ等でもやっていることである。憲法9条は何ら関係のない話でしかない。たとえ憲法9条が改正されたとしても、日本が国際社会のまともな一員であり続けるためにはむやみに不審船を撃沈してはならないのだ。

 ……にもかかわらず、今の日本では上記のような主張をする人間が「現実的」だともてはやされ、私のように安全保障その他について調査した結果憲法9条改正は必要ないという結論をたたき出した人間は「非現実的」と嘲笑される。このことから以下の逆説が導き出される。

「現実は、虚構である」

 「現実」とは、誰かが作り出した「おとぎ話」でしかない。そのおとぎ話を内面化し、おとぎ話に立脚して思考することこそ「現実主義」なるものの本質である。現代日本では「現実主義者」がもてはやされているように思うが、私は現実主義者を見るときはいかなるおとぎ話をその頭に注入しているのかを注意するようにしている。

 

 なぜこんなことが起こるのか。それは人間が、「物語」で物事を認識する生き物だからだろう。そして人間は己の信じる物語と事実が食い違うとき、事実を棄却して物語を優先する生き物なのだ。それは次のような場面を考えれば明らかである。

 

【自己言及の定義化】

 ある人物(仮にAとする)が、自己紹介で

「私は、他人の話をよく聞く人間です」

と言ったとする。それに対し人物Bが、

「いや、君は自分ではそう言うけれど、本当はそうじゃないよ」

と言ったとする。このとき、人物Aはどう思うだろうか。

 

 もちろん、このように思うだろう。

「何をバカなことを言いやがって。お前よりオレの方がよっぽど他人の話に耳を貸しているからな」

 このとき、Bの主張が正しいか間違っているかは関係がない。Bが間違っていることはもちろんあり得る。しかし、たとえ間違っていなかったとしても、AはBに

「他人の話を聞かない人間」

というレッテルを貼り付けるだろう。なぜならAの脳内では

「A=他人の話を聞く人間」

という定義が確立しているため、それに反する者はすべて「他人の話を聞かない人間」だということになってしまうのだ。私はこれを「自己言及の定義化」と呼んでいる。

 定義化はどのようにでも起こり得る。たとえば、

「私は内省的で恥を知る人間だ」

と定義してしまえば、自己に反する人間はすべて「恥知らず」と糾弾できるようになる。かつてTwitterを盛んに見ていた頃、

「○○は恥を知らない」

と主張する人間をたくさん見たが、私から見るとそういう主張をしている方がむしろ恥知らずにしか見えなかったのは「自己言及の定義化」のためだろう、と思っている。

 

 人間が事実を知ることは実に難しいことだと言える。なぜこのような不便な生き物がこの地球上には蔓延っているのだろうか。私は最近、

「人間はこのように”進化した”のではないか」

と思うようになった。今でもこの地上は人間にとって極めて生きづらいが、かつてあらゆる文明の利器がなかった頃はもっと悲惨だったわけである。たとえば江戸時代の日本の人口は中期以降横ばいだったが、どうやって横ばいにしていたかと言えば、「間引き」や「口減らし」と称して過剰に生まれた子どもを殺していたからである。明治維新以後の近代化による農業の生産性向上、及び経済発展による輸入食糧の増加で、ようやく我々は生まれてきた子ども達を殺さずに済む世の中を作ることに成功したのだ。なぜそんなことが可能だったかと言えば、我々の祖先が子ども達を殺さずに済む世の中を夢に見たからである。ここでもし人間が事実に合わせて生きる「現実的な」生き物だったら、今のような繁栄はなかっただろう。人類は今でもアフリカの草原に生き、まともな医療も食糧生産もなくひとたび自然が猛威を振るえばバタバタと死んでいく哀れな生き物に終始していただろう。地球温暖化はなかったかもしれないが、間違いなく幸福は今よりもはるかに少なかっただろう。つまり人間は、現実をむしろ認識できないように進化したからこそ、今のような豊かで平和で幸福な世の中を作ることができたのではないか。私は最近、そんなことを思う。

 とはいえもしそうであったとしても、それは諸刃の剣であることは言うまでもない。たとえばナチスドイツが推し進めた「ホロコースト」なんかは、誤った現実認識の下に国家が動いてしまった典型例だろう。現代でも、アメリカでのトランプ政権の成立や日本の保守系メディアが繰り広げる「歴史戦」なるものはその同類であるように思う。これらは「現実というおとぎ話」を強固に信じ込んだ連中に支えられているからだ。まことに現実主義とは人間社会の宿痾である。そして私はここに、「現実からの解放」の必要を感じるのである。

 

・空想委員会とは、真理と理想を守るための組織である

 「真理」と「理想」を、現実主義の猛攻から守る組織が必要だ。ここで「真理」とは誰かの作ったおとぎ話ではなく、我らの周囲で我らの意志とは無関係に発生した出来事、すなわち「事実」のことである。また「理想」とは、第一にかつて現在神話と呼ばれる物語を現実として語った時代より現在に至るまでの人々の「願い」のことであり、第二にその願いと事実とを照らし合わせて映し出される「進むべき未来」のことである。私はこれらのことを、現実と対峙するもの、すなわち「空想」と呼びたい。そしてこの空想を守る者のことを「空想委員」と呼び、彼らの組織を「空想委員会」と呼ぼう。

 ……ということを考えると、空想委員会の組織目標は「現実からの解放」よりも「真理と理想の防衛」の方がふさわしいのではないか、と思えてくる。だが両者は同じことである。現実からの解放とはすなわち真理と理想の防衛であり、真理と理想の下に生きることである。つまり前項「現実からの解放」の続きは以下のようにすれば良いか。

 

 では現実からの解放を成し遂げたあと、我らは何によって生きれば良いか。それは「真理」と「理想」であろう。ここで「真理」とは誰かの作ったおとぎ話ではなく、我らの周囲で我らの意志とは無関係に発生した出来事、すなわち「事実」のことである。また「理想」とは、第一にかつて現在神話と呼ばれる物語を現実として語った時代より現在に至るまでの人々の「願い」のことであり、第二にその願いと事実とを照らし合わせて映し出される「進むべき未来」のことである。私はこれらのことを、現実と対峙するもの、すなわち「空想」と呼びたい。

 空想委員会の「空想」とは、このような意味を持つものである。

 

1月3日

・現実との対峙

空想委員会の組織目標は「現実との対峙」でも良いかな、などとも思ってみたり。

 

・事実は存在するか

→存在する、と現時点では考えざるを得ない


 これは「哲学をはじめよう」で哲学者・山川仁が論証していることだが、今現に目に映っている物は、それが見えている通りの姿形で三次元空間に存在するか否かはともかくとして、何らかの存在が「ある」と考えざるを得ない。たとえ水槽の脳仮説が正しかったとしても、電気プラグを通して伝えられる情報は確かに「ある」のであり、それは我々の意志とは無関係に送り付けられてくるのだ。だから我々の意志の外にある事象、つまり「事実」は確かに存在すると考えざるを得ないのである。

 

 

・何を「真理」とするか

 とはいえ事実が存在するとしても、それが我々に認識できるかどうかはまた別の問題である。もし水槽の脳仮説が正しければ、我々が事実を知るチャンスは水槽の管理者の気まぐれに委ねられる。この場合、水槽の管理者こそが我々の生殺与奪を絶対的に握る存在、すなわち「神」であることになる。そして我々は、結局のところ神から自由になることはできない、と結論付けざるを得ない。

 話は少々脱線するが、水槽の脳ではなく唯物論に立脚するとしても、依然として我々は完全に自由になることはできない。我々の生殺与奪を握る者(=神)が水槽の管理者から自然(偶然)に移るだけである。やはり神は存在するのである。それが知能を有するのか否かはともかく、知能を有するとして我々が理解し対話することが可能かどうかもともかく、我々の生殺与奪を絶対的に握る者は確実に存在し、我々は決して自由になることはないのだ。たとえ唯物論に立脚してすべての自然を克服したとしても、物理法則から解放されることは決してない。たとえ銀河鉄道999の世界のような方法で永遠の命を手にしたとしても、それでもなお生きるのも死ぬのもすべては物理法則に従った方法でなければならないのである。もう一度言う、神は存在するのだ。それは聖書に書かれた通りのものかはわからない。もしかしたら偶然それ自体が神なのかもしれない。偶然が神であれば、祈りは単なる気休めでしかない。しかしそういうものが我々の外部に存在する以上、気休めにも存在意義は十二分に存在する。気休めに最大限の効果を発揮させるには、気休めに権威を付与するのが一番だ。そういう意味でも宗教は必要なのである。

 神から自由になれない以上、我々の「真理」とはいかなるものになるのか。それは「神がこの世界を見たとき、見えるであろうもの」が我々の「真理」となるだろう。

 

 完全に余談だが、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」で検閲を担当する役所の名が「真理省」とされていることはもちろんオーウェルの皮肉だが、「真理とは神に閲覧を許されたものに過ぎない」と考えれば、そしてビッグブラザーを神であると捉えれば、あながち皮肉とも言い切れなくなってくるのがなんとも皮肉である。

 

 

 

・真理(事実)と現実の違い

真理(事実)=神の御前にあるもの

現実=人間が勝手に作り出したもの 

 

1月7日

・「現実」に積極的意義を見出すことを考える

 前回の「所見」の終わりに「真理=神の御前にあるもの」「現実=人間が勝手に作り出したもの」と書いた。今月1日から開始した「現実≠事実」論の集大成というべき類別だが、しかしそうは言っても、我々は事実として人間であり、人間から逃れることはできない。ならばただ批判するだけではなく、「現実」に積極的意義を見出すことも考えたい。


 

 そしてその答えは、1月1日の「所見」に既に書いた通りだ。すなわち、「人間はこのように(引用注:現実≠事実となるように)”進化した”のではないか」ということである。

 根拠はある。脳科学の研究によって、人間の脳は記憶を曖昧にするように進化していることが判明している。どういうことかは和歌山大学の学生が簡単にまとめている。


web.wakayama-u.ac.jp

「次に人間の脳の「あいまい性」について紹介しよう。人間の脳はあいまいであるが故にここまで高度に進化できたのだと著者(引用者注:講談社ブルーバックス「進化しすぎた脳」の著者、池谷雄二)は語る。あいまいな記憶がいいというのは、少々妙な気がするだろう。例えば人間よりも進化していない脳を持った鳥などは、あいまいではなく、見たものをそのまま写真のように記憶できるという。普通に考えればあいまいな記憶力よりも、鳥たちのような完全な記憶力の方がすごいと思ってしまうだろうが、これが実は曲者である。例えば初めて出会う人間の顔を覚えるとき、人間はその相手の顔をそのまま覚えるのではなく、その相手の特徴を抽出して覚える。つまりいちいち細かい部分の情報ははぶき、最も特徴的であろう部分を取捨選択して記憶に残しているのである。相手に髪の毛がなかったりひげが濃かったりなど、特徴的な方が覚えやすいのは脳のシステムがこのようになっているからである。対して鳥などは相手の顔を細部まで完璧に覚える。鳥はあまり特徴的ではない非常に没個性な顔であろうと、完璧に覚えることができるのだ。しかし、次に会ったときに相手が髪型を変えていればどうだろうか? この場合、なんと鳥はその相手を同じ人物だと気づくことはできない。メガネをかけている相手がメガネを外せば完璧に気づかないし、極端に言えば正面からの顔を覚えた相手の横顔を見ても、それを同一人物だと認識することができないのである。正直なところ、私は鳥のような完全な記憶があればどれだけ勉強などが楽になるだろうと幾度も考えたことがある。恐らくこの書評を読んでくれている人にも、同じようなことを考えたことがある人はいるのではないかと思う。だが上記のような理由で、それはおすすめすることができない。パソコンがテキストを一文字変えただけで別物だと扱うように、そんな非人間的な記憶力は日常生活に不便なだけである。完璧な記憶とは完璧であるが故に、とても不便なものなのだ」

 要は正確に記憶しすぎるとわずかな差異すらも「別物」と捉えてしまうため、同じものがわずかに姿形を変化させても「同じもの」と「正確に」認識できるように我々の脳はあいまいに記憶するように進化しているのである。

 現実認識についても基本はこれと同じであろう、というのが私の考えである。文明の発達した現代ではともすれば忘れられがちですらあるが、人間に対して自然はあまりにも過酷だ。その自然の中で生きていかなければならなかった先史時代の人々が、もしその過酷な「事実」をありのままに認識していたらどうなっていただろう。おそらくだが、そういう人間も居たのだと思う。そして彼らは未来に対して何の期待も持つことができず、子どもを産むこともなく死んでいったのだろう。そうではなくて、事実をありのままに認識せず、夢幻を「現実」と捉え、希望を失わず、懸命に生き延びようとした人間こそが子どもを産み、人間社会を作り上げていったのだ。我々は「現実≠事実」と”することができた”者の子孫だと考えることができる。「現実≠事実」は適者生存の結果であり、我々の生存戦略の根幹なのだ。

 

・自然の過酷さについて

 ちょうど今日(空1年1月7日)は今季一番の寒波が到来している(※1)が、厚手のガウンに新型コロナウイルス対策のマスクを着用してもなお寒いというのが、今日町を歩いた感想だ。この文章はガスファンヒーターのある暖かい部屋で書いているが、どれだけ地球温暖化が叫ばれようと、石油資源の枯渇が叫ばれようと、特に今日ばかりはガスを燃やさないとこの「所見」すらまともに書いては居られない。そこで私は思うわけである。

「自然とはいったい何なのか」

我々ホモサピエンスは自然の産物のはずである。しかし、我々を生み出した母なる存在であるはずの自然は、我々がありのままで存在することを許さない。ほぼすべての野生動物がそうであるように(※2)、我々ホモサピエンスもまた裸で屋外に居ることこそが「自然状態」のはずだが、そんなことをしたら到底生きていけないのが我々の暮らす世界の事実である。だから我々は服や家や暖房器具といった人工物を発明し、それらで身を守らなければならなかった。自然は先史時代から現在に至るまで、一貫して「敵」以外の何物でもなかったのだ。昨今地球温暖化のもたらす異常気象への注目の高まりから

「かつて人間は自然と共存していたが、近代以降の人間の自己中心的な経済発展とそのための環境破壊によって自然が人間に対して牙を向くようになった」

という「神話」がそこかしこで語られている(※3)が、それが事実だとは到底思えない。考えてみてほしい。我々ホモサピエンスも氷河期を体験しているはず(※4)だが、いったいその時代はどうしていたのだろうか。少なくとも自然のまま=裸で暮らしていたわけではあるまい。毛皮の服を作り、火を焚いて暮らしていたのだろう。しかしそれでは到底間に合わなかったはずだ。子どもなど弱い者はバタバタと死んでいったことだろう。その悲しみの上に、今の我々の暮らしはある。確かに地球温暖化は問題だが、それをもたらしたのは人間の利己的な強欲ではない。「そうしなければ生きていけなかった」のだ。地球温暖化の最大の原因は、我々を生み出したにもかかわらず我々に適切な環境を用意せず、それを破壊しなければ生きていけない「自然」にこそあるのだ。

※1 

西日本は明日から極寒 福岡では2016年大寒波以来の低い最高気温に - ウェザーニュース

※2 冬眠中の動物は除くため「ほぼ」を付け加えた

※3 

ほむら「魔法少女の存在がバレた」 : SSまにあっくす!

こんなまどマギSSにまで「神話」が蔓延っているのだから事態は深刻である。もちろん私自身もまた他人のことをとやかく言える立場にはない。小学校以来の「環境教育」によって長らく受容してきたのだから。

※4 

最終氷期 - Wikipedia

「アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている」

 

・「現実」はどこから来たのか、「現実」はどこへ行くのか

 神ではない我々人間は、無から有を作り出すことはできない。ならば「現実」も、それがいかに根も葉もないものであったとしても、何らかの「有」から作り出されてきたものだ、ということもまた事実である。いかに「現実≠事実」であるとはいえ、その「現実」に事実が全く含まれていないわけではないのだ。では現実を現実たらしめる部分、すなわち「事実でない部分」は、いったいどこから来たのだろうか。

 それは、「願い」である。世の中はこうあってほしいという「願い」、未来はこうあってほしいという「願い」が事実と結びつき、我々に「現実」を見せているのだ。これは1月1日の「所見」に書いた「自己言及の定義化」から読み取ることができる。この場面の場合、そもそもなぜAは

「私は、他人の話をよく聞く人間です」

と言ったのか。それはAが、

「自分は、他人の話をよく聞く人間でありたい」

と思っているからである。

 

 重要なのは、「それ自体は間違っていない」という点だ。確かに、他人の話をよく聞くことは良いことである。烏賀陽弘道は「フェイクニュースの見分け方」(新潮新書、西暦2017年)でファクトチェックにはフェアネスチェックの視点を持つことが必要だと述べているが、他人の話をよく聞く人間はフェアネスチェックの視点を持ちやすいと言える。願い自体に問題はない。

 私が思うに、人間は元々「良いこと」を実行するようにできている。たとえば戦争のとき、すべての国家は自国にこそ正義があると主張する。自国の軍事行動は「良いこと」だと主張するのだ。なぜそうしなければならないかと言えば、それは人間が「良いこと」を実行するようにできているからだろう。それを批判する人も居るが、それもまた人間が「良いこと」を実行するようにできているからである。なぜそうなっているのかと言えば、それはそもそも「良いこと」とは人間が長い歴史の中で「実行すべき」と判断してきたことの集合だからだろう。「良いこと」は万能ではない。事実との間で齟齬や摩擦を起こすこともある。そこに「現実」の起源がある。だがしかし、それは齟齬や摩擦が悪いのであって、「良いこと」それ自体が悪いわけではない。ならばそこから立ち上がってくる「現実」は批判するとしても、それを生み出した「良いこと≒願い」は肯定されるべきだろう。「願い」は「現実」を生み出す厄介な代物ではあるが、しかしそれ自体は否定すべきではなく、活かす道を考えるべきなのだ。

 

 

・「願い」をどのように活かすか

1.「願い」と「現実」をわけ、純粋な「願い」を認識する

2.純粋な「願い」と「事実」を照らし合わせ、「あるべき未来」を模索する

 「純粋な願い」とは、我々の根幹たる「大元の願い」のことである。いささか語弊があることを承知で言えば、「理由なき願い」と言っても良いかもしれない。たとえば、「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問は色々なところで提示されるが、なぜこれが疑問としてそこかしこで提示されるかと言えば、「人を殺してはならない」という規範≒良いこと≒願いには特に理由がないからである。理由がないにもかかわらず、古くはカインがアベルを殺したらカインは神に追放を宣告され、モーセシナイ山で授かった十戒にも「殺すことなかれ」と明記され、現代においても世界中の国家が刑法に殺人罪を導入しているのである。これこそ「純粋な願い」の代表例だ。

 一方で「純粋でない願い」とは、すなわち「表層的な願い」である。たとえば、「ユダヤ人を虐殺したい」と願っている人が居るとする。なぜその人物はそのような願いを抱いているのか? そもそもユダヤ人とは生物学的な類別ではなく、信仰する宗教による類別である。宗教が人間の知性によって生み出されたものである以上、それを信仰する者を虐殺したいと願うこともまた、何らかの知性の働きによるものだと考えるのが妥当だ。知性の働きには何らかの理由がある。その理由とは「純粋な願い」と「事実」のキメラ、つまり「現実」である。「現実」を理由とする限り、その願いは純粋なものではない。それが立脚する「現実」を作り出している「願い」が存在するからだ。表層的な願いが「良いこと」だとは限らないが、純粋な願いはほとんどが「良いこと」であろう、と私は思っている。ここで例示した「ユダヤ人を虐殺したい」という願いだって、その根幹にあるのは「平和に暮らしたい」とかそういうものだろう。ユダヤ人を虐殺することは良いことではないが、平和に暮らしたいと願うことは良いことである。その純粋な願い自体は肯定されるべきであり、それはそれとして保持するべきである。

 

 

 そしてそうして純粋な願いを取り出したら、それを「事実」と照らし合わせる。そうして純粋な願いを可能な限り純粋な形で実現する方法を模索する。そして出てきた答えが「あるべき未来」である。私は1月1日の「所見」に「あるべき未来」と書いてから、これをどうにかして漢字2文字で表現しようと考えてきたが、最も適切な言葉は「希望」かと思う。つまり「純粋な願い」と「事実」を照らし合わせて見えてくるあるべき未来を、私は「希望」と呼びたいのだ。

 

 「(純粋な)願い」と「希望」の総称が「理想」である。「事実」は「真理」と言い換えることができる。「理想」と「真理」を合わせたものが、現実と対峙するもの、すなわち「空想」である。図示すると以下のようになる。

 

事実 → 真理 → 空想

願い → 理想

希望

 

・希望と現実の違いは何か

 さて私は、「現実とは願いと事実のキメラだ」と言った。一方で、「事実と願いを照らし合わせたものが希望だ」とも言った。では「現実」と「希望」の違いは何か。

 

 実は、そこに本質的な違いはない。

 

 これが人間の限界だと言えるだろう。そもそもの話、現実≠事実であることに気付いたのは私が初めてではない。たとえばソクラテスは明らかに現実≠事実であることに気付いていた。別にそれ自体は特殊なことでも何でもない。そして人類は、現実=事実にしようと奮闘してきた。しかし今でも依然として現実≠事実である。これは未来永劫変わることはないだろう。いや、むしろ変わってはならないとも言えるだろう。もし現実=事実に”なってしまったら”、それはもはや人間ではない別の何かであると私は思う。

 

 これは断言するが、空想委員会が現実と対峙したところで、何か革命が起こるわけではない。空想委員会は革命を起こすための組織ではない。空想委員会はむしろ反革命の団体である。それは空想委員会の組織目標たる「現実からの解放」に現れている。注意して欲しいのは、「現実の革命」ではないということである。我々は「現実=事実」にしようとは思っていない。むしろ事実と理想を抱き合わせて「空想」という名称を与えることによって、「現実≠事実」という図式を固定化しているのだ。空想委員会が目指すのは、現実≠事実という図式を固定化した上で、現実から離れることである。そして現実を相対化することである。その結果として、我々は我々の希望を提示する。だがしかし、それがすべての人間にとっての希望だとは委員長たる私自身思っていない。希望を巡って対立すること、争うこともあるだろう。そもそもの話、私の中でも希望を巡る争いがあるのだから。空想委員会が対立や争いを消し去ることはない。むしろ空想委員会が対立や争いの発端となることもあるだろうと思っている。

 では空想委員会に何の意味があるのだろうか。その問いは、「人類に何の意味があるのだろうか」という問いと同じである。人類の進歩は、あるときある個人あるいはある組織が何かとてつもない革命を起こして成し遂げてきたわけではない。多くの人々、多くの組織が、わずかずつ、ほんのわずかずつ願いを成し遂げることによって前進してきたのだ。空想委員会は、その歩みを継続する。空想委員会もまた、過去の多くの人々、多くの組織と同じように、またこれからの世界を生きるであろう多くの人々、結成されるであろう多くの組織と同じように、わずかずつ、ほんのわずかずつ人類の進歩を成し遂げることを欲する。私はそれこそが「希望」であると固く信じている。

 

・「希望」と「現実」の違いは何か(2)

 同じものに別の名前がつくことはよくあることである。多くの場合、そこには微妙なニュアンスの違いが発生している。私は前回の「所見」で希望と現実に本質的な違いはないと書いたが、しかしニュアンスの違いはやはり存在しているのである。どこに違いがあるのかは、「『願い』をどのように活かすか」に書いた次の文言が指し示している。

「そうして純粋な願いを可能な限り純粋な形で実現する方法を模索する」

「可能な限り純粋な形で」とは、「なるべく『純粋な願い』に抵触しないようにして」という意味である。たとえば、「人を殺してはいけない」とかそういうものを可能な限り守って、ということである。

 つまり「希望」とは、「現実」を可能な限り「純粋な願い」に近づけたものだ、ということができる。「希望」を「空想」と置き換えても、同じことが言える。

 

・「現実」の立脚するもの

 「空想」は「真理」と「理想」に立脚するものだ、と書いたが、では「現実」の立脚するものは何だろうか。「真理」「理想」「事実」「願い」「希望」の5つの言葉を使わずに考えてみたい。

 そうすると、現実とは「虚構」と「妄想」に立脚するものだ、と言えるだろう。「虚構」とは、デジタル大辞泉は第1に「事実ではないことを事実らしくつくり上げること」だとしているが、ここでは「複数の意志によって事実らしく作り上げられ、事実として人々に共有された事実ではないこと」、すなわち「社会的常識から事実を除いたもののこと」を表している。また「妄想」とは、同じくデジタル大辞泉は3番目の解説として「根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念」と解説しているが、ここでは「個人の内面に強固に作り上げられた、事実に基づかない信念」のことを表している。「虚構」は「社会的に共有されたもの」、「妄想」は「社会的に共有されていない」もの、と区別することができる。両者に共通することは、「事実でないにもかかわらず、事実だと信じられていること」である。図示すると以下のようになる。

 

現実 ← 虚構

       妄想

 

 また空想と対峙させると以下のようになる。

 

事実 → 真理 → 空想 ⇔ 現実 ← 虚構

願い → 理想               妄想

希望

 

・社会的であること――現実の本質――

 「現実」の立脚する「虚構」の解説で、「社会的」というワードが飛び出した。これは「空想」の解説ではついぞ出てこなかった言葉である。私はここに、「現実」なるものの本質があるように思う。

 そう、「現実」とは「社会的なもの」、すなわち「多くの人々に受容されているもの」なのだ。「妄想」も社会的に共有されていないとはしたが、しかし人間は無から有を作り出すことができない以上、なぜ「妄想」が存在するかと言えば、それは「虚構」に影響を受けた結果だと言えるだろう。そう考えると、「妄想」もまた社会的なものだと言える。

 対して「空想」は、それはいくら「真理」や「理想」に立脚しようとも、社会的に共有されていないものである。たまたま「現実」と一致した点を除けば、すくなくとも現時点においては社会的に共有されていない。「空想」とは個別的、個人的であると言える。

 

 だからこそ、前回の「所見」で空想委員会の活動の結果として「我々は我々の希望を提示する。だがしかし、それがすべての人間にとっての希望だとは委員長たる私自身思っていない」と書いたのだ。空想は個別的なものでしかあり得ない。空想委員会とは、社会に蔓延る「現実」と我々の持つ「空想」が対立したとき、あくまで「空想」の側に立つ組織である。また、我々自身の内部において「空想」が対立することを認める組織でもある。それこそが「現実からの解放」である。だから空想委員会は、もちろん人類の根源的な願いの一つとして平和の実現をも目指してはいるが、しかしあらゆる対立をなくすことはなく、むしろ空想委員会自身が対立の発端となることもあるだろう、とするのである。

 

・「空想」の意味

「なぜ、『真理』に立脚し『現実』と対峙するものを『空想』と呼ぶのか」

 空想委員会についての解説を聞くとき、ほとんどの人はこう思うと思う。だがしかし、今日の「所見」でこの答えがだんだんわかってきたかと思う。ここでコトバンクに収録されている各辞書・事典から「空想」の解説を抜き出してみる。

ブリタニカ国際大百科事典

「(1) fantasy 心理学的には,比較的非現実的でかつ創造的な想像活動の一形式。直面している現実の課題状況を直接解決しようとするような目的性をはっきりともたずに,そのときの感情や欲求,その他,気まぐれな内的状態によって方向づけられて,新しい観念や心像をつくりだす働きのこと。 (2) fancy 文学では中世以来想像とほぼ同義に用いられるが,区別される場合は,創造的芸術活動として位置づけられる。ロマン主義時代にいたって,創造の源泉を理性以外に求める必要が生じると,空想への関心が高まった。イギリスでは 19世紀初頭 S.T.コールリッジが,空想を統一原理なしに心象を並べる力と定義し,心象を融合・統一する創造作用としての想像 (想像力) と峻別して下位の精神活動とした」

デジタル大辞泉

「[名](スル)現実にはあり得ないような事柄を想像すること。「空想にふける」「空想家」」

世界大百科事典 第2版

「現実とはかけ離れて新しく作り出された独特の想像のこと。類縁の言葉に夢想,白昼夢,妄想,幻想などがある。空想は非現実的,創造的,独自的などの特徴をもつ思考の表象作用であるが,多分に視覚的・画像的傾向がある。正常成人の覚醒思考でも見られるが,夢や薬物中毒その他の精神病的状態で顕著であり,天才,精神遅滞,幼児,未開人の思考にもみられる。空想は音楽,絵画,文学などの芸術や哲学,宗教から発明,発見などの科学的分野にまで関連しうる」

日本大百科全書(ニッポニカ)

「現実ではない虚構の世界をあれこれ思いめぐらすことであるが、空想には二つの異なる側面がある。その一つはまったく非現実的で「幻想」illusionとよばれるものに近く、他の側面はより現実的で「想像」imaginationとよばれるものに近い。幻想の意味で空想が取り上げられるときには、現実に満たすことのできない願望を空想活動によって満たすものと考えられる。この意味では、空想と願望は密接な関係をもっている。投影法的な心理検査法の一種である主題統覚検査(TAT:Thematic Apperception Test)では、ある状況を描いた刺激図版を提示して空想的物語をつくらせるが、これは空想のなかに願望がよく現れることを利用して、心理的検査を行おうとするものである。昼間に抱く白昼夢とよばれる幻想においても、夜の夢においても、願望は幻想的ないしは幻覚的に充足されている。だから、夢は願望を充足するものといわれる。

 これに対して、想像とよばれる空想では、空想そのものが構想力をもつことが強調され、過去経験の単純な再生や再認とは区別される。また、現実に縛られた考えしかできず、想像力がないからいい考えが浮かんでこないというときには、想像力は創造力をも意味しており、現実から空想に逃避するのでなく、空想によって現実を把握しようとする働きがある。幻想と想像は空想の両極端をなすものであり、空想のなかにはこの二つの特徴が含まれている。だから心理治療の観点からいえば、空想は症状として現れるものであると同時に、症状をつくりだすことによって治癒しようとする試みであるということができる。精神分析は、方法論的にいえば空想の研究であるということができる。

[外林大作・川幡政道]

フロイト著、高橋義孝訳「詩人と空想すること」(『フロイト著作集3』所収・1969・人文書院)』▽『チャールズ・ライクロフト著、神田橋条治・石川元訳『想像と現実』(1979・岩崎学術出版社)』▽『ジャン・ラプランシュ、J・B・ポンタリス著、福本修訳『幻想の起源』(1996・法政大学出版局)』▽『ロナルド・ブリトン著、松木邦裕監訳、古賀靖彦訳『信念と想像 精神分析のこころの探求』(2002・金剛出版)』」

精選版 日本国語大辞典

「〘名〙
① (━する) 実際にはありそうもないこと、実現しそうもないことなどをあれこれ想像すること。
※当世商人気質(1886)〈饗庭篁村〉五「空想といふものの貴といのは幾らか実地に似寄りて立派な普請をする下図のやうなものなればこそなれ」
※郊外(1900)〈国木田独歩〉二「例の如く空想にふけり乍ら歩いた」
② 仏語。空(くう)に執着する考え。空見。〔摩訶止観‐五・下〕」

世界大百科事典内の空想の言及

「【幻想曲】より
…ファンタジーの訳語で,作曲者が伝統的な形式にとらわれず,幻想のおもむくままに自由に作曲した作品をさす。内容は,国,時代によって複雑かつ多様であるが,三つの主要なタイプに大別される。(1)16~17世紀には,対位法的書法によるリュート鍵盤楽器器楽合奏のための作品の名称として,フーガの前身をなすリチェルカーレとほぼ同義に用いられた。(2)幻想性,即興性を強調した幻想曲本来の姿に密着した作品で,J.S.バッハの《半音階的幻想曲とフーガ,ニ短調》,モーツァルトの《幻想曲,ニ短調》,ベートーベンの《幻想曲,作品77》,シューマンの《幻想小曲集,作品12》,リストの《パガニーニの〈鐘〉による華麗な大幻想曲》など。…

【ファンタジー】より
ギリシア語のファンタシアphantasia(〈映像〉〈想像〉の意)に由来し,一般に幻想を意味するが,文学においては夢想的な物語全般に冠せられる名称。童話,妖精物語,メルヘンなどと呼ばれる従来の文学ジャンルに,深層意識やシンボリズムなど現代的な意義が付されたもので,魔術や妖精といった超自然の要素が実際に機能する世界を扱う。とくに1960年代以降,社会秩序や権威を支える認識基盤に対する反抗が世界的に盛りあがるにつれ,若い読者層に歓迎されだした。…

※「空想」について言及している用語解説の一部を掲載しています」

 

 空想には3つの性質がある。

1.非現実性

2.個別性

3.創造性

重要なのは、「1」の非現実性と「2」の個別性があるからこそ、空想は自由であるということだ。そして空想は自由なればこそ、時に真理を暴き、時に新たなものを産む「3」の創造性を発揮し、人類の進歩に貢献していくのである。空想は共有されない。時に迫害を受け、時にこれ自体が対立を生じさせる。だがしかし、そうだからこそ「真理」と「理想」を確実に保存できるのは「空想」の中だけなのだ。そこに積極的な意義を見出したのが私であり、そして作った組織が空想委員会なのである。

 

1月9日

・個人的な真理と、社会的な嘘

空想=真理+理想/個人的なもの

現実=虚構+妄想/社会的なもの

 

 大澤真幸は昭和までの時代を「虚構の時代」と呼ぶ。「大きな物語」という「大きな嘘」の上に現実世界が形成されていた時代を表す、非常に的確な表現と言えるだろう。


 

・事実(ファクト)の時代

 大澤真幸に続く批評家、東浩紀は「虚構の時代」の次の時代を「動物の時代」と名付けたが、それに対して大澤真幸は賛同しつつも「反現実で現実を表して欲しかった」とも述べている(「自由を考えるNHKブックス、西暦2003年)。だが、東浩紀が結局「動物の時代」を言い換えなかったように、大澤真幸も結局は「動物の時代」を受け入れているように、私も「動物の時代」の言い換えを反現実で行うことには賛同できない。

 というのも、もはや現実は反現実でなど構成されていないからだ。前回の「所見」に次のような一節があったことを覚えているだろうか。

「人類は、現実=事実にしようと奮闘してきた」

しかし今でも依然として現実≠事実である。これは未来永劫変わることはないだろう……と私は書いた。それはそうだろう。しょせん我々は水槽の脳に過ぎないかもしれない存在である。そんな我々がいかに注意深く観察・観測を行ったところで、現実=事実だと思い込むのは単なる思い上がりである。人間の認知力には常に神によって限界が定められており、我々が人間である限り現実≠事実だとわきまえておかなければならない。

 とはいえ、我々が水槽の脳であったとしても、水槽の管理者=神が我々に閲覧を許可した「真理」は確かに存在する。それこそが、我々が日々暮らすこの現実世界、三次元空間、物理世界、つまり「宇宙」である。

 「宇宙」は神が我々に閲覧を許した「事実(ファクト)」である。その実態は水槽に浮かぶ我々の脳に送り付けられてきたデータに過ぎないかもしれない。地球も、月も、太陽も、すべてデータに過ぎないかもしれない。しかし、それがたとえデータであったとしても、神はこれらを我々自身にはデータとわからない形で、すくなくとも我々が通常取り扱うような形式でのデータだとはわからない形で、我々に対して公開しているのである。

 そして人類は、「現実=事実(ファクト)」にすることには、次第に成功してきたのではないだろうか。たとえば、人類は今ようやく、同性愛者の存在を社会的に認めようとしている。このように、今まで存在しないことにされてきたもの、排除されてきたものが、今現実の世界に登場し始めているように、私には思えるのである。また、最近「フェイクニュース」という言葉が盛んに聞かれるようになったが、そもそも現実世界を構成してきたのは虚構(フェイク)だったはずであり、誤解を恐れずに言えば、すべてのニュースはフェイクニュースだったわけである。それが今になって社会問題として認知されきた、ということは、いよいよ人類が虚構(フェイク)によって構成された世界から脱しようとしている、ということではないだろうか。

 もちろん、それは一方で混乱や逆作用を引き起こしてはいる。今日本の大人達が絶望しているのは、共産主義革命という「虚構(フェイク)」の希望が失われたからだ。だから人々は逆に新自由主義に邁進し、小泉純一郎鳩山由紀夫安倍晋三といった政治家を内閣総理大臣に祭り上げてきた。アメリカでも問題は同じだ。ドナルド・トランプが大統領に選ばれたのはフェイクの希望が失われ、ファクトの絶望に人々が直面した結果なのだ。

 だが、これは悪いことなのか? 私はそうは思っていない。確かにドナルド・トランプは死者まで出したが、しかし長期的にみれば更なる人類の進歩をもたらすのではないだろうか。論理的な予測はまだできないが、感覚的なビジョンとしてはほとんど確信していると言っても良い。

 

 フェイクは希望を見せるが、ファクトは絶望を叩きつける。だが本来希望は、事実という絶望の先にこそあるものだ。

 

 

・空想委員会の時代性

 空想委員会の組織目標たる「現実からの解放」もまた、現代を「事実(ファクト)の時代」と捉えれば、実に時代を捉えたものだということがわかるだろう。

 空想委員会は、第1に事実(ファクト)の時代を促進する。第2に虚構の時代を支えてきたものでもある人々の「願い」を保存する。そして第3に「事実(ファクト)」と「願い」の掛け合わせによるあるべき未来像、すなわち「希望」を提示する。この希望はフェイクの希望ではない。ファクトの希望である。これはフェイクの希望ほどには人々を熱狂させないものだろう。だがしかし、これはこの世という地獄の業火をいくらか弱めるものである。それは火災にスポイトで立ち向かうものかもしれない。だがいつか、ほんのわずかにでも火災を弱める可能性のあるものである。

 

 同時に、現実の猛攻はより一層激しくなるだろう。だからこそ、我々が必要になるのだ。現実が人々を、過剰に苦しめることのないように。