今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

破滅の向こうに

 恐らく本当に死ぬことはないだろうから軽く聞き流して欲しいのだけど、私は今久々に死にたいと思っている。これほど死にたいと思うことは少なくとも過去1年以内にはなかっただろう。

 

 何の話かと言えば秋のダイヤ改正の話である。わかり切っていたことだが廃止・減便が止まらない。西暦2024年春以降はこの動きがさらに加速することが見込まれている。9/20は「バスの日」だったが、バス運転士不足はますます深刻化し、現在でも約1万人不足しているのが西暦2030年には少なくとも3万6000人不足するということである。もはや赤字路線が削減されるという段階は終わり、今後は黒字路線・補助金路線でも削減されていくということだ。

 

 夏の暑さも厳しくなり、新型感染症が世界に蔓延している。本当に気が重くなる。

 

 

 その中にあって、私は先日よりようやく「全国公共交通巡り」を開始した。特に9/9~11の青春18きっぷ旅では始発からの乗りまくりを行い、さらに帰りは夜行バスとした。そこで思ったのは、これこそ私が求めていたことだ、ということだ。逆に言えば結局私が求めていたのはこれか、とも思った。時刻表通りに走る、それ自体が観光資源となるわけでもない「日常の乗り物」に延々と乗り続けるという、古くは宮脇俊三氏が「時刻表2万キロ」にその旅の模様を綴った最も典型的な「乗り鉄趣味」というものが結局私が最も楽しめることなのであり、その他のあらゆる趣味はもちろんそれらも好きなのではあるけれど、ただこの趣味にはどうしても及ばないものがあるのだ、ということを認識させられた次第である。

 

 思わざるを得ないのは、「なぜ今更そんなことを言っているのか」ということだ。乗るのが好きだなんてことははるか昔からわかっていたことである。そしてそのころから腰を据えて乗りまくり旅をやっていればもっと多くの路線にも乗れただろうし、その見識を活かしてさらに活躍することもできただろう。それなのになぜ、今の今までずれ込んでしまったのか。

 たとえばの話、私は名鉄全線に2回乗っている。1回目は約30年にも及ぶ時間をかけてようやく昨春達成したところであるが、2回目はその後すぐ、たったの4日で乗りつぶしてしまった。つまり4日でできることに私は約30年もの時間を費やしていたのである。

名鉄全線乗りつぶしは西暦2023年(空3年)3月17日、知多新線内海駅で達成した。翌日のダイヤ改正知多新線は線内折り返し運転が基本となり、今は昼間の内海駅パノラマスーパーを見ることはできない

画像

↑続く2週目は同じ西暦2023年(空3年)の3月30日、築港線東名古屋港駅で達成した。17日からは10日以上経っているが、これは築港線のみ乗り残していたからであり、実際に要したのはたったの4日だった。さらに築港線のみ乗り残していたのは朝の出発時刻が遅かったためであり、文字通り始発から終電まで乗っていれば2日で終わっただろう。

 

 これはあまりにも悔やまれてならない。私が一人旅を開始したのは西暦2008年とかだったはずである。それから一体何をやっていたのか。

 

 結局、腰を据えるのが遅すぎたのである。私は名古屋市営地下鉄全線乗りつぶしは早々と終え、オーストリアの首都ウィーンの地下鉄にも全線乗った実績があるのだが、しかしそれ以外の乗りつぶしを決意するのがあまりにも遅すぎた。JRと名古屋市営バス乗りつぶしを決意したのが、実に西暦2019年(空0年)のことなのである。JRと名古屋市営バスに全部乗るのであれば当然ついでに日本国内の鉄道全線には乗ることになるのが私という人間なわけであるが、つまりは乗りつぶしを決意したのはそこなのである。なぜ、そんなことになってしまったのだろうか。

 

 この記事ではわざと空想歴も併記しているが、西暦2019年(空0年)は私の再出発の年である。産まれてから積み重ねてきた私という人間がついに破綻し、その清算と人生再構築を余儀なくされた年である。西暦2020年のTwitter旧アカウント終了などはまさにその清算と再構築の結果である。鉄道にたとえるならば旧国鉄が分割民営化でJRになったようなものである。今の私はJRなのだ。

 JRとしての私は人生のすべてをゼロベースで見直し、本当にやりたかったこと、好きなことだけに注力することにした。これはあくまでも理性的に検討した結果である。それまでの私は対外的身分が学生だったこともあり、将来のため、視野を広げるためといってやりたくもないことばかりをやり、実らない努力ばかりをやっていた。その結果ない力がさらに分散され、リソースを本来分配すべきところ、つまりは努力が実るところ、私の本来の持ち味を発揮できる場所に分配することができていなかった。これは企業経営にたとえるならば赤字事業ばかりに注力して黒字事業に注力することができていなかったというわけであり、それは破綻して当然だろう。清算と人生再構築とは即ちそのような赤字部門を捨てて黒字部門に注力するということだ。国鉄改革で特定地方交通線が廃止になったようなものである。そしてその中で注力すべき黒字部門として強化されることになったのが、「全国公共交通巡り」なのである。

 

↑私も共感する

 

 「全国公共交通巡り」はまたの名を「のりのり旅」と言う。ただ「乗る」のではなく、「気の狂うほどに乗る」という意味を込めて「のり」を2度繰り返している。中でもさらに注力分野として「のりのりJR」と「のりのりバス名古屋」が策定された。具体的には以下の通りとなる。

のりのりJR:青春18きっぷを主に使い、JR各線の普通列車の自由席(特別料金を要さない列車)に乗りまくる。ついでに元国鉄の三セク線、バス路線、及び旧国鉄線と一体的に機能する私鉄線にも乗る。今後の人口減少とその人口の都市集中、及び商業地・勤務地としての都市の求心力低下、特急列車の新幹線への移行により今後いよいよ持続不能になっていくことが明らかな一方で、高齢化や若者の車離れ、インバウンド、バス運転士不足の受け皿となることが期待されてもいる「幹線の普通列車」という存在に今こそ乗り、その現状とこれからを探ることを目的とする。

のりのりバス名古屋:ドニチエコきっぷを主に使い、名古屋市営バスに系統番号単位ですべて乗る。今後人口がより集積していくであろう都市の交通の現状を探ることを目的とする。

 両者を合わせて「点と線戦略」などと当時の私は呼んでいたものである。当時はろくに資金もなく実現のあては何もなかったが、それでも今後の努力の目標としては悪くないものであると考えられた。それからもいくらか紆余曲折もあり、私は活動拠点を名古屋から八木に移したこともありのりのりバス名古屋に代わって「のりのりバス南丹」、そして「のりのりバス京都」「のりのりバス京阪」へと邁進していくことになり、一方でのりのりJRの方もその前哨戦として大手私鉄各線への乗車を優先することになり、結果として名鉄全線を2周することになったわけであるが、しかし先日はいよいよ青春18きっぷを入手できたこともありついに念願の「のりのりJR」を実行に移し、また今秋~今冬には「のりのりバス名古屋」にも着手しようと思っている次第である。

 

↑このツイートの背景にはそのようなものがあったのである

 

 これに向けて私は、決して安定しているとは言えないが少なくとも自由な時間を確保しつつクレジットカードを12枚も作れるくらいの社会的身分と収入のあてを作り、一方で実質的な一人暮らしを開始して自律的に活動するための基盤を整えた。鉄道趣味と並行して行うことになった商業施設趣味(※1)及び決済趣味(※2)を「生活基盤趣味」とし、それを車の両輪としながらその上に交通趣味を載せて突き進んでいこうと思っている。

 

※1 これが趣味になったのはもちろん鉄道事業者の副業と乗客の「行先」として関心を持ったという点が大きいが、実は元はと言えば食料品を買いそろえるための物価調査として、各社のプライベートブランドの価格を比較し始めたところに始まるものなのである。今でも小売り各社の価格帯(≒ターゲット層)とその店舗配置は関心の中核を占めている。

※2 これは言うまでもなくポイ活から始まったもの。元々私は各社のポイントカード等を体系的に調査し、ポイントやクーポンの活用によって生活コストを下げることを模索すべきであることはかなり前からわかり切っていたのだが、私の混乱により長らく先延ばしになっていた。しかし西暦2021年夏、それまで長らく継続していたドコモの家族会員を辞めて自己資金で改めてスマホを持とうというときに、母の勧めと小売りを本業とする「第4のキャリア」という存在に興味を持ったことから楽天モバイルを契約し、その結果として楽天経済圏に参入することからポイント経済圏を調査する気運と必要性が高まり、スマホ代の支払い口座として楽天銀行の口座を作ったところキャッシュカードにブランドデビット機能が搭載されていたことから日常の決済についてもキャッシュレス化を一気に推進することになり、その手段の多様性、選択肢の多さと複雑さにハマったというわけである。それでも当初は一般に言われるようにクレジットカードは2枚~4枚に抑えようと思っていたのだが、しかしポイント還元率の面から見ても決済の利便性の面から見ても明らかにそんな枚数で抑えることはできそうもなく、どうしようかと思いながらTwitterをそれらしいワードで検索してみたところ大学生や年金生活者でも100枚以上のクレジットカードを持っている人がこの世には居ることがわかり、また当時既にインターネットの受け売りではあるが家族に対してクレジットカードのアドバイスをするようになっていたこともあり、それならば私としても趣味の一つに加え、調査研究を兼ねてクレジットカードを作れるだけ作ってみようと思ったのである。結果として私も今では12枚ものクレジットカードを持つようになり、さらに増やそうと思っているが、一方で年会費無料ゴールドカードのセゾンゴールドプレミアムを取得できてそれにかなり満足していること、MUJIカードの審査に落とされたこと、のりのりJRがいよいよ始動したこと、相互フォロワーのキャレおじさんのJCBゴールドの顛末等により私としてもやはりクレジットカードの発行は冷静に、慎重に行わなければならないと思ったところである。実は来年までには三井住友カード・セゾンカード・JCBカード三菱UFJカード(MUFGカード)の国内4ブランドを制覇する……などということも考えていたのだが、JCBカードWが基本還元率1%を維持できなくなったこと、三菱UFJカードも三井住友カードとセゾンゴールドプレミアムで代替できることから、今後は現在の主軸たる三井住友カードとセゾンカード、そして鉄道事業者及び商業施設のクレジットカードの中から特に生活上必要なものを揃えていくことに注力しようかとも思っている。

 

↑私としてもMUJIカードの否決とこの文章を読んでかなり冷静になったところがある

 

 それで今ようやく私はのりのり旅を開始した、というわけである。しかしほぼ時を同じくして乗るべき乗り物たちは消え去ろうとしている。結局私はのりのり旅を越える趣味を見つけることはできなかったわけであり、だからもう消えていく乗り物達と共に死んでしまおうかとすら思うわけである。それでも私は死なないだろう。結局死ぬことなどできないのである。それは私ののりのり旅はまだ始まったばかりで終わっていないからである。国内が終わっても海外がある。私にはまだ、やるべきことがある。

 

(委・委員長)