3/28以降定時乗合交通の旅(全国乗合交通巡り 通称「のりのり旅」)をさらに加速させている。私自身会心の出来だったと思っているのは3/28の名古屋から京都への移動で、夕方から翌朝にかけて雨の予報だったため午前中から昼過ぎまで名古屋近辺でのりのり旅を行い、夕方発の高速バス(名神高速線)で京都に移動、翌朝から再び旅を開始するという、要は雨の時間をのりのり外の移動及びその他の時間に充て晴れている時間はすべてのりのり旅に費やすというプランを立てたわけである。結果として名古屋駅~名神安八を走る高速バスに2度も乗ることになったが、天候の方は完全に狙い通りとなった。
↑28日の旅は拡充と模索が続く名古屋~海津の乗継連絡ルートを探る旅であった(事業件名「のりのりバス名古屋+海津」)。安八~平田支所を結ぶにしみのライナーリレーバスは残念ながら3/31を以て廃止となるが、代わって4/1からは現在実証運行中の海津市コミュニティバス海津津島線が土休日限定で平田支所まで延長運転されるようになる。運行日は減り輸送力も小さくはなるが、とはいえこの変更で新名神(E1A)が出来てなお渋滞続く名神(E1)東海区間の宿痾・一宮JCTを通らないルートとなり運賃も値下げとなるため改善であるとも言えるだろう。運行の継続・拡大に期待したい。
↑29日は西日本JRバス園福線へのお別れ乗車と、福知山~綾部~草山温泉~丹波篠山のローカル路線バス乗継ルート開拓を行い、最後は園福線の元々の「本線区間」であり西暦2002年に一足早くJRバスが撤退した園篠線ルートで帰宅する旅とした(事業件名「のりのりバス南丹+園福線」)。
↑両者を結ぶのが日本の都市間高速バスの先駆け「名神高速線」である。私の鉄道趣味の原点が中央本線ならバス趣味の原点は名古屋市営バス基幹1系統と名神高速線であり、この路線は何度乗っても飽きることはない
さらに今日、3/30も朝から小浜方面に出かけていた。明日もできることならば出かけたいと思う。もう完全に狂気である。だがそれもやむを得ないだろう。なぜならばこの狂気は、私がずっと求めていたものだったからだ。
↑30日は31日まで実証運行中の若狭メモリーライナーと京都交通の舞鶴地区各線を乗り継ぎ、バスだけで敦賀→大江(京都丹後鉄道宮福線)を移動するという旅であった。全体的な目的としては小浜線を補完するバスに乗車する、というものであり、また京都交通大江線についてはかつて阪鶴鉄道・北丹鉄道が結ぼうとした由良川に沿って舞鶴(宮津)~福知山を結ぶルートを偲ぶという意味も込めた(事業件名「のりのりJR+若狭」)。
西暦2019年(空0年)からの私は人生の回復・再興に注力してきたわけであるが、その結果実現するものは他者から見れば狂気と呼ぶより他ないものになるだろう、という漠然とした予感はかなり前からあったように思う。いつかどこかで書いたと思うが、全国乗合交通巡りを「のりのり旅」と称しているのはただ乗るだけではなく、気の狂うほどに乗るという意味を込めたものであり、そしてこの名前は西暦2019年(空0年)の人生再興開始当初より使用されているのである。つまり遅くともその頃にはもう今後は狂気で行くのだ、という考えがどこかにあったということである。
私の人生が本当の人生ではない、という漠然とした思いは中学2年だった西暦2009年頃には既にあったが、人生再興までの人生において何が足りなかったかと言えばやはり狂気であるだろう、と今は思う。私の人生にはあまりにも狂気が少なすぎたのだ。その背景には時代的背景の存在も指摘しなければならないだろう。私は平成という時代は日本の絶頂期であると同時に停滞した時代であり失敗した時代だったと思っているが、あの時代に何が足りなかったかと言えばやはり狂気であるように思う。バブルという経済学的には異常事態としか言いようのない時代を日本の二度と戻らない絶頂期であると捉え、その崩壊(=経済機構の正常化)を衰退だと思い込み、バブル以前の高度成長の回復かもしくは衰退の受容かというどちらも過ちとしか言いようのない幻想に政治が振り回され、ありもしないものを追い求めた結果あるべき改革が行われず結果として日本を衰退の道へと追いやったあの時代。あのまさに最高と最悪が共存した時代において、こと迫害を受けたのが「狂気」という概念であったように思う。あの時代の日本に蔓延っていたものは
「この国を間違った方向へ推し進める【悪い奴ら】を排除し、合理的で客観的で正しい俺らにみんなが盲従すれば世の中は良くなるんだ」
という幻想だろう。そこに産まれてしまった私を含むあの時代の子ども達は、とにかく権威に服従することを期待され、強要されていたように思う。自発的な創意工夫は「余計なこと」であり、余計なことを考えずに教師の提示した正しい行動に盲従すること。あの時代の家庭を含む教育現場が成文化された教育政策とは無関係に集合的無意識のうちに推進していたものは概ねそのようなものだったように思う。それで現に世の中が貧しければ子どもの側に反骨精神が芽生えることもあっただろうが、あの当時はGDP世界第2位の紛れもない経済大国であったわけであり、そのような豊かさの中では反骨精神など芽生えようもなかった。結果として世の中全体が無思考・無批判・権威主義の方向へと突き進み、日本は滅びへの道を歩み始めることとなったわけである。私もその時代の空気に飲まれていたし、あれはもう飲まれるしかないものだったとも思うが、とはいえ結果として日本も私も停滞していたのは全くの事実であるだろう。
狂気とはダイナミズムである。何事かを極めるということはすべからく狂気の沙汰なのであり、狂気の沙汰こそが世の原動力となるのだ。前の段落ではああは言ったが、とはいえいつの世であったとしても上手く人生を乗りこなす者達はその狂気を上手く使いこなしているのだろう。あいにく私はそこまで器用ではない。器用ではないが、一方で「やりたいことを、いかなる困難を乗り越えてでも実行する」という点においては私にも秀でたところがあるかと思う。確か私は9月辺りにTwitterで「半年くらい旅に出たい」だの「これからは死ぬほど乗ってやるんだ」だと言ったように思うが、あれを見た人々にはどこまで本気かわからなかったかと思うものの、私自身はかなり本気だったのである。その結果が今である。もはや私の人生史においては不可能にひざを折るフェーズは終わり、不可能を可能とするフェーズに入ったように思う。この流れは止まることはないだろう。
翻って日本を見れば、この国も令和の世となってまた動き始めたように思う。それも当然だろう。本来国家とは動き続けるものであり、停滞した平成時代こそがおかしな時代だったのだ。まずはこの30年の停滞の清算をしなければならない。そして次こそ虚妄ではなく事実を学び、あるべき改革を成し遂げなければならないのだ。
それにしても今のフォロワー諸氏は今のこの私をどう思っているのだろう。これから私はますます狂気の存在となっていくかと思うが、それに口を出したくなるような人々は私のアカウントなど覗いていないだろうとも思っている。ただ見守って下されば幸いである。