今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

旧立憲最右翼の記憶

 前回の記事は些細なと言えば些細な話から私の思想性を炙り出したものであったが、あの内容を考えているとき、同時に思い出していたというか考えていたのは「なぜ私が立憲民主党の支持者をやっているのか(※0)」ということだった。今回はそれについてまとめてみたい。

 

※0 支持者とは言っても選挙協力をしているわけでもなく、ただ毎回選挙で票を入れているというだけなのだけど

 

 まず最初に断っておくが、私は日本の政治についてあまり詳しくはない。私の関心事は人類の普遍的な本質だとか、その中での日本思想の特徴だとかであり、あくまで日本ローカルの、それも歴史的経緯の上でとはいえ日々変動し続けている日本政治の諸々については、正直そこまで関心が無いというのが本音である。ただ、私も日本に参政権を有する一有権者であり、当然選挙にもなればその権利を行使しなければならないことと、また空想委員会日本本部は多分に私の思想性・政治性が問われる活動であること、私の趣味も政治に直結するものばかりであること、そしていつかは念入りに調べ、強くコミットする意思があること(※1)から、Twitterのヘッダーには「立憲民主党支持」と記載している。かつては「消極的立民支持」などと書いていたものだが、泉代表になってからというもの積極的に支持できると思えるところも増えてきたため、今は「消極的」の文言は外している。

※1 たとえばポイントやキャッシュレスについては、いずれは念入りに調べて大々的に導入したいしそうしなければならないとかなり前から思っていた。結果的に着手は西暦2021年となり、そして趣味の一分野となったわけであるが、おそらく政治もいずれはそうなるだろうと思っている節がある。いつになるかはわからないが、しかし昨今立憲民主党が本当に政権交代を成し遂げるのではないかと思うことが増えてきたため、私もいよいよ腹をくくらなければならないかとも思っている。

 

 とはいえ、私は立憲民主党については西暦2017年に旧党ができてから延々と投票し続けているのもまた事実であり、その意味では古参の支持者とも言える。これも正直私の本来の党派性的にはむしろ旧国民民主党の方が合っていたのではないかと思うこともあり、私は「旧立憲最右翼」辺りに居たのではないかと思うこともあるが、その真偽はともかくとして、少なくとも言えることは

 

 希望の党には絶対に投票したくなかった

 

からこそ私は立憲民主党支持になったということだ。

 

 立憲民主党とは何か。それは旧民進党都民ファーストの会を母体とする「希望の党」への合流を決めたとき、リベラル派や左派を「排除する」とされたことに反発した政治家とその支持者が枝野幸男氏を代表として結党した政党である。故に立憲民主党の本質は「包摂政党」であるというところにあるのであり、その精神は現在の綱領にも表れている。

 

cdp-japan.jp

「わたしたちは、「自由」と「多様性」を尊重し、支え合い、人間が基軸となる「共生社会」を創り、「国際協調」を目指し、「未来への責任」を果たすこと、を基本理念とします」

 

 西暦2017年の記憶は私も不鮮明なものになってしまっているが、当時の私がなぜ希望の党に反発したのかは明らかである。それは「排除」に対して反発したのだ。そこで排除される人々が私の支持できる人々かどうかは関係ない。私はとにかく「排除」に反発したのである。

 私は左翼というものに対しては批判的だと自覚している。西暦2017年当時はまだ陰謀論的なもの(※2)に対するカウンターとして左派知識人等に期待していた頃ではあったが、かといって私が彼らに全面的に賛同していたわけではなかったことは、私が日本共産党ではなく民進党立憲民主党を支持していることからも明らかである。とはいえ、これは今でもそうなのだが、一方で日本社会は未だ左翼の存在を前提として成り立っているのは事実であり、その主張内容はともかくとして社会的機能としては未だ必要な存在であると認識しているのだ。

 

※2 というか「ネトウヨ的なもの」

 

 自民党支持者・維新の会支持者からすれば全く信じがたいことかもしれないが、今でも少し旅をすれば日本共産党のような左翼政党のポスター「しか」貼っていない地域というのは実際に存在するのであり、そういうところは例外なく地域に微妙な問題を抱えているのである。そこには右派が取りこぼしてきたものが確かに存在し、左派に頼らざるを得なかった問題があるのである。

 繰り返しになるが、私は左翼、特に日本左翼には批判的だと自覚している。しかし、だからこそ逆にその社会的機能を継ぐ存在は必要だと考えている。そしてそれを新しい日本左翼とし、右翼と対峙する存在に育て上げる必要があると考えているのだ。

 確かに、私も日本共産党社民党の主張はどうかと思うことも多く、立憲民主党もやれ泉を下ろせだのなんだのと騒がしい、維新の会との協力を匂わせるだけで中傷の嵐を浴びせてくるような連中はさっさと消えて無くなってくれと思うこともあるが(※3)、しかしだからこそ主義主張は別に継がなくて良いものの、社会的機能としての後継者は必要なはずなのである。つまり左翼は排除するのではなく、それに代わるものが必要なのであり、そのためにも人員もある程度は引き継がなければならないだろう。私は日本共産党社民党立憲民主党の左派の支持者も別に消えて無くなっても良いと思うが、それはある日突然暴力的な方法で消えるのではなく、あくまで穏便に「気づいたら無くなっていた」くらいが良いだろうと思っている。

 

※3 確かに維新の会とは主義主張に相違があるが、とはいえお互いに国会の野党第一党と第二党の関係なのであり、その主張に賛同するか否かはともかくとして実際の政治を進めていく上では嫌でも一定の協力関係はむしろ無ければならない間柄であるはずなのだが

 

↑西暦2023年9月に私は京阪バスで門真団地へ行ってきたが、ここの住環境は「必死で守」られているらしく、また地域の核たるスーパーコノミヤのフェンスには日本共産党のポスター「だけ」が張ってあった。大阪府内にもまだこんなところはあるのである

 

 だから私は立憲民主党を支持しているのだ。そしてだからこそ野党共闘の時代には日本共産党との選挙協力も支持したのである。党が実際の政治を進める上で必要と判断するのならば自民党とも維新の会とも原則として協力を支持する。国政を担う公党(※4)であればどことも協力できるのが立憲民主党のユニークなところであり、そこもまた支持する理由の一つでもある。

 

※4 「公党」とは特定の政治家への人気ではなく、あくまで組織として政治を担いうる政党の意味で使っており、原則として立憲民主党自民党、維新の会、日本共産党の4党を指す

 

 だからこそ、私は立憲民主党に対して「○○を排除しろ」と主張する人々を支持することはできない。それは立憲民主党の本義にそぐわないものと認識している。往々にしてそれらの人々というのは旧立憲民主党が排除せずに守ったはずの左派の人々であることもあり、それもあって私は今の日本の左派の一員を名乗る気はさっぱり無いのであるが。