今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

私の所見(公開版)

旅客幹線鉄道整備から考える平成改革とこれから

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/71/5/71_I_629/_pdf/-char/ja 大阪産業大学工学部都市創造工学科の波床正敏教授との出会いはもう15年ほども前、Google検索で「紀勢新幹線」と検索したらブログ「鉄道で国づくり」の前身「本気でCO2削減するな…

人生の回復

3/28以降定時乗合交通の旅(全国乗合交通巡り 通称「のりのり旅」)をさらに加速させている。私自身会心の出来だったと思っているのは3/28の名古屋から京都への移動で、夕方から翌朝にかけて雨の予報だったため午前中から昼過ぎまで名古屋近辺でのりのり旅を…

世界観を作り直す(2)

前回の記事はどうも取っ散らかった内容になってしまった(※0)。なぜならばあの記事は私の思考を整理した結果それを他者に提示するために書いているのではなく、記事を書くことによって私の思考を整理する、というものだからである。それはこの公開ブログの…

世界観を作り直す(1)

「人は事実なき生き物である」 このフレーズは前回の記事にも現れたものであり、人生再興(空0年【西暦2019年】~)以後の私の世界認識の根源を形作るものである。 だがそれは良いとしても、では我々が日々それを事実であると錯誤して認識している「現実」な…

まともなことを言える自由

今私がいかなる自由を追求するか、ということを考えると、それは「まともなことを言える自由」へとたどり着くのではないか。 人は事実なき生き物である。真理の発見ではなく己の偏見への居直りに喜びを見出し、真理を求める対話の相手ではなく己の偏見を肯定…

公開ブログの記事拡充に向けて――あるいは今という時代の話

今の公開ブログの問題点は目的と目標が不明瞭なことである。 では何が目的かと言えば 1.アウトプットによる学習効率の増大・思考整理による行動の加速化 が第一に挙げられる。また 2.自己紹介カード的機能(→私が何者であるかを洗いざらい表示しておく) も…

それでも新しい路線は走る

私の乗りバスは廃止発表されたわけではないが本数の少ない路線と新規参入の路線を優先して行きたい。ただ「本数が少ない」というのは私の感覚では1日1本とかそういう路線のつもりだったが、昨今は毎時1本程度ある路線でもいきなり廃止になるから私もそのつも…

阪急全線乗車達成に寄せて

空4年2月28日(西暦2024年2月28日)、今津線今津駅においてついに阪急電鉄への全線乗車を達成した。これは名鉄、近鉄、京阪、阪神に続くものであり、名古屋・八木から日帰りで行ける範囲の大手私鉄線はすべて乗車したと言って良いだろう。残るは八木から遠い…

なぜ我々がこれほどまでに追い詰められなければならないのか

空想委員会の現状を一言で言い表すと表題の通りになる。内政はどうにか形にしたが満足の行く状況ではなくむしろボロボロと評すべきなのが現状であり、そして内政はボロボロだというのに外敵に有効な打撃を与えることは全くできていない。 この現状の理由は未…

空想委員会の攻撃性について

猛烈な自己嫌悪に陥りながら「自殺願望と他殺願望は暴力性が内に向くか外に向くかの違いに過ぎず両者は表裏一体の存在である」という話を思い出している つまり自殺願望の克服には攻撃性を適切に外側に向かって放出する必要があるのである。 なぜ世の中の仕…

破滅の向こうに

恐らく本当に死ぬことはないだろうから軽く聞き流して欲しいのだけど、私は今久々に死にたいと思っている。これほど死にたいと思うことは少なくとも過去1年以内にはなかっただろう。 何の話かと言えば秋のダイヤ改正の話である。わかり切っていたことだが廃…

「新年」を迎えたわけだけど

でもだからと言って今日を盛大に祝って欲しいかと言うとそれもまた違うのよね。 前回の記事で書いた通り、本日西暦2023年6月27日は空4年上6月27日であり、本日より1年間が「空想歴4年(空4年)」となるわけである。が、この紀年法を採用しているのは空想委員…

空3年の終わりに

・「空想歴」について このブログは謎ブログである、とTwitterで何度か言った記憶があるが、このブログが謎ブログである所以は「私の脳内をほぼそのまま公開すること」がこのブログの使命であると言えるからである。このブログの主要な要素である「空想委員…

趣味アカを越えて

いよいよ、私の人生が再起動しつつある。この「人生の再起動」というテーマにおける具体的な行動は多岐にわたるが、少なくともインターネット上での行動においては、その最後の仕上げは「Twitterの政治アカウントへの復帰」ということになる。ずっとそれが最…

「勇気」を持ちたいものだ

「規則を守る」ということが自明視され、「何のためにその規則があるのか」を問う能力が著しく減衰していると感じる。手続的正義は大事ですよ、でも手続的正義も暴走(という形容はイメージに合わないけど)するとクソな帰結に至ります。「規則を疑わず従う…

再出発

失った時間は取り戻せないというのは当たり前の話であるが、だからこそこの世で生きることは無理ゲーじゃないか、とも思う。 私が困難なのは20歳の前後約10年という重要な時期を、謎の自分内対立によって空費してしまったことである。結局2020年までの私とい…

記事を増やすか

いつかどこかで言ったような気もするけれど、私はTwitterが性に合っているとも思っていないのだけど、しかし実際問題としてTwitterにあまりにも慣れ過ぎており、他のメディアがどうもうまく使いこなせないところがある。ブログを持つことについてもその必要…

猛烈なこだわり

もう一つ面白いのがファストリは山口、ダイソーは広島(西条/東広島市)、オーケーは出身こそ東京ながら現本社は横浜であり、純然たる東京企業が一つもないこと。こういうのを見ると東京一極集中がそこまで絶対的なものだとも思えなくなってくる。 — 空想委…

近状、そして正義

0.近状 「軌道に乗った」という記事を書いてから妙に時間が経ってしまった。あれから私は1月末まで特にこのブログの記事を書くこともなく八木に滞在し続け、その後名古屋に帰省し、実にそのまま4月末まで名古屋に滞在していた。なぜそんなに間が空いたのか。…

あら

kazetosoratokumo.hateblo.jp ↑この記事でリンクを貼らせてもらった和歌山大学の研究室のページが突如閉鎖されていることに気付いた。まあ本来はこのページではなくて池谷裕二氏の「進化しすぎた脳」を私自身買って読んでそちらからの引用にすべきだとは思っ…

八木で暮らすということ

↑私は西暦2022年2月以降京都府南丹市八木町に滞在している。平成の大合併以前から「町」だった自治体の中心市街地を「田舎」と言ってしまって良いのかどうかは正直戸惑うところもあるのだが、しかし人口200万人を超える名古屋市と比べれば京都府第二位の面積…

なぜ常識への埋没が不可能なのか

Twitterではこのブログのことを私自身「謎ブログ」と呼んでいるが、実際このブログはほとんどの方には全く理解不能だろうと思う。私が恐れるのは理解不能であるが故に右翼だ左翼だオタクだ厨二病だと適当なレッテルを貼り付けられてネット民の正義の名の下に…

空想委員会とは何か

まあ大多数の方は気付いていただろうが、私のかつてのHN「空想委員」とは「空想委員会の委員」という意味だった。今は臼井空に変えたわけだが、正直今でも空想委員の方がしっくりくる(笑)これは何も空想委員というHNを長く使い続けたからだけではなく、私…

公開ブログの目的

何かを語る場所の必要性はかなり前から痛感して久しい。そもそもTwitterを作る前からブログを作る構想は頭の中にあったくらいである。ただとりあえずTwitterアカウントを持つことができてしまったこともありブログ開設が停滞し続けていた。 そもそもなぜ何か…

反省の辞 ――このブログの初めに――

西暦2012年8月に最初のTwitterアカウントを作ってから、今年で9年目になる。ということはすなわち、私が機能不全に陥ってから9年目になる、ということだ。その機能不全期間と共にあったTwitter旧アカウントは、わけのわからないアカウントだったと思う。少な…