今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

空3年の終わりに

・「空想歴」について

 このブログは謎ブログである、とTwitterで何度か言った記憶があるが、このブログが謎ブログである所以は「私の脳内をほぼそのまま公開すること」がこのブログの使命であると言えるからである。このブログの主要な要素である「空想委員会日本本部」なる組織はまさに私の脳内それ自体であるということができ、実際この組織が「何」であるのかは私にもよくわからないところが多々あるのも事実であるが、とはいえそもそも「己を知る」ということこそがソクラテス以来の哲学の根本命題であることを考えるまでもなく、自らの脳内を理路整然と語りつくすことのできる人間など実際ほとんどいないだろう(※1)し、むしろ私は組織図という形で私の脳内の一端を書き表すことができる分だけかなりマシだとも言えるだろう、とも思っている。

 

※1 主観的には語りつくせるつもりでも、実際には語れないことが多々あることだろう

 

 そんなわけで、このブログに謎の記述が存在したとしてもそれは仕方のないことである。そしてその謎は少しずつ語っていくことにしたい。そこでこの記事ではまず空想委員会が使用する紀年法「空想歴」について記述することにしたい。

 

 カテゴリー「組織運営」には現在「空想委員会組織図」と称する記事が入っているが、そのタイトルには一般の方々から見たら何やら見慣れない日付が記載されている。この日付こそが「空想歴」である。空想歴は空想委員会がようやく官僚制組織としての体を整えるに至った西暦2020年6月27日を【空想歴元年(空1年)上6月27日】とし、それから西暦2021年6月26日(空1年下6月26日)までを1年とする。この紀年法に従うと、この記事を書いている西暦2023年6月24日は「空想歴3年(空3年)下6月24日」となるわけである。

 この紀年法は公式には【いかに世の中が移り変わろうとも、我らは同じ時を刻み続ける】という空想委員会の意志を表すものであるとされているが、もちろんそんなものは後付けの建前であり、実際には私自身の主観的な時の流れを表したものである。おそらくこの記事をここまで読んだ誰しもが予想したことだろうが、6月27日とは私の誕生日である。6月生まれというのはユニークなもので、一般的な年と主観的な年(年齢)とがほぼ半年ズレている。空想歴で私が表現したいのはこの二重性であり、私個人は1月よりもむしろ6月をこそ重視したい、ということでもあるのである。

 

 一般的に1月1日と誕生日の差はどのように認識されているのだろうか。私にはこのズレは、ごく軽微なものではあるが「違和感」と表現したい。私は正月があまり好きではない。あの寒い中店やその他の施設はほとんど閉まってしまい、あらゆる自由が制限された中で「新年」なる漠然とした概念を祝うことを強要される全体主義的な雰囲気が苦手である。私は過去には「年越しの瞬間」というものに異常なまでにこだわったことがあったが、それは結局その「違和感」を無理やり乗り越え、「新年」を我が物にしようとした、ということだろう。どこかで書いたと思うが、私は自分自身をそのような「無理」から極力解放したいと思っている。もちろんこの世で暮らす限り様々な制約は受け入れなければならないが、しかしだからこそ解放できる無理からはどんどん解放していきたい。その一環として私は空想歴を導入し、「1月1日に新年を祝う無理」から私自身を解放したのである。今は私の個人的なメモ書きはすべて空想歴で記述している。このブログはあくまでも公開されているものであるからその本文においてはなるべく西暦で記述しようと思っているが、しかし見出しくらいは空想歴を使用させて頂きたい。

 

・空3年の終わりに

 さて言うまでもなく、また6月27日が差し迫っている。今度の6月27日で空3年が終わり空4年になるわけであるが、この「新年」に際して私が今思うことを取りまとめたい。

 この記事を書いている途中で日付が変わってしまったからもう一昨日のことになるが、西暦2023年6月23日(空3年下6月23日)から世界ではまたいくつかの動きがあった。一般的な大ニュースはロシアで起こったワグネルの反乱であるが、私が最も驚いたのは能勢電鉄妙見山撤退であった。それ以外にもJR東日本のシステムトラブルがあったし、つくばエクスプレスの延伸が土浦方面に一本化されるということもあった(※2)。これらに対して何かを主張したい、という欲求は実はあまり強くない。それより私がやりたいのは「事実の整理」である。誰かの憶測ではなく、確かな事実を私は知りたい。私のインターネットでの在り方を長く見てきた方ほどそれは意外かもしれないが、私が何かを言いたい、意見を聞かせたいと思ってきたことそれ自体が外界の環境によって「作られたもの」であるという面も強くあったのではないか、と昨今思うのである。もちろん私にも主張したいことはあるし、主張したいときに主張できる環境は是が非でも用意されなければならないと思っているが、また私は他者が何かを主張しようとしていることを基本的に好ましく思いその自由を擁護したいとも思うのであるが、それはそれとして私は何かを言うということよりも、事実を吸収したいという欲求の方がむしろ強いようである。このブログが何度か記事を増やそうとしたものの相変わらず低頻度の更新に留まっているのはまさにそれであり、私が真に必要としているのは言論空間としてのブログではなく、むしろ情報の集積庫のようなものだったのだ。

 

※2 ただそもそもつくばエクスプレス延伸は最も効果の高い土浦延伸であってもB/Cが1を切ることがわかっており、定量的には延伸計画自体を取りやめるべきである。なお他都市の事例を見れば、B/C1.21と算出されている大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線の鶴町延伸すら「効果が乏しい」として凍結されている。つくばエクスプレス延伸をやるならば、少なくとも長堀鶴見緑地線鶴町延伸は実現してからでなければならないだろう。

news.railway-pressnet.com

osaka-subway.com

注)B/C(費用対効果分析)が算出するのは「社会的便益」であって採算性ではない

 

 というわけで今後はこのブログも必要に応じてそのようにも活用したいと思う。そのような記事は新たなカテゴリー「MNPクリップボード」に分類し、その中で管理することにしたい。

 

 一方でリアルでの活動については、今こそ京阪神の鉄道・バスの旅に出たいところだ。能勢電鉄妙見山撤退は、京阪神の鉄道ですらもう安泰とは言えないことを認識させられるものである。京阪神の特徴は大都市と山々が隣接していることであり、だからこそケーブルカーやロープウェイが多数整備されており、さらにそのアクセスのための鉄道路線が多々あるのであるが、そのケーブルカーやロープウェイが縮小傾向であることは以前より明らかだった。西暦2022年9月16日には大阪府南河内郡千早赤阪村金剛山ロープウェイの廃止が決まったばかりであるし、その他の各線も運行時間の短縮や運賃値上げが相次いているところである。東海地方では21世紀の初めに名鉄が大きく路線網を縮小させたが、いよいよ近畿にも鉄道網縮小の波が押し寄せたと思わざるを得ない。一方で私の財政状況は相変わらず厳しいものがあるが、しかし昨今はいよいよクレジットカード発行によるポイ活ができるようになったことによりわずかながら改善されつつあるのも事実である。それにより4月には名古屋に帰省し、名鉄各線に乗ってきたところである。また南丹のバス各線については1月までの八木への滞在中にあらかた乗ることができている。次は近江鉄道なども考えたがそちらは過去に乗ったことがあるし、やはり次は京阪神だろう。阪急、阪神、京阪、近鉄京都市営地下鉄大阪市高速電気軌道……私が幼少期から乗り物図鑑で思いをはせてきた各線に、しかしなぜか今日まで未乗車のままで残されてきた各線に、今こそ乗ることにしたい。

 

 私は今まで異常なまでに遠回りを強いられてきたところがあるように思う。その遠回りを終わらせることができるか。それが空4年のテーマとなるだろう。

 

(委・委員長)