今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

交通網の未来を想う

 LINEMOの話から始めてしまったが、私のメイン趣味はやはり鉄道であり、定時乗合交通である。当然この私がブログを書くのならば、そのメインテーマは定時乗合交通の話とするのが自然だろう。

 

 だがしかし、私は思うのだ。「私の交通の話など、一体誰が聞くのだろうか」と。

 

 今の私は一時期所属していた鉄道趣味者集団との関係を断ち切り、趣味界との繋がりはTwitterで残った僅かな繋がりと毎月の鉄道ジャーナル・鉄道ピクトリアルの購入くらいしか残っていない。そして趣味界に戻る気は全くない。なぜなら、鉄道趣味界の共通認識をほとんど是とすることができなかったからである。事は鉄道趣味界のみならず、一般に語られている物語についてもとりわけ鉄道の話は何ら理の無い虚妄ばかりが語られているとしか思っていない。たとえば中央新幹線なんかは酷いもので、賛成派も反対派も自説に都合の良い話ばかりをかき集めては自らの見解と相違する者達に罵詈雑言を浴びせるばかりであり、到底良識ある大人の言動ではないと思っているのだが、残念ながら今の人間社会ではあれこそが良識ある大人の言動だということになってしまっており、彼らを批判すれば彼らの敵対勢力の徒であるとレッテルを貼られるか、あるいは敵対勢力にすら及ばない虚妄を垂れ述べる徒であるとレッテルを貼られるかでしかない。はっきり言って、全人類の9割は陰謀論者を批判する資格はないと思っている。いや陰謀論者の方が自ら学習するだけ長い物にまかれているだけで自ら思考しない有象無象よりはマシではないかとすら思う。これは別に現代人がバカになったわけではなく、その昔問答法で事の本質を暴いたソクラテスもまさに「事実を指摘した罪」で死刑になったわけであり、陰謀論だのフェイクだのと言った話はそのような事実なき人間社会の積み重ねの果てにあるものであり、むしろ一部のフェイクをフェイクだと認識できるようになっただけ人類は進歩したと評価すべきなのだろうと思う次第である。

 

 話が逸れてしまったが、私から交通の話を聞きたいのならば注意してほしいことがある。それは

 

あなたが望む物語は、何一つ出てこないだろう

 

ということだ。自説を肯定される快には一切お応えできない。そのような方は私のアカウントをすべてブロックし、二度と関わらないことを強くお勧めする。私は特に交通の話に関しては、あらゆる党派のあらゆる共通認識を一切肯定することができない。たまたま被ることもあるかもしれないがまぐれ当たりである。

 

 ただしかし、私が思うのは、人々が信じたい物語を信じ、事実に基づかない政策が強行され続けてきたからこそ交通網は今悲惨な状況になってしまったのであり、人口減少や大都市一極集中の問題もその延長線上にある話だと思えてならない。そしてその対策でもエモーショナルな物語の下、やりたいことをやることが自己の望む未来に繋がると信じている人々の多さには全く呆れかえるばかりである。私が言うのも何だが、やりたいことをやった先により良い未来があるわけではないことは受験勉強で学ばなかったのだろうか? まあそんな古い話は忘れてしまったか、あるいは受験勉強の反動か何かもあるのだろうが、人類の未来は多くの人々にとって耳聞こえの良い美しい物語の先にあるわけではないことは明らかだろう。

 

 とはいえ、信じたい物語を信じているのは、信じたい物語を信じられるほどには幸せな立場にある人々であることも事実である。SNSではそのような人々が暇を持て余し、自分の気に入らないものを叩きのめすことに没頭しているが、実社会を見れば否応なく事実と対峙し、ほんのわずかでもよりマシな明日に向けて奮闘せざるを得なくなった人々も、今この瞬間にも数多く居る。それらの人々は時として有閑な連中の気に入らない事をしなければならず、だから理不尽な罵詈雑言を浴びることも多いわけであるが、私はそれらの人々、特に自らの専門性とは無関係に生活上の必要から対峙しなければならなくなった一般市民の味方でありたいと思うばかりである。そのためには、私自身がまだまだ学ばなければならないことも数多く存在する。

 

↑未来は地味で、汚くて、時には血みどろで、誰もが目を背けたくなるような「事実」の果てにあるのだ