相変わらず名古屋に居るのだが、台風10号の影響と9月の予定の兼ね合いもありなかなか八木に戻る時期を確定できない。腹痛は既に名古屋でのかかりつけ医に行っておそらく特に何もないだろうという診断をもらい薬を飲んで落ち着けているところであるが、この予定の未確定ぶりと様々な問題がさっぱり解決に向けて進んでいかないことから正直かなりストレスが溜まっている(※1)。
※1 だからこそ腹痛が続いているのだろう
ただその中で、この公開ブログの更新についてはどうにかこうにか前進できていると評価しているところだ。これも正直7月中の記事は高熱に浮かされて書いたような内容になってしまいあまり良くなかったと思っているところだが、8月に入ってからの記事は大変満足しており、これでようやくこの5年ほど検討を重ねていた「何を敵とし何を味方とするかの問題」、「何を正義とし何を悪とするかの問題」が一段落し、またこれでようやく私もより本格的に実社会にコミットできるかと思う。
上手くSNSと付き合えている方。張り付かずにまとめ見しているので。 https://t.co/AK7Dg6Oe2h
— 昇り龍1番街・商業施設と決済手段、交通の街 (@risingdragons) 2024年6月27日
ところで昇り龍さんによれば私はSNSとうまく付き合えているのだそうで、それは大変ありがたい話なのであるが、とはいうものの私のTwitterアカウントについては7月以降はどうも散発的に連続しない話を出したり出さなかったりする場になってしまっており、これはこれで少しどうなんだろうかとは思うところである。とはいえ閲覧主体の運用はもとより目指した方向性であり、そしてそれは当然SNSの外へ、つまり実社会における「読書と対話」へと広がっていかなければならないところであり、そうなるとログイン時間は今後もどんどん少なくなっていくことは当然である。その中で下手な誤解を生むこともなく情報発信を行っていくことを考えると、やはりそれは公開ブログを強化する、という方向になるわけである。そして今後の公開ブログはより個別具体的な話になっていくわけである。
何を語るか、という問題は、何を学ぶか、という問題とほぼ同義と言って良い。では私は今何を学ぶか。それは私の趣味の原点であり、また今でも中核であり、その一方で日本の交通問題のラスボスともいえるJRの問題について、いよいよ切り込むべきときが来たのではないかと思っているところだ。
その発端は亀岡市のJR西日本株購入の件であることは言うまでもない。これはまさに「JRの難しさ」を象徴する問題であり、交通問題一般に対しては一定以上の見識を有する方であってもJRについてはまた別の見識が要求されるのである。また同時にJRの問題については数々の都市伝説、陰謀論、素人の思い付きが虚実ないまぜに喧伝されており、その中で事実を探し求めるのは大変困難と言わざるを得ないという問題も抱えている。
私のこの問題に対する現時点での認識は以下の通りである。それは
「現時点では亀岡市の対応を支持せざるを得ないが、しかしこのような対応をせざるを得ないのは国レベルでの政策の失敗である」
ということだ。この見解に対し違和感や反感を抱く方も多いだろうが、そのような方々と私の認識の相違にこそJR問題の本質があるのである。なぜならJRは国鉄改革法上の使命を負った組織であり、単なる営利企業ではなく、また補助制度や路線廃止の手続きも他の交通機関とは別世界だからである。それは既に完全民営化を果たしたとされているJR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州も同じなのだ。端的に言えば、JRに対する補助制度や路線廃止手続きは未確立の部分も大きく、だからこそ沿線自治体は独自予算の独自政策で対応せざるを得ない部分が大きく、また路線廃止ともなればその都度政治問題化して大騒ぎしなければならないのである。さりとてJRの使命は同じ陸上の乗合交通機関の中でも路線バスや民鉄とは未だ相違する面が大きいのも事実であり、単に路線バスや民鉄と同等にすべきとも言い難いのもまた事実なわけである。個人的にはローカル線の廃止と新幹線の延伸でJRの路線網は旧国鉄が元々目指したような地域間幹線を主体とした路線網になってきたのであり、だからこそそれをさらに整備改良を促進していくためにこそJRの再国有化も検討すべきではないかと思っているのであるが、それは巷で言われるようなローカル線を存続させるための国鉄復活論とはわけが違うのである。
なおこれはこのブログの記事にはすべて言えることではあるが、この記事の目的は私の現時点での認識をまとめて今後の学習に繋げるためである。つまりこの記事は学習ノートなのであり、これをこのまま喧伝して啓蒙活動をしようとかそういうものではない点をご留意頂きたい。また、この記事執筆もあくまで日常生活の中で趣味として行っているものであり、次回以降の記事継続やその公開時期については何ら確約できないこともご了承頂きたい。さらに言えばこの記事に対してSNS上でどこの馬の骨ともわからないような方から何か反論を受けたとしても、私もこの問題に関しては高々SNSで何か言われた程度で見解を変えるようなあやふやな話をしているつもりはないため、原則として反論には応じられないと言わざるを得ない。
余談であるが、8/21に「すべてを敵に回すだろう」と題する記事を書いたのは、JRについて自由に学習し見解を述べられる体制を整えるため、という側面もあるのである。JRの問題とは、そのような問題であるのだ。
この記事の初期版では「JRは国鉄再建法上の使命を負った組織」としていたが、どうもそれは私の勘違いだったようで、正しくは「JRは国鉄改革法上の使命を負った組織」だったようだ。このような学習は今後ますます加速させていかなければならず、この公開ブログはまさにこのような目的のために存在するのである。
(続く)