今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

近状、そして正義

0.近状

 

 「軌道に乗った」という記事を書いてから妙に時間が経ってしまった。あれから私は1月末まで特にこのブログの記事を書くこともなく八木に滞在し続け、その後名古屋に帰省し、実にそのまま4月末まで名古屋に滞在していた。なぜそんなに間が空いたのか。それは結局、

 

【疲れていたから】

 

だろうと思う。その結果として私は1月に熱を出し、その後長らく胸痛・腹痛・下痢に悩まされることとなった。いくつもの医療機関を受診することになったが幸いにして大事に至ることはなかったが、しかしそれによりさらに増幅した精神的疲労もあり正直今でも本調子に戻ったかどうかは自信がないところがある。

 

1.正義と知識人の倫理

 

 ところで話は変わるが、私は西暦2019年春に一般社会からドロップアウトしたことになっている。しかし私に言わせれば中三頃からむしろ私自身が私からドロップアウトしていたわけで、一般社会からドロップアウトはすなわち私自身の私への復帰を表すわけである。しかしそれは復帰してめでたしめでたしとなるものではなく、10年もの間蔑ろにされ続けた「私」という存在の復旧復興がその後何年にもわたって続くことになるわけである。いや私という存在は10年間蔑ろにされ続けただけでなく、それ以前から社会への恭順か否かで内戦状態にあったわけであるから、私という存在が平和状態で存在したためしはなかったわけであり、私の回復は「私という存在が平和状態で存在する状態」を模索することだとも言えるわけである。

 そのための枠組みとして私は空想委員会日本本部という組織を置いたわけであるが、この組織の目的ついて、以前【私と社会の対立の調停】と書いたことがあった。これは決して嘘ではないが、しかし少々ニュアンスが異なるようにも思われる。具体的に言えば、【調停】ではどうにも中立的・平和的に過ぎるように思われるのである。実際には言うまでもなく空想委員会日本本部とは私の私による私のための組織であるから、その目的は調停などというものではなく、【私と社会との対立】そのもののためのものであり、より攻撃的には【私が社会との間で戦闘を繰り広げるための組織】であるということになるわけである。そしてこれこそがまさに私が長らく空想委員会日本本部という組織を非公開としてきた理由の一端でもあるわけであるが、とはいえそれを隠し続けることはもはや不可能というか、そもそもそれを隠す必要もおそらく最初からなかったのだろうと思う。なぜなら空想委員会を公開するか否かを問わず、結局私は私として存在する限りにおいてこの世の中と対立せざるを得ないからである。実際私は西暦2012年夏にTwitterを立ち上げ、「空想委員」を名乗りながら何かしがのモノを言い続けてきたわけで、その在り方には多くの変遷があったにせよ、そこまで平和的な存在であったとは私自身思っていない。それならばもっと正々堂々と、空想委員とは何かということを明確にし、私の旗印を明確にして戦うべきであった。そうすれば私の人生ももう少しマシなものになったというか、もう少しマシなものにするにはそうするしかなかっただろうとも思うのである。

 

 では今、私は何を私の旗印とするか。何を以て正義とするか。実は私はこの公開ブログの記事を書くときに過去の記事をあまり読み返してはいない(※1)ので、過去の記事の内容をどこまで繰り返すことになるか、あるいはどこまで対立することになるかわからないのだけど、それはともかく今私の正義について考えると、それは結局ある一人の人物にたどり着かざるを得ない。その人物とは

 

【メーメル氏】

 

である。メーメル氏は私のTwitter旧アカウントの創成期の相互フォロワーである。氏は確か埼玉県川越市に居住しながら慶応義塾大学で歴史学を学ぶ学生であったが、氏が居住する川越市を走るJR東日本川越線について、こんな話をしていたことを覚えている。

 多くのJR線がそうであるように、川越線もまた元々は軍需輸送を担うために建設された路線であった。その川越線を利用することは平和主義に反し、戦争を肯定していると言えるか。氏は

「そうではない」

と仰っていた。確かに川越線は軍需輸送を担うために建設された路線であるが、現在においては東京近郊の通勤輸送を担う路線である。確かに過去の経緯は知るべきであるにせよ、それが現在においてその利用を妨げられる理由にはならない……氏はそうおっしゃっていたのだ。

 これは今にして思えば

 

【知識人の倫理】

 

を語っておられたのだろうと思う。それはつまり

 

【正しさのために今の人々の生活を踏みにじってはならない】

 

ということだ。そしてそれは当たり前のことである。私も正直それを見たときにはそこまで心を動かされることはなかった。だが私はその後嫌というほど知ることになるのである。

 

【いかに知識人が、独善的な正しさのために平然と他者の生活を踏みにじるか】

 

ということを。私も知識人の一角のつもりであるが、そうした言説や実際の行動を見る度に私はその言動の正しさに賛同するか否かを問わず、強い反発心ともの悲しさのようなものに苛まれてきた。そしてその結果として、私はメーメル氏の発言を最近ようやく思い出したのである。

 

↑極めて端的に言えばポストモダン以降、知識人のよりどころは進歩それ自体が諸問題を引き起こしているとする【反進歩主義】となり、一般市民がその生活の基盤とする機械文明・都市文明は啓蒙によって超克されるべき批判の対象となった。だが今私の目の前にあるこの世界の有様は【ポストモダンの敗北】であり、【ネオモダニズムの立ち上がり】であるように思われる。それが経済学におけるネオリベラリズムのように弱者の排斥を肯定する論理に成り果ててはならないが、かといって知識人達の絶望も筋違いであり、現代の進歩それ自体は祝福されるべきものであると私は確信している

 

2.語りたい

 

 それにしても1月からの体調不良のとき、私は実に

 

【このままでは死ねない】

 

と思った。私はまだ何事もなしていないからである。私一人で今できることには限りがある。とはいうもののこのブログで語ることくらいはできる。だからせめてそのくらいはやりたい。というわけで今この記事を書いているわけだが、ただ一方で今後より盛んに記事を書いていくにあたって、卑怯を承知で一つのことをすべての読者にお願いしたい。それは

 

【記事内容についての批判・反論は、私がはてなTwitter・pixivのいずれかのアカウントで今現在フォローしている相手に限定させて頂きたい】

 

ということだ。これははてなTwitter・pixivへの私のアカウントによるすべての書き込みが対象となる。

 

 私はあまりこのブログの読者を増やしたくはないと思っている。Twitterもフォロワー数を追い求めなくなって久しい。これはこのブログとTwitter、そしてpixivについては私の箱庭のような空間にしたいからである。公開されてはいるのだが、しかしその空間内で発言を許されるのは私が許した相手にとどめさせて頂きたい。それはなぜかと言えば、記事「公開ブログの目的」で以前書いた通り、もはや現在インターネットを使う理由は不特定多数との対話に非ず、ただ私の思考の結論をどこかに置いておきたいからに過ぎない。なぜこうなったかと言えばこれも先の記事に書いた通り、私はこのエコーチェンバーと権威主義で満たされた、ただ付和雷同するのみのネット言論に心底失望しているからである。

 

kazetosoratokumo.hateblo.jp

 

 とはいうものの相変わらず公開はしているのは、それはやはり自分一人で引き籠っていてもそこから発展はないからである。非公開の場所で己の結論だけをこねくり回していてもただ煮詰まるだけであり、それを避けるためにも他者それ自体は今でも欲している。とはいえその「他者」は不特定多数ではあり得ない。そもそも私にとって一番重要なのは、今ようやく手に入れたこの静かな生活である。あらゆる言論、あらゆる社会的活動はこの暮らしを維持し、より満足度の高いものにしていくために他ならない。そのため端的に言えば、このブログの記事内容によって始終中傷の電話が鳴り響くようなことになったり、私の家の前で街宣車が大声を張り上げたりするようなことはあってはならないのである。逆にわけのわからない連中に仲間だと思われても困る。

 とはいえやっかいなのは、私はもうあらゆる権威をそのまま是とする気はさらさらないことである。私は現在声高に叫ばれている諸問題の大半は知識人の幻覚であり、一方で事実として未解決のまま一向に解決されない問題もまた知識人の幻覚がその解決を阻害しているためであると思っているが、それはすなわち既存の秩序そのものに反対意見を述べることに他ならない。それは誰かはやらなければならないことだろうが、しかし私がそのために今のこの平穏な暮らしを捨てる気にはなれない。幸いにして今の私は何ら実際的な決定権を持っておらず、私のブログやTwitterもあえてその影響力を減じている。ならばここでの私の発言については、国会議員が日本国憲法第51条の規定に基づいて国会での発言に院外での責任を問われないように、この小さな言論空間の中にとどめておいていただきたいのである。

 

 そもそも日本においては、「異論はすべて叩き潰さなければならない」というドグマが蔓延っているように思われる。だから自らの見解と異なる見解を持つ人間が現れると、その人物は無条件で「その見解を押し付けようとしている」と思われることになる。

 これは西暦2021年夏のことだったと思うが、雑誌「月刊日本」で亀井静香氏が「日本はどんな異論でも受け入れて全会一致を旨とする談合の文化を持つ国」と書いていたが、私はその見解に賛同することはできない。たしかに談合は全会一致を旨としているかもしれないが、それは村八分等で根本的に異なる人間を排斥した上での、同質性の高い集団であることを前提とした全会一致に他ならない。日本は大石久和氏が著書「国土学再考」の中で述べている通り、その歴史において城塞都市を築くことのなかった稀有な国であり、完全に異なる人間と文字通り肩を寄せ合って暮らさなければならなかった体験を持たない国である。日本においては長らく、【嫌なら出ていけ】が実際に成立したのだ。

 だがその環境は明治維新以後様変わりした。明治維新により近代的な統一国家となった日本は、国際社会の荒波の中でこの日本列島そのものが一つの【城塞都市】となったのである。もう嫌なら出ていけは通用しない。にもかかわらず日本人の基本的な世界観は江戸時代からあまり変わっていない。まさにこの齟齬こそが、近代化以後の日本を覆いつくしている息苦しさの源泉の一つなのだろう。その明治維新からもかなりの年月が経った。いい加減に日本においても、近代的な【自由主義】というものを根付かせなければならない。その第一歩として私はここに宣言させて頂く。それは

 

【私のいかなる発言もただ「私はそう思った」という以上の意味は持たず、何ら他者に押し付ける気はない】

 

ということだ。私の実生活に危害を加えない限り、私はすべての他者の全自由を認める。だからこそ私には私の自由を認めて頂きたい。私が自分のアカウントで語っていることはそのアカウントの中で留まっている限り、何ら他者の生活に実体的な影響を与えようとしているわけではないのである。

 

 まただからこそ私はこの世のすべての人物・すべての権威に全面的に賛同・同調することはない。たまたま賛同が続くことはあるかもしれないが、それは完全にたまたまそうだっただけであり、どんな相手であっても批判すべきは批判させて頂く。誰であれ私は完全な味方にはならない(※2)し、そのような存在を得ようとも思わない。

 

※2 子どもでもできればそうも言ってられないが、この例外はその程度の極めて稀な例外でしかあり得ない

 

 これはリハビリでもある。私は過去あまりにも自分自身に同調圧力をかけすぎた。2019年からのあらゆる行動はその同調圧力を解除するためのものであり、それは現状かなり成功しており、これからも継続したい。そしてさらに言えば私の今のこの行動は日本をより自由にし、この国の息苦しさを多少なりとも跳ね除けるものであるとも確信している。

 

↑本当にそれであり、だからこそ私は同調や共感を可能な限り拒絶する。また私と社虫太郎氏の見解には相違も多いが、それでも私が氏をフォローし続けるのはまさにこういう見解に賛同しているからであり、さらにだからこそ私は氏の見解に対しても同調や共感を排して重箱の淵をつつきのめす所存である

 

 

 それではこの文章の最後は人類の恒久的発展を祈念し、日本ボーイスカウトに範を取り、今まで私がただ1人だけで使ってきたこの掛け声で締めくくろう。

 

 弥栄!

 

(委・委員長)