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旅客幹線鉄道整備から考える平成改革とこれから

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/71/5/71_I_629/_pdf/-char/ja

 

 大阪産業大学工学部都市創造工学科の波床正敏教授との出会いはもう15年ほども前、Google検索で「紀勢新幹線」と検索したらブログ「鉄道で国づくり」の前身「本気でCO2削減するならレイルウェイ」が出てきたことに始まる。そのときに進路を定めて猛勉強を開始するくらいの行動力が私にあれば私の人生も相当マシなものになったのだろうが、なぜかそうなることもなくたまにブログ記事を読んで満足するくらいの関係性を維持して今に至る。思うに私という人間は空1年(西暦2020年)に「現実からの解放」を掲げるまでは自説への拘泥があまりにも強すぎ、客観的な学術研究の場には特に趣味の中核たる鉄道の話においてはあまりにも適合的ではなさ過ぎたように思う。そうした性向が私の人生の迷走の要因ともなり、またこの私をして鉄道整備の工学的・定量的研究という方向性に行くことができなかったのは、いささか誇大的であることを承知で言わせてもらえれば私のみならず日本社会の最適な人員配置という意味においても大変不幸なことであったように思う。平成という時代には全く間に合わなかったが、今からでもこの遅れを少しでも取り戻し、せめてこれから始まるであろう、いや始まらなければならない日本社会の本格的改革にはほんのわずかでも貢献したいものである。

 

 冒頭の論文は波床教授の西暦2015年の論文であるが、この研究は西暦1990年以降の日本の旅客幹線鉄道整備が妥当なものであったかどうかを遺伝的アルゴリズムを用いて事後的に検証したというものである。この結果明らかになったのはこの間に推進された事業は必要なところに必要なものを作らず、不適当な場所に不適当なインフラを整備したということであり、まさに平成改革が確かに必要なものであったことを浮き彫りにするとともにそれが見事に失敗したこともまた浮き彫りにするものである。この研究はあくまでも西暦1990年当時の人口予測に基づくものであり、現在の状況とは相違するものであることには十二分に留意する必要があるが、とはいえここで示された高速鉄道網は現状からかけ離れたものであるばかりではなく、今まさに与党自民党を始めとする政治の場において議論されている方向性からも、またSNSなどで一般の人々が意見している方向性からもかけ離れたものであることに私は強い関心と問題意識を持たざるを得ない。すなわち日本は単に平成改革に失敗したのみならず、これからの社会運営のあるべき方向性からも明後日の方向を向いてしまっており、このままでは今後ますますこの国はあるべき方向から遠ざかり、没落の一途をたどっていくのではないかと思えてならない。

 

 この論文の結論によればフル規格新幹線とはあくまでも太平洋ベルトとその周辺に適合的なインフラであり、その一角をなす四国(瀬戸大橋区間)や場合によっては鳥取県内や小倉~大分と言った区間にも適合的である一方で現在現にフル規格新幹線が整備され営業運転を行っている岩手県盛岡市以北や長野県長野市新潟県上越市と言った区間には、実は適合的であるとは言い難いことが示されている。一方で中央新幹線については前提条件の相違により超電導リニアで整備すべき場合と従来型の鉄輪式で整備すべき場合とにはわかれるものの、いずれの前提条件においても全線フル規格で整備すべきである、ということになるわけである。そしてそれ以外の各地域においては、ミニ新幹線を含む在来線の高速化改良(時速160km/h以上)が妥当であるようである。

 これを読んで私が思ったのは旧国鉄官僚・角本良平氏の見解の妥当性である。角本氏は新幹線は地方開発的な目的ではなく本来の輸送力増強策としてのみ建設されるべきものであり、具体的には東海道筋に2本と首都圏通勤新幹線が必要なのであってそれ以外は建設すべきではないとしている。この見解は国鉄の自立経営の維持という側面から出されたものであり、当然のように地方開発的な方向性で主張する人々(多くの交通研究者・鉄道趣味者を含む)からは槍玉に挙がっているものであるが、私は事実として国鉄が多額の負債を抱え分割民営化という結末に至り、さらにその国鉄債務も未だ完済できていない状況を踏まえれば角本氏の見解も一理あるものだと以前より考えていた。今回の波床教授らの論文は、さすがに山陽新幹線上越新幹線まで建設すべきでなかったということにはならなかったものの、地域開発的側面を加味しても新幹線が妥当なのは太平洋ベルト周辺のみであり、その周囲にミニ新幹線を含むネットワークを形成すべきものであって、北日本などのへき地には別の交通整備事業又は振興策を用意すべきものであることを確認するものであり、角本氏の見解のある程度の妥当性を裏付けるものである。

 

「100km通勤が常識」になるはずだった? "限界状態"首都圏の救世主「通勤新幹線」6路線とは | 乗りものニュース

"TX級"高速新線があちこちに? 国鉄が何度も挑戦した「開発線」構想とは 「通勤新幹線」のなれの果て |

↑首都圏通勤新幹線については小久保せまき氏の記事の通りである

 

 思うに交通インフラ整備とは、強いリーダーシップが求められることも多い一方で全国一律での整備は妥当ではないものなのだろう。ごく最近のSNSにおいても、これからの時代に必要なのは鉄道か道路かみたいな論争(?)が見られるところであるが、実際にはこの春には根室本線富良野新得が廃止になった一方で北大阪急行箕面萱野まで延伸されたように、あるところでは鉄道が必要であり、またあるところでは不要(道路交通のみで良い)なものなのだ。自動車が発達し普及した現在においては、概ね自動車が満足に走行できる道路網が日本国憲法第25条に定める社会的生存権を充足するための最低限のインフラであり、これに加えて交通需要の大きいところでは鉄道がSDGsターゲット11.2を充足する「すべての人々に、安全かつ安価で容易に利用できる、持続可能な輸送システム」として整備されるべきものなのである。

 

sdgs-support.or.jp

 

 ではこのような、あるべき方向性のインフラ整備を推進していくにはどうすれば良いだろうか。それはやはり、トップダウンではなくボトムアップの国づくりをしていく必要があるように思う。そしてありもしない夢を追い続ける保守政党でもなく、革命ですべてを破壊しかねない左翼政党でもなく、自由・人権と持続可能性を本来価値とするリベラル政党が国政を担うべきなのである。アメリカ民主党を見ればわかるようにリベラル政党は今世界的に迷走とも言える状態にあることもまた事実ではあるが、とはいえこの理想に少しでも近づくべく、私は少なくとも当面の間の選挙においては立憲民主党に投票し続けることにしたい。そしてまたその一方で私自身虚妄ではなく事実を学び、繰り返される間違った啓蒙活動を批判し、この社会をあるべきものにしていく活動に微力ながら貢献していきたいと思う。