今日も回り道

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阪急全線乗車達成に寄せて

 空4年2月28日(西暦2024年2月28日)、今津線今津駅においてついに阪急電鉄への全線乗車を達成した。これは名鉄近鉄、京阪、阪神に続くものであり、名古屋・八木から日帰りで行ける範囲の大手私鉄線はすべて乗車したと言って良いだろう。残るは八木から遠い南海電鉄(※1)と、関東8社(※2)と西鉄である。運輸業界の厳しい現状を鑑みればなるべく早く回るべきだろうが、順次遂行していきたい。

 

※1 これも残すは高野線岸里玉出極楽橋とケーブルカー、そして多奈川線のみである。もちろん実際に行くのならば水間鉄道にも同時に行かなければならない

※2 東武・西武・京王・小田急・東急・京浜急行・京成・東京メトロ

 

↑最後の未乗区間今津線西宮北口~今津だった。阪神を結ぶ沿岸3線(東海道本線神戸本線阪神本線)より北を目指す路線は多種多様な路線が存在し、今津線はその中でも最も主要な路線であるが、最も主要な路線であるが故に特徴に乏しく旅の経路にはなり得ても目標にはなり得ない。2/28に乗ったのは春以降こちら方面に赴くとしたら六甲山を越える観光用の各線に注力したいからであり、また3月廃止予定の阪急バス妙見口能勢線及び阪北線(50系統箕面行き)と抱き合わせで乗車できそうだったためである

 

↑同じく2/28には阪急バス尼崎線(阪神尼崎~川西能勢口)にも乗車することができ、また1月には阪神バス宝塚甲子園線、宝塚杭瀬線にも乗ることができた。阪神間福知山線宝塚本線を結ぶ路線はこれですべて乗ったと言えるだろう。今後阪急バスは長岡京向日市内の残る未乗路線と豊能郡川西市周辺の山間部を走る路線に注力し、また阪神バスは2/23改正で土休日1本に減便された西宮甲子園線(今津駅前経由)を基軸にもう一度旅をしたいと思っている。

 

 それにしても、私は一体今まで何をしていたのだろう。私の最初の一人旅がいつだったかは忘れたが、西暦2008年には既に旅には出ていたはずである。今から思えば、あの頃は日本の都市郊外を走る乗合交通機関の絶頂期であった。中央本線鶴舞駅セントラルライナーホームライナー太多が通過していったのは、今では幻のようである。今度の3月の改正では中央本線名古屋口では普通列車の130km/h運転が始まるが、一方で昼間の快速は定光寺・古虎渓を通過するのみとなり、また車両も今やロングシートばかりである。中央本線は「しなの」と貨物列車を除けば、もはや濃尾平野のための路線となり果てたと言って良く、十二兼までの複線電化は維持されているが高蔵寺以遠はもはやおまけである。近畿の拠点である八木はその切り捨てられた方の区間であり、山陰本線も複線電化は園部まで続いているが、亀岡以遠は昼間毎時1本となってしまった(※3)。郊外の縮退である。そして人口はますます都市に集中している(※4)。

 

※3 元々毎時1本だった園部以遠はさらに削減された

※4 ただ誤解してはならないのは、商業施設についてはむしろ郊外型の方が好調であり、都市型は既に成長の限界を迎えたように見受けられることである。都市型商業施設の王者と言えば百貨店であるが、それとてファーストリテイリング2ブランド+100均+ディスカウントスーパーになった東京銀座のマロニエゲートをはじめ「ロードサイドSCの多層建て版」になりつつあるのが現状である。

 

 あの絶頂期を体験しておくべきであった。特に大手私鉄はまさに郊外交通の主力なのだから、あの絶頂期に一通り乗っておくべきだったのだ。そして僅かでも運賃収入を発生させ、運輸業界の前途に少しでも貢献しておくべきであった。

 

 私に必要なものはただ旅であったのだ。多くの人が私には旅以外の〇〇が必要であると私に主張し、私もいくつかの挑戦を行ったが何もうまくいかなかった。私には結局交通趣味しかないのであり、私の人生の満足は乗った路線の数だけしか存在しないのである。あとのことはすべて余興でしかない。余興にコストを掛け過ぎたのである。

 

 ただここで自分を慰めておくと、おそらく世の中には人生の満足を達成する方法などわからない人の方が多いだろう。だからこそ「おかれた場所で咲きなさい」などと言った、現状肯定・現状追認・変革否定の言説が蔓延るのである。私は何が私の人生を満足させるかがわかっただけでも世の大多数の人々よりむしろ恵まれているだろう。私は他人との比較には露ほども興味が持てないため(※5)世の大多数の人々より恵まれて居るか否かなどは全くどうでも良いとしか思えないが、しかし一つの視点として押さえておきたいところである。

 

※5 だから高級品を持って金持ちアピールがしたいとか、その手の欲求は何もない。高級クレジットカードには少々興味があるが、それも単なる自己満足である