今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

国土利用と地方創生

 何度も言っているがこのブログは趣味のブログであり、私の趣味と言えば第一に定時乗合交通である。6/16から東海地方でものりのり旅を開始したこともあり、ぜひこのブログでも交通の話、特に一般にはあまり知られていない路線の話などをしていきたいと思っているのだが、その前に国土利用の話を考えていきたい。

 一般に交通計画は国土計画の下部構造である。日本における国土計画とは国土形成計画法に基づく「国土形成計画」であり、最新版は第三次のものが西暦2023年(令和5年)7月28日に岸田内閣によって閣議決定された。

 

www.mlit.go.jp

 

 交通需要は派生需要である。ごく一部の特異な人々を除き、基本的に人は何か他の活動を成し遂げるために移動という行為を行う。それを支援するのが交通機関の役割であり、そしてその「何か」とは即ち、人々がどこに住み、どこで働き、またどこで遊ぶかという問題になるわけである。つまり交通を論ずるのならばその前提として国土を論ずる必要があるのである。

 

八木大堰橋

名古屋市久屋大通公園

 国土の話というものは、どうしてもその人物のバックボーンや「好き嫌い」に大きく左右されることになる。そこで私のバックボーンと「好き嫌い」を改めて提示しておくと、私が過去住んだことがあるのは愛知県名古屋市鶴舞駅近くと京都府南丹市の八木本町の2か所である。これは私が東京のような極端な大都会を好まず、むしろ田舎の方を好んでいることを意味している。とはいえ私は現代の消費社会を高く評価しており、都会は必要なものだと考えており、人類があまたの苦労を乗り越えて都市公害を克服し多くの人々が都会で暮らせるようになったことは単純に素晴らしいことだと思っている。また私は定時乗合交通を好んではいるが、一方で自家用車の利便性も高く評価しており、いわゆる「車社会からの脱却」は推進する立場ではあるが、それは強制力を伴い利便性を阻害するような乱暴なやり方ではなく、あくまでも公共交通機関(※1)の利便性向上の結果成し遂げられるべきものであり、また現状公共交通機関の整備のみで人々の生活が改善するとは事実として考えられない以上、道路整備や郊外型商業施設の整備は合理性の範囲内で推進していくべきだと考えている(※2)。ただ居住地については、郊外住宅地開発の歴史はかなりの面において「二度と繰り返してはならないもの」であると認識しており、かなり強い規制をかけて然るべきものだろうと考えている。

※1 あまり厳密に使い分けることができているわけではないが、「乗合交通」と「公共交通」は使い分けていきたいと思っている。「乗合交通」は事実として運賃さえ負担すればだれでも乗ることができる乗り物のことであり、一方で「公共交通」は自家用車に頼り切る場合の外部不経済(→都市部における渋滞や、運転することのできない人々の移動の問題)を解消するために政策的に運行される乗り物のことを指すべきだろう。そして特に過疎地においては、公共交通は必ずしも乗合交通である必要はないものと考えている。またこの区分はあくまでも旅客のものであり、貨物輸送については今後改めて考えていきたいとも思っている。

※2 目的地への行き方を質問されたとき、自家用車の利用を勧めることは普通にある。下手すると5割くらいは自家用車を勧めているのではないかとさえ思う。

 

 

 私が国土について語るとき、第一に考えなければならないのは「地方創生」の話である。私は結局今は名古屋に帰ってきたが、とはいえ本音を言えば何とかして八木(南丹地域)に住みたいとも思っており、実際西暦2022年~24年(空2年~4年)までの八木での居住は決して観光のようなものではなく、八木の住民の一員として実際に生活し、あの街を今後どうしていくべきか考えていたものである。

 つまり地方創生については、賛成か反対かと言えば全くの賛成なのである。ただ、これは交通の話にも通じるのであるが、私が実際に八木に居住して導き出した「あるべき地方創生」というものは、この問題に現在最前線で取り組んでいる(ことになっている)人々からすれば全く受け入れ難いものではないか、とも思うのである。私の認識はむしろ田舎への公共投資を税金の無駄使いとして批判するような人々と見解を一致するところも多いのであるが、しかしそのような人々とは地方創生の必要性という基礎的な部分において見解を一致できない。つまりはどっちつかずだ、ということになるのだろうが、これは前回の記事でも書いたように私がおかしいのではなく、むしろ他の人々の方が机上論に終始しているということなのだろうと思う。私の見解にもし賛同する人がいれば、それは都会から田舎に移り住んで地方創生と称する何らかの活動を行うような人ではなく、政治活動に邁進するような人でもなく、むしろ田舎に生まれ育ち、不便を認識しながらも田舎に住み、あるいは田舎を想いながらもはるか都会に旅立った、ごく一般の生活者なのではないかと思う。

 

 そもそも地方創生は何のために行われなければならないのだろうか。私は、以下の1点に尽きると思っている。それは

国土の維持のため

である。

 地方創生への批判として、その経緯からして個人をないがしろにしているのではないか、というものがある。代表的なのが中澤高志氏が著書「住まいと仕事の地理学」で述べている見解であるが、私もそれは賛同する面もあるものの、しかしだからと言って個人の幸福を主体としたとき、地方創生的な政策は考えにくいものがあるのではないか。「住めば都」という言葉があるように、人間はどんな国土であろうともそれぞれの人生史や価値観、経済状況に従って居住地を探し求めるのであり、そこで妥協しながら暮らしていくものである。もし仮に日本国内の定住地が関東平野のみになり、他が無人の山野になり果てたとしても、そこで暮らす人々に集中して資本投下が行われた方が人々のQOLは主観的にも客観的にもむしろ向上するのではないかとさえ思えてならない。ただしそれは、無人となった北海道や沖縄が外国軍の前進基地にでもならなければの話であるわけだが。

 

↑この本の見解に賛同する人が多いのは理解できるのであるが、しかし私には”日本左翼的なもの”の限界を表しているように思えてならない。

 

 これはとはすがたりさんの「道路族のぺーじ」を読んでいたときに思ったことであり、その後も新自由主義的に都市への集中投資を張り叫ぶ主張を見かける度に思うことなのだが、本当に人々が都市部(→それはつまり太平洋ベルトのことであり、首都圏のことだろう)に集住し、それ以外が無人の山野になったとして、そうなったらどうなるかを真剣に考えたことはあるのだろうか? またとはずがたりさんは元自衛官ということで、武力も使った平和維持も主張しておられるが、もし自衛官が命がけで守る国土が無人の山野ばかりでは、それで良いのだろうかと疑問に思うところである。実際には広い無人地帯を有する国家は多く存在するわけであるが、さりとて例えば世界最大の国土に日本とほぼ同じ人口しかいないロシア連邦でも人々の定住地は決してモスクワやサンクトペテルブルクだけにはなっておらず、モスクワから見ればはるか東の果てである択捉島国後島にも戦略的見地から軍事施設のみならず民間施設も整備され、一般人の移住も強力に推進されているのを見ると、「一般人が住む」ということの意味というものを認識させられるように思えてならない。

 

tohazugatali.iza-yoi.net

↑エモーショナルな地方創生論者が見れば憤死しそうなことがそこかしこに書いてあるが、しかし私としては主張の事実性という意味においてエモーショナルな机上論よりもはるかに優れたものだと主張したいところだ。この内容への反論は、あくまでも定量的・実際的に行われるべきである。なおとはずがたりさんは現在もTwitterの相互フォロワーであるが、このページの内容から受ける印象よりははるかに田舎を愛しておられることも付言しておきたい。

 

www.nhk.or.jp

「ロシア国境警備局による上陸手続きを済ませ、日本製の中古車に乗り込んで島内を走ると車窓からはカラフルな建物の数々が目に入る。はじめに案内されたのはここ数年で完成したばかりのスポーツ施設や幼稚園。幼稚園には140人の園児が通っているが、ロシア政府の支援策で人口が増えているため待機児童までいるという。建設中の公共住宅もあちらこちらに目に付く。インフラ整備が強化されているのは、北方四島の開発のために、ロシア政府が大規模な予算を投入してきた結果だ。千鶴子さんが話してくれた「ふるさと」はどこにも見当たらない。ロシア政府は北方四島に国民を移住させる政策も続けている。獣医師のビクトル・コスタエフさん(37)は、政府の募集に応じてロシア中央部の町から7年前、家族と移住してきた。驚いたのはその給料だ。移住前に1万2000ルーブル(日本円でおよそ2万円)だった月給は7万5000ルーブル、実に6倍以上に増えたという。ロシアのほかの地域と比べてもひときわ高く、コスタエフさんは所得増を実感していた。さらに、15年間住み続ければ、年金の支給開始年齢が5歳引き下がり、55歳から受け取れるという。大胆な移住支援策を目の当たりにして、北方領土の「ロシア化」が着実に進んでいる現実を見せつけられた思いだった」

↑日本がロシアとまともに張り合い、北方領土も本気で奪還するつもりなのならば、せめて根室周辺くらいは同様の施策をやれないものかと思う。逆に言えば、やはり地方創生というのは国防の延長線上にある話なのであり、それは「国土を命がけで守る」ということが基盤にあってこそ成り立つ話なのであり、非武装反戦平和主義と地方創生もまた共存し難いものなのではないかと思えてならない。たとえばウクライナが有事において平然と東部を見捨てるような国家なのならば、平時において東部への公共投資もまた行われることはないだろう。

 

 私はかつてTwitterの相互フォロワーであるクレカ勉強中さんへのDMの中で「私は都市に対するものを表現する言葉として「田舎」を好み、「地方」は好みません。「田舎」は事実として居住する人間の少ない場所を指す言葉ですが、「地方」は国家を主体としてその一部を指す言葉であり、この言葉を都市に対するものとして使うのは都市(≒首都≒東京)を特別なもの・主体的なものとし、それ以外を従属的なものとする見方を固定化・内面化しているように思われるからです」と書いたが、この宣言通りこの記事においても非都市化地域のことを「田舎」と書いているわけだが、それでも地方創生については「地方」創生と書いているのはこの政策がまさに「国家的な政策」だからである(※3)。それは日本が領域国家としてこれからもあり続けるためのものであって、日本列島がこれからも日本であり続けるためのものなのだ。ニセコのような外国資本も活用した地域活性化も私は基本的に賛成しているが、それは外国に国土を明け渡すためではなく、目的は全く逆というわけである(※4)。

 

※3 このDMの中で「地方創生」に言及した箇所は以下の通り

「国家的な政策用語としては使わざるを得ない面もありますが、それでも”地方分権”は中央政府が上から目線で”地方に施しをしてやる”というような傲慢さを感じますので田舎の活性化策を語る文脈では使わないことにしており、「地方創生」という言葉を使うことにしています。「田舎」も差別的に使う人も居ますが、私はこの言葉は全くの事実を表す言葉として使っています」

※4 海外企業による平和的な投資を間接侵略のように扱うのは筋違いだろう。グローバル化の進む中で海外の投資を呼び込まないというのはその方が無理のある話であり、日本企業が海外に進出するように日本国内にも海外企業が進出するのはむしろあるべきことである。不動産の所有権が海外企業になったのならば、その企業に固定資産税を納付させれば良いだけであり、納付しないのならば税の滞納で差し押さえれば良いだけである。先のNHKの記事を見ても北方領土の通信線は中国企業が敷設しているということであり、それはロシアが自国の判断で第三国の資本を導入したという意味においてむしろ主権の主張を補強するものになっているのは大変興味深い。そもそも私は日本は12の地方からなる疑似連邦国家だと思っており、関東以外から見れば東京本社の企業は「外国資本」だと思っている。

 

↑仰る通り

 

 もちろん実際に戦争が起これば国境地帯は戦場になってしまうのであり、実際にそこで人々が生活するには平和状態が維持される必要があることは言うまでもないわけだが。

 

 では、具体的に地方創生はどのように進められるべきだと考えるか。それは全く冷徹に、欲しいものではなく「必要なもの」を見極めるより他ないだろう。そして量的なものではなく質的なものにおいて、ある程度は「東京と同じ」になることを目指し、また覚悟しなければならないと思う。

 というのも、エモーショナルな机上論の下で欲しいものを追求したり、量的に東京と同じものを志向した場合、それは昔ながらの商店街や百貨店、利用者の居なくなった旧式の鉄道路線、あるいは過剰な土木インフラと言った、端的に言って「いらないもの」を住民に押し付けることになるからである。田舎はそのような「いらないもの」にばかりあふれ、「必要なもの」が無いからこそ人々は都会へ流出したのである。同じことを繰り返していても同じことを繰り返すだけである。

 

www.itmedia.co.jp

 

 実はこの文章を書いているのは元々家族LINEでこの↑記事に言及したことが元になっているのであるが、私は冒頭の南日本新聞の記事については出たときからその存在を把握しており、そして私は山形屋の経営問題については同情しつつも、しかし窪田順生氏と全く同じ見解を私も抱いていたところである。

 一畑百貨店については島根県唯一の百貨店であり、そして完全独立資本でかつ政令市に所在するわけでもない地方民鉄の百貨店としては唯一の存在であったことから、その閉店についてはTwitterでも取り上げたところであるが、さりとて一畑百貨店の閉店がそこまで大問題かと言えば、そうとも思わないのが正直なところである。

ja.wikipedia.org

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www.city.matsue.lg.jp

 

 商業施設の命運を決めるのは何といっても立地であるが、一畑百貨店が所在した松江駅からは徒歩7分でイオン松江SCに着くわけであり、また松江駅自体松江市中心市街地活性化計画の対象地域にはなっているようだが、とはいえ松江城より川を挟んだ反対側というのは元来の松江市の市街地というわけでもないのだろう。一畑百貨店自体元々は城下の殿町にあったようであり、松江駅前に移転したのは西暦1998年ということであり、またそもそも一畑電車松江駅ではなくこちらも城下の松江しんじ湖温泉駅に発着しているのであって、総合的に見て松江駅前というでのは微妙な立地であると思わざるを得ない。致し方なかった面も大きいのだろうことは察するに余りあるが、とはいえこの位置での商業開発はJR西日本に任せておくべきだったのであり、一畑百貨店は城下を死守するか、縮小してでももっと一畑電車と相乗効果を発揮できる場所に出店するか、さもなくばもっと郊外に移転して郊外型SCに成り切るかするべきだったのではないかと思えてならない。丸広百貨店東松山店もそうだが、要は微妙な立地の商業施設が市場原理で淘汰されたということだろう。

 

www.zaikei.co.jp

↑もっとも財経新聞によれば売上が史上最大だったのは西暦2001年ということで、つまり松江駅前への移転は「一度は当たった」わけではあるのだが

minamimitsuhiro.info

↑本記事における一畑百貨店の分析はファッションライターの南充浩氏の見解を大いに参考にしている

www.google.com

blog.livedoor.jp

丸広百貨店東松山店も、駅と市役所の間ではあるが駅直結というわけでもなく、さりとて西友ほどの駐車場があるわけでもなく、やはり微妙さは拭えないのではないかと思う。それにしても池袋まで直通の通勤電車が発着するような場所でも郊外型SCに駅前商業施設が敗れ、イトーヨーカドーザ・プライスすら閉店してしまうとは、いかに現代の商業施設において駐車場が必要不可欠なものであるかを物語るものだと言えるだろう。

 

 つまり、端的に言ってこれら消えゆく百貨店が必要なものだとは思えないわけである。まもなく閉店する百貨店といえば、丸広の他にも岐阜高島屋と松本の井上百貨店が控えているが、岐阜もつまりはもう柳ケ瀬が商業地ではないということなのだろう(※5)し、松本も百貨店自体の郊外移転として興味深い実例であり、またパルコ閉店と相まって駅前の空洞化が懸念されるのも事実であるが、一方でイオンモール松本が中心市街地に隣接するように立地しているのもまた事実なわけである。もし仮にこれらの百貨店を何らかの市場原理以外の方法で残したとしても、それは街の賑わいの維持にもまた地方創生にも大して貢献することはないのではないかと思う。

 

※5 四日市・津・浜松にはまだ百貨店が残りながら岐阜から百貨店がなくなってしまったのは大変残念だが、しかしその立地は柳ケ瀬ではなく岐阜駅前であるべきだったのだろうと思っている

 

 これは地方都市に限らずであるが、そもそも商業施設は都市の中心部にあるのであり、居住地は郊外にあるのであり、人々は郊外から都市に買い物に繰り出すものだ……というような固定観念は取り払った方が良いだろう。もちろん今でもそうした行動もあるのだが、とはいえ現代は居住地については都心回帰の時代であり、一方で商業施設は郊外型の時代であり、人々はむしろ街に住んで郊外へと買い物に繰り出すようになっている。例えば商店街活性化の阻害要因として閉店した商店街の店舗も多くはかつての店主一家が住んでいるという話がよく挙げられるが、私が思うにそれはつまり商店街は宅地に転換したということなのであって、もうそこは商業地ではなく宅地なのだと認めた上で新しいまちづくりを考えるほうが建設的なのではないだろうか。

 この典型例だと思っているのが滋賀県大津市で、におの浜にあった西武百貨店はマンションに代わり、その隣にあったパルコは平和堂に代わって日常的な買い物の場となり、一方で休日の買い物の場はといえば、それは近江大橋の向こうにあるイオンモール草津や、さらには三井アウトレットパーク滋賀竜王になったのであって、それらは近隣の政令市である京都市とは真逆の方向であることも含め現代の都市と商業地というものを如実に物語る実例となっているように思う。

 

西武大津店はマンションになった。この立地は東海道本線膳所駅から続く商店街の突き当りなのだが、現代ではこの立地は商業地ではなく住宅地ということなのだろう

パルコ跡にはフレンドマート平和堂の食品スーパー)とTSUTAYAが入居する。映画館もあるが基本的には日常の買い物をする場所だろう

 

イオンモール草津は西武・パルコ跡地から近江大橋の反対側に位置する

近江大橋は琵琶湖を渡る橋の一つで、現在は無料開放されたがもともとは有料道路だった堂々たる橋である。左端に小さくイオンモール草津が見える

 地方創生は過去の賑わいを取り戻す、というような発想では成立し得ないのだと思う。それより今を生きる人が何を求めているか、これからの人口でどの程度のインフラが維持可能かを冷徹に見極め、必要なものを維持・整備していくことが求められるだろう。

 それは衰退を受け入れるとか、不便を受け入れるという話では全くない。その逆である。百貨店で言えば、これからの時代に必要なのは中心市街地に大きく聳え立つ商業施設ではなく、スーパー・コンビニで扱わないような高級品やおしゃれ用品を扱う小規模な店舗であるだろう。そしてそれを、単にかつての百貨店の代替としてその跡地に整備するのではなく、もっと現代的な意味で便利なイオンモールの中とか、あるいは百貨店など存在したことのないような田舎町にも展開していく。大規模な百貨店は無くなっても、そこで扱っていたような品物をむしろ街まで買い出しに行かずとも、田舎町でも買えるようにする。そうして量的にではなく質的な意味において、つまりは規模は小さくても利便性において東京での生活にも遜色のないものにしていく必要があるだろう。それがまさに、地方創生を成し遂げるということだろうと思う。

 具体的には、今では店舗営業をほぼ終了したが、私の姉の店が挙げられる。姉の店は規模としては非常に小さく、八木の商店街の古民家を改装し、その一角で営業していたものであるが、扱う商品はといえば地元の工芸品等であり、お世辞にも安いとは言えないものばかりであったが、だからこそただ八木で売るだけではなく京都の高島屋にも商品を卸しており、商品の質はなかなかのものであるようである。当たり前だが八木という街には百貨店はなく、ここにそのようなものを誘致しようと考えた人すらいないだろうが、しかしこのような形で規模は大変小さくとも百貨店で扱うような商品を扱う店ができたというわけである。これはつまり、八木に初の百貨店ができたと言っても良いのではないだろうか。実際姉がいうには南丹地域にはこういうおしゃれな店はなかなかなく、だからこそ重宝されているのだという話であり、今は店舗営業こそ終了したが通販や卸での営業は継続している。地方創生において必要なのはまさにこういうことだろう。つまり地方創生に必要なのは生活者の視点であり、男性よりも女性の視点の方がより当を得たものになるのではないかと思う。土木インフラ整備もこのような活動を支援するものであるべきであり、また地方創生推進派の野党支持者が言うような政治的な大変革が必要かどうかは微妙ではないかとも思う。

 

 今後私はますますのりのり旅や街歩きを拡大していきたいと思っているが、その中ではこのような視点で街を見、また必要な政策の推進を主張していくつもりである。

 

【追伸】

 全画像にキャプションを入れてみた。功を奏するだろうか……。