今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

八木で暮らすということ

↑私は西暦2022年2月以降京都府南丹市八木町に滞在している。平成の大合併以前から「町」だった自治体の中心市街地を「田舎」と言ってしまって良いのかどうかは正直戸惑うところもあるのだが、しかし人口200万人を超える名古屋市と比べれば京都府第二位の面積を持ちながら全市でも人口3万人しかいない南丹市は紛れもなく田舎であり、また本市は総務省により過疎地域の持続的発展の支援に関する特別措置法第3条・41条に定める「みなし過疎地域」に指定されている

 

↑私が27年間住み続け、今でも住民票を置く実家の最寄り駅は鶴舞駅。同駅を毎時5分に通過していく特急「しなの」が私を鉄道趣味者に育て上げたと言っても過言ではない

 

 

 私はもう27歳になるが、この長い人生の中において私の暮らした場所は2か所しかない。それは「八木」と「鶴舞」である。「八木」は京都府南丹市八木町のことであり、「鶴舞」は愛知県名古屋市中央本線鶴舞駅周辺のことである。方や全市でも3万人しか済まないみなし過疎地域、方や人口200万人を数える大都市の中心部である。過ごした時間は鶴舞の方が圧倒的に長いため私は明らかに都会の方が住む場所としては慣れており、今でも京都市内に行くとその都会ぶりが落ち着くというところもあるのだが、しかしだからと言って鶴舞に帰りたいとは正直全く思っていない。いったいどういうことなのだろうか。

 

・八木の魅力

 八木の魅力として私が真っ先に挙げたいのは「夜の静けさ」だ。この記事自体真夜中に書いているが、山陰本線の終電が終わってしまうと聞こえてくる音はたまに通る車の音くらいである。まるでこの世界が私一人だけのものになってしまったかのようだ。

 鶴舞はそうではなかった。そもそも都会というものは、何もなくても「ゴーッ」というような雑音が四六時中聞こえて来るところである。また鶴舞は正直高級住宅地というわけでもなく、駅前には平然とゴミが捨ててあるような治安が良いとは胸を張って言えないところである。深夜になれば連日のようにパトカーのサイレンが聞こえ、甚だしいときには何者かの喚き声やら対応する警察官の叫び声が聞こえるようなところである。強毒性とされた新型コロナウイルスデルタ株が蔓延し医療崩壊が起こった西暦2021年8月には私も昼間の外出を自粛して深夜に散歩していたときがあったが、警察官の姿を見ない日はなかった。頼もしいと言えば頼もしいのだが、しかしあの物々しさはどうにからないものかと思ったものである。

 そんなところに27年間も住み続けた私としては八木はまさに別世界である。最初にここに来たのは西暦2019年の夏であり、正直あのときは田舎に慣れておらず山陰本線京都市内に繰り出しては

「ああ……ここはあの名古屋と地続きの世界なんだ……」

とかなんとか言い聞かせているような状態だったが(*1)、次第に慣れ、三度目の滞在となる現在はこんなにも長居するとは自分でも思っていなかったほどに長居してしまっている。

 交通趣味とはいささか矛盾するようにも思うのだが、私は人混みが嫌いである。だから正直パンデミックは私の時代が来たというようなところがある。それはともかく、八木は夜はもちろんのこと昼間でも鶴舞に比べたら圧倒的に人がおらず、道端のベンチは座り放題である。こんなところもまともに座ろうと思ったらスターバックスを探さなければならない名古屋とは大違いだ。正直投資効率という意味では非常に悪いのだろうし、やがて何もかも立ち行かなくなってゆくのだろうとは思えてならない(*2)のだが、ともあれ今はこの過疎っぷりを満喫したいと思う。

↑広大な八木の空は夕方には見事な夕焼けを見せ、また夜にはすばる(プレアデス星団)を街中からも肉眼で見ることができる

 

*1 あの頃の山陰本線はまさに銀河鉄道か何かのように思ったものである。保津峡の向こうとこちらは現世と黄泉の国のようであった

*2 このまま人口減少が続けば、八木は桂川の河川敷に戻していくべき場所だろうと思う。そうなってもなお山陰本線が存続していたら亀岡の次は園部くらいになるのだろう

 

・八木の「都会ぶり」について

 とはいえ八木はあくまでも平成の大合併以前から「町」の規模ではあった自治体の中心市街地であり、今ではスカスカと言わざるを得ない八木商店街も大昔にはまともに歩けないほどに賑わった過去を持つくらいには「都会」でもある。正直田舎暮らしとしては入門お試し編のようなものだろうが、しかしだからこそここには都会での生活に慣れた人間でも暮らしていける環境が備わっているように思う。私自身京都市より大規模な都市にはもう住みたいとも思わない(*3)が、一方で八木より田舎な場所にはとても住めないとも思う。

 何より重要なのは、八木にはスーパーとコンビニがあることである。スーパーは亀岡市に本社を置くマツモトが八木店を毎日9時~21時まで営業しており、またコンビニはファミリーマート南丹八木町店が24時間営業を行っている。この2つは文字通りの生命線であり、実は11/17~12/1の予定でファミリーマート南丹八木町店が改装工事のため休業中なのだが、まあこのくらいなら何とか持ちこたえることはできるがしかしファミリーマートは八木に不可欠だと心底思っているところである。3大チェーンの中でもファミリーマートは3大共通ポイントに対応しており(*4)、またセルフレジの導入に熱心なのもありがたいところだ。そして何より重要なのはこの2つがあるからこそ八木にも価格競争が発生するところであり、面白いのは競合の少ないマツモトはスーパーの中では値段設定が高めであるためポイント還元を考慮せずともファミリーマートの方が安くなる場合があることである(*5)。一方でマツモトは毎週月曜日の10%割引、PayPayの導入が非常に助かっており、またなぜか豆腐は京都市内のイオンより安い。

 またもう一つ重要なのはやはり公共交通機関の存在であり、JR西日本山陰本線は西暦2022年3月のダイヤ改正で昼間毎時1本にまで減便されてしまったが、しかし京都駅まで乗り換えなしで30分の利便性はなお健在である。また1日1.5往復ではあるが亀岡駅までは京阪京都交通国道線【3】も走っている。マイカーはなくとも十分生活できる。

↑八木の生命線は何と言っても山陰本線。転換クロスシート車であることもポイントが高い。なお画像は先の改正で廃止された昼間の普通列車

↑国道線は本数希少だが、ガレリアかめおか周辺に直行できる利便性と利用者の少なさが魅力。また唯一の亀岡行きである国道八木14時55分発は山陰本線の減便を補う時刻設定でもある

↑その他八木には京阪京都交通神吉線【41・43(B)】が駅前に発着する。廃止が取りざたされているが本数は意外と多い

 

 総じて基本的なインフラは整っていると言える。

 

*3 活動拠点としてワンルームマンションを別荘にするくらいが関の山かと思う

*4 そこを評価している者としては三井住友カード(NL)の5%還元特約店離脱は大変残念なところである。そもそも独自電子マネー偏重はかつてセブンイレブンが失敗した道であり、ファミリーマートも同様の轍を踏むことになるのではないかと思わざるを得ない

*5 代表的なのがカップ麺で、マツモトはその時々の特売品以外はファミリーマートより値段が高い。だからたとえばマツモトの特売品がラーメンのときにそばを食べたいと思うとファミリーマートの方が安いのである。そのほか弁当など即食品もパックの総菜以外ファミリーマートの方が基本的に安くて質が高い。なお八木には肉屋(福常精肉店)も存在し、揚げたての揚げ物が欲しい場合はそちらも選択肢に入る

 

・八木暮らしの問題点

 田舎暮らし全般に言えることだと思うが、移動が苦になるようならばここで暮らすのはまず無理と言って良いだろう。私は交通趣味者ということもあり京都駅まで転換クロスシート車で30分というのは万々歳の利便性なのだが、そうでもない方は実際いるだろうとは思う。また山陰本線パンデミック以後全般的に減便されており、ラッシュ時も最長で8両までで4両が来ることも多いため主に亀岡駅から先、特に京都市区間は非常に混雑する。乗る車両を選ぶことができ(*6)クロスシートの相席ができればラッシュ時でも座れることも多い(*7)が、それを許容できるかどうか。

 ただ一方で通販は届くし生活必需品はファミリーマートとマツモトで揃うため、引きこもり生活ができるのならばこの上ない環境であると言って良いだろう。かつて2ちゃんねる山梨県北都留郡小菅村を引きこもりオタクの村にするという構想が持ち上がったことがあるらしいが、奥多摩駅からさらにバスに乗るような山村よりは八木の方がよほどその任に適していると言える。なおアニメイトらしんばんは京都駅前のアバンティにあり山陰本線で行くことができる。メロンブックスは寺町なのが少々難点。またその場合の難点はマツモトの米の値段が高いことで、商店街の米屋を使えば安く手に入るのかもしれないが、私は10日置きに5Kgの米を京都市内・亀岡市内から八木に運び入れている。

 

*6 太秦駅以南から乗る場合は園部寄り、以北のみを利用する場合は京都寄りの先頭車が空いている

*7 毎時1本の時間帯はむしろ亀岡~園部の方が座れないこともある

 

・終わりに

 鶴舞に居た頃は徒歩5分以内にセブンイレブンもローソンもあり、しかしコンビニは物価が高いためなるべく避けるのが鉄則という暮らしを送っていたわけだが、今から思うとあの「利便性」はいったい何だったのだろうかと思う。どこでも歩いていけるし交通費はとにかくかからなかったが、しかし都会というのは住む場所ではなく、活動のために一時的に滞在する場所だと強く思う。

 「交通趣味と私」の次にこの記事を持ってきた理由はもちろん、八木と鶴舞で暮らしたことが私の国土交通政策論の根幹を形成しているからだ。地方創生というのは何より八木のような都会に隣接する田舎こそがそのメインとなるべきものであり、そして理想的にはこの都会――田舎という構造を全国に広めていくことがあるべき国土政策というものだと実に思う。都会のない場所には都会を作り、全国すべての地点を都会とその郊外にしていく――もし日本がこれから復活することがあるのならば、その国土はまさにそうあるべきであると思う。

 

 過疎っぷりに魅力を覚える者としてはいささか矛盾しているとも言えるが、しかし私は八木の人口は今後増えてほしいと思っている。ここまでに上手く盛り込めなかったため言及してこなかったが、気候面でも八木は京都市内と比較して気温が低く、夏場はエアコンの稼働時間を短くすることができる。そしてこちらは繰り返しになるがここから都会まで公共交通機関で繰り出すことができる。そうした場所に人々が暮らすことが、低炭素化が求められるこれからの時代には相応しいはずだと心底思う。

 

・補稿 私と御器所

 私が名古屋で暮らしていた場所は鶴舞なわけだが、私にとって徒歩30分までは徒歩圏内であるため御器所は徒歩圏内だということになる。とはいえそれだけと言えばそれだけであり、私にとって御器所とは西友なか卯油そば屋があるところであるためとはずがたりさんから頂いたリプは正直何一つとしてわからなかった(涙)富士温泉、パル、こもれび書房くらいはどこかで目にしたこともあるような気がするのだが……。

www.kosho.or.jp

↑検索してみたらこもれび書房はどうやら一度本を買ったことがある店であることがわかった。ただ「おおこんなところに古本屋が」と思って1度入ったことがあるだけだから語れるようなことは特になく(汗)あと炎の国屋も前を通ったことは何度もあることはわかった。

 

 とはいえ私にとって御器所は家で空腹を覚えたときに歩いて出掛ける外食先候補の1つだったことは確かであり、私の生活圏内であったことは紛れもなく事実である。

 

(委・委員長)