今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

放出駅に思う

片町線は高校時代に乗ったことがあったが、JR東西線おおさか東線はこの2月以来の京都移転でようやく初乗車となった。高校時代は「乗りつぶしを目標としない交通趣味」を模索していたため乗車区間にムラがありすぎるのである(涙)

↑今日はその中でも放出駅のお話。しかしこの漢字絶対読めんよな(苦笑)

 

 11/27の夕方、私は片町線に乗っていたのであるが、放出駅停車中に対抗側ホームを眺めていたらちょうど貨物列車が通過していった。それは良いのだが少し気になったのが旅客ホームを通過していったことで、確かにJR線は国鉄末期以来の貨物輸送の衰退で貨物輸送に投資が行われておらず、それにより名古屋駅ですら貨物列車が旅客ホームを通過していく状態が続いてしまっているわけであるが、しかしさすがに大阪駅に貨物列車は来ないし(*1)、京都駅だって通過線を通過していくはずであって、だから大阪市内の主要駅と認識している放出駅で旅客ホームを貨物列車が通過していくというのは意外なことであるように思ったわけである。もちろんこうなる理由はおおさか東線が元々城東貨物線だったからなわけだが、ここで少し気になったのがおおさか東線ができる前の片町線放出~鴫野はどういう状態だったのか、ということだ。

 

*1 もちろん梅田貨物線が正式には大阪駅を通過していることになっているのは承知している

 

 配線図を調べるとなると、私も一時期は川島令三氏の「東海道ライン」を買い集めた時代もあったけど、あのシリーズは手放してしまったしそもそも今回は過去からの変遷が気になるわけで、そうなるとあてになるのは何と言ってもf54560zg氏が運営するブログ「懐かしい駅の風景」だ。

senrohaisenzu.cocolog-nifty.com

 このブログの存在を知ったのはとはずがたり氏の「日本の鉄道輸送と物流」からリンクが貼られていたからなのだが、それはともかく、片町線は確かあったよなと思うとやっぱりあったあった。

放出 1978/3/14: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

放出 1992/3/28: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

片町~鴫野 1978/3/14: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

片町線配線図 その4(放出~鴫野): 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに

 いやあ猛烈に面白い(笑)このブログはどの記事も面白いなんて陳腐な言葉で現すのが憚られるほどに面白いのだが、それはさておきこの配線図を見ていて今回3つの発見があった。

1.かつては放出駅にも貨物列車用の設備があった

2.城東貨物線時代の放出~鴫野は片町線と複線を共有していた

3.現在の放出駅には旅客ホームに面した線路しかない。

 放出~鴫野が複々線になったのはおおさか東線開業時であることは何となく知っていたが、しかし片町線の旧国電区間(長尾~片町)はかなり昔から頻発運転をやっていた区間なわけであって、城東貨物線も昔は本数多かっただろうによく複線でさばいていたな……などと思ってしまった。まあ城東貨物線自体は長らく単線だったわけだし、路線の戸籍上も正式には片町線の一部だったわけだからそう驚くような話でもないのだが(*2)、ただ国鉄時代の線路設備は特に本線関係はその当時の列車本数と輸送需要を考えると意外なほどに貧弱である場合が多く、運行整理とか保線とかどうやっていたんだろうかとJRしか知らない人間としては思ってしまうところがある。

 

*2 城東貨物線はおおさか東線になることによって片町線から分離独立したという認識なのだが、しかし今でも貨物専用区間はあるし、放出~鴫野は並走しているわけで、実際JR西日本社内ではこの辺どうやって処理されているのだろうか、とは少し思うところ

 

 それに対して今は放出~鴫野は複々線になったわけだが、一方で放出駅の寂しくなったこと寂しくなったこと(号泣)JRになった今は本線関係については少なくとも旅客列車の走る路線においてはそれなりに整備されてきたわけだが、一方で国鉄時代とは逆に駅構内が簡素になる傾向にあるよな、とよく思う。「懐かしい駅の風景」のコメント欄によれば国鉄時代の大阪外環状線計画では放出駅は片町線大阪外環状線にそれぞれ2面3線が割り当てられ(*3)、さらに貨物列車の通過線も設置されるはずだったのだそうで、それに比べると現在の配線は片町線快速からおおさか東線(←大阪外環状線)に乗り継ぎやすくなったのは良いものの、貨物通過線がなくなったあたりに貨物輸送の衰退を実感させられるわけである。しかし一方で東海道本線梅田駅の廃止代替として関西本線百済駅の貨物扱い能力が増強されたはずだが、そして百済駅に向かう唯一の貨物ルートが他ならぬおおさか東線のはずだが、それでも放出駅に貨物通過線が整備されないのか……と思ってしまう。まあJRとしては駅設備なんていう「金にならないもの」は極力簡素にして、浮いた土地を「駅近物件」として不動産市場に売り出した方が収入になることは私にもよくわかるのだが、しかし駅設備の簡素化はダイヤの乱れへの対応能力を低下させるなど列車運行に悪影響を及ぼすわけで、なんともやるせない気持ちになってしまうところである。

 

*3 ここで2面4線の電鉄型退避駅にならないところがなんとも国鉄(苦笑)

 

おおさか東線の終点、久宝寺駅関西本線との分岐合流駅でありながら今や2面4線。この設備でおおさか東線の折り返しと関西本線大和路快速対普通の退避を行うものだから何とも忙しい駅になってしまっており、大和路快速があえて待避線(兼おおさか東線ホーム)に入るなど工夫しているがそれでもダイヤが少しでも乱れると場外待機が起こってしまう。かつては竜華操車場を併設し広大な敷地面積を誇ったはずだが、その土地はことごとく売り払われタワマン(→画像に映っているものがそれ)やら何やらになってしまい、鉄道はその片隅の狭苦しい土地に押し込まれている。なんだかなぁ……。

 

・最後に この記事は何なのか

 堅苦しい話が続いたため、今日は私が普段交通趣味者としてどんな活動をしているのかまとめてみた次第。長らく私は140字の世界に居たが、あの背後にはこんな140字に収まらない諸々があったわけである。このブログでは感情的な文章は書かずどんな内容でも淡々とやっていこうと思っているが、一方で内容は色々なことを書いていこうとも思っている。Twitterイーロン・マスク氏による買収でどうなるかわからないし、はてなブログはちょうど良い移転先にできるのではないかと思う。

 

 しかし昨日の片町線乗車ではもう一つ謎が浮かび上がってしまって、それは

「なぜ星田駅に快速が停まるのか」

ということ。最初はまあ大阪空港行きリムジンバスも発着するようになった駅だしこの辺の拠点なんだろうな……と思っていたがよくよく考えたらリムジンバスが発着するのは津田駅だし(汗)、この辺の拠点と言ったって河内磐船駅との連続停車になってしまっているしで、とりあえずネット検索をかけてみてもよくわからなかった。片町線はもう何度も乗っているがそれでも謎は思い浮かぶものである。

 

(委・委員長)