今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

私が保持しようとするものとは

 近頃は私の精神安定により自宅で大声を出すようなことも減ってきたのだが、今日(6/24)は久々に母に対して怒ることになった。これは今の私というものを知る上でかなり重要な事例であると思われたため、公開ブログでまとめることにする。

 

・経緯

 

 何で怒ることがあったかと言えば、私の自室の机の引き出しに入っていた文房具についてである。恥ずかしい話だが、私は名古屋では実家暮らしをしており、私の部屋というのも私が中学生の頃から使っている部屋であり、その部屋の机というのも勉強机なのであるが(※1)、その引き出しにかつては私の文房具が一式入っていたのだが、私が八木に行っている間に母がどこかへと片付けたのである。正直あの引き出しの中身は大変ぐちゃぐちゃであったし、有効に使っているわけでもなかったため、共有物として使うなら別に良いと容認していたものである(※2)。

 

※1 このままでは私も立派な子ども部屋おじさんになってしまう。別に結婚はしなくても良いが1人立ちはしたいものである。ただ現在はわずかな収入ものりのり旅に全投入しているような状態で、しばらく1人暮らしをしていた八木の部屋(→本来の用途は姉の店の倉庫)も12月で引き払う旨姉から連絡があったところである。正直私が今名古屋で進めている仕事が早ければ10月くらいに終わるため、そこからまた八木に戻ろうかとも思っていたのだが、これでは戻るに戻れなくなってしまった。

※2 これは西暦2022年のことである。そのときにも事後連絡だった記憶があり、それもどうなのかと思うが、とはいえそれは容認していたものである。

 

 ただ、それにしても共有文具類はどうも私の使いにくいものばかりで、それはつまり母の物ばかりということなのだろうが、では私の物だった物はどこへ行ったのだろうか。それを母に聞いたのであるが、母は

「知らない」

と答えたのである。聞けば母はそもそも私の文具をどこかへ移動させたことすら覚えておらず、共有の文具は皆母の物だとか言い出す。そして私の文具は私の部屋にあるのに私がどこにあるのかわかっていないだけではないかと言い出したのだ。

 

 私は怒った。

 

 なぜならば、これは私有財産の不当な侵害だからである。

 

 たとえペン1本であったとしても私の私有物は私の物である。それを母がどこかへやったというのならば、当然母はそれら私の私物をどこへやったのか私に質問されたら明朗に答える義務があり、それらを管理する責任があるはずである。どこへやったのかわからない、そもそも自分が移動させたことすら覚えていない、全部元から自分の物だというのであれば、それは私の私有物を不当に搾取したということになる。つまり泥棒である。許しがたい犯罪行為である。

 私は直ちに母を私の部屋に入れ、文具類がどの引き出しにあったか、そこが今どうなっているのかを説明し、かつて勉強机だったはずの私の机に文具類がほとんど何も残されていないことを事実を以て示し、移動させるとしたらそれをやるのは母だけであることも納得させ、その上でこれは私の権益の侵害であることを抗議した。母は納得して謝罪し、この件はこれで落ち着いた。

 

・評価

 

 この件は私が何に怒るのか、そしてどのように戦うのかを明らかにしていると言えるだろう。つまり私は権利の侵害に対して強烈に怒るのである。そしてその侵害がたとえペン1本であったとしても全霊を以て戦うのである。今回の件も、母がその罪を認めないようなら刑事告訴民事訴訟も取りうる手段はすべて取ることを想定したし、もし法制度が動かないようなら自力救済を行うと母にも通告したところである。

 私という人間は昔から舐められることが非常に多かった。私は一見すると穏健に見えるため「どうせ何をしても何もし返して来ないだろう」と思われることが非常に多かった。また私の主張も昔から常識外れであることも多く、私は実例を以て常識を批判しているつもりなのだが、それは私の認知能力が低いが故に何の疑問の余地もない常識を常識として理解することができないバカなのだと決めつけられることも多かった(※3)。

 

※3 これはSNSでより顕著だったことである。クラスでも笑い者ではあったが、本当に馬鹿にしていたクラスメートはほとんど居なかっただろうと信じている。ただ私の言っていることが私の主張通りに事実として理解されていたかどうかは相当疑問なところはある。教師達も私の言動を理解していたとは言い難かった。両親も同様である。次項での話にここで補足する形にはなってしまうが、空想委員会日本本部は私のSNS進出よりも前から存在していたのであり、つまり自己の自由を保持する必要性はSNS進出より前から感じていたということだ。もっとも長らくこの組織が非公開であったのは、つまりは切迫した命の危険は特になかったということでもあるのだが。この組織は社会の改良を唱えることもあるが、一方でその根幹には今の日本のような「自由で豊かな社会」を【守る】という要素も多分に含まれるのであり、この組織が今現在脅威だと思っている脅威は「未来の可能性」が多い、というのもまた事実である。もっともこれも脅威が可能性の領域にあるからこそ言論で戦い得るのであり、もし可能性ではなくなってしまったらその時は実力行使を強いられるわけで、そうならないことを私は切に願っている。

 

 別に舐められるのは良いのである。あまり威圧感ばかり出している人もどうかと思う。だが、私の主張が事実として認められないのは全く耐え難いことであった。私はあくまでも事実として主張しているのに、単なる常識外れの妄言として処理されるのが本当に腹立たしかった。そして歴史を見れば、私のような者は異教徒や異民族、大正末期~第二次世界大戦終結までの日本では「治安維持法違反」というような形で、社会から排除され、命さえ奪われてきたことが明らかであった。私はここに私の内心の自由を防衛し将来的に私の生存権も確実に保持できる空間をこの地上に確保するため、「空想委員会日本本部」を設立するに至ったというわけである。そして今は内心の自由のみならず言論の自由と、そして一定の発言権を確保するために「現実からの解放」を掲げて行動し始めたというところである。

 だからこそ、私は権利の侵害には敏感なのだ。それは私の人生史的には発言権や生存権といったものが主軸なのだが、財産権もまたその中に含まれるものである(※4)。

 

※4 財産権は生存権の亜種であると認識している。実際私有財産権を端から否定するような国家は人権もまた踏みにじることが多いことは明らかだろう。もっともこれもケースバイケースでもあり、そもそも「文明に生きる」とは一定の自由を国家や社会に差し出し、その見返りとして自己の生存権や、少なくとも「一族郎党皆殺し」のような事態を避けるものであるから、あまりにも強すぎる財産権は文明の本質を否定することにもなってしまう。日本においては土地の所有権については、もう少し財産権の制約を緩和して公共事業を進めやすくしても良いのではないかとも思っている。

 

 総じて言えることは、私を怒らせると恐ろしい、ということと、しかし私の戦いはあくまでも権利の保持であり、法制度が権利の保持の方向で機能する限りはそれに則った戦い方をするわけで、その意味では戦いやすいのではないかとも思う。なおそもそもとして私は過去には突然ブチ切れて理不尽にわめきたてることもあったが、それは昨今の人生再興によりほぼ無くなったものと認識している。