今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

空想委員会の攻撃性について

 猛烈な自己嫌悪に陥りながら「自殺願望と他殺願望は暴力性が内に向くか外に向くかの違いに過ぎず両者は表裏一体の存在である」という話を思い出している

つまり自殺願望の克服には攻撃性を適切に外側に向かって放出する必要があるのである。

 なぜ世の中の仕組みが一般的に軍隊を模倣するのか、というのもここから来ているのだろう。学生ですら軍服を身にまとい受験という名の戦いに赴く。彼らはそうして攻撃性を平和裏に発露しているのだ。

 空想委員会が戦闘組織を自称することもまたここに通じるものと思われる。

――家族LINE 空4年2月27日

 

 空想委員会の目的は複数の言葉で語ることができるが、考え方によっては「私の平和的存立のためである」と表現することもできるだろう。私が私としてこの世に存立するために、内に向かっては予算や予定の管理、生活の指導などを行いつつ、外に向かっては望む未来に向けて社会活動を行う。空想委員会とはそのような組織であると表現することができる。

 空想委員会の問題点はどのような言葉で語ろうとも、結局は仕組みとしてうまく回らなかったことだ。その要因として攻撃性の過度な忌避があったのではないか、というのがこの記事の趣旨である。

 

 人間は言葉による対話ではなく武器による殺し合いを選んだ生き物である。その原動力は闘争心であり、だからこそ社会は多くの場面において戦争と軍隊を模倣し、人々に競争を強いる。この仕組みへの批判は根強いが、しかしこの仕組みの他により良い仕組みを構築できていないのもまた事実である。空想委員会が戦闘組織を自称するのも、結局は私が人間であり、そして人間であるが故に闘争心こそが行動の原動力だから、なのではないだろうか。

 今私の闘争心が最も発露されているのはのりのり旅である。これは平和化された侵略行為であると言える。私が定時乗合交通機関に乗るのはその事業者が保護する領地を「征服」するためであり、そのためにこそ私は乗りつぶしに惹かれるのではないか。そしてこの暴力性を過度に忌避してきたからこそ、私は今まで思うように動くことができなかったのではないか。

 

 暴力性の過剰な忌避は平成以後の日本において顕著な事象である。比喩であっても暴力的な言葉を徹底的に封じようとする。具体的な事例としては新型コロナウイルスパンデミックのとき、行政機関が戦争を連想しうる言葉を使用することに対して批判が挙がったことが挙げられる。私個人としてはあの時あの場において「不要不急」に代表される戦争を連想し得る言葉を行政機関が使用したのは適切だったと思っている。なぜなら新型ウイルスの上陸という事態は、まさに国家の存亡にすら関わる非常事態だからだ。あくまでも一地域の問題であり、国家はその地域の機関を支援するに留まる地震などとはわけが違う。それは国家が国家として動かなければならない事態であり、まさに戦争と同様の事態なのである。にもかかわらず戦争を匂わせるような言葉を使うななどというのは、それは目の前の事象を非常事態だと思いたくないというナイーブな感情の発露に外ならず、そのような人々にも今が非常事態であることを周知するためにこそ戦争を連想し得る言葉の使用が適切であったことを逆説的に証明するものである。しかしそのようなナイーブな感情の発露が社会の中で一大勢力を築き上げ、実際的な影響力すらも持ったことはまさに現代日本における暴力性の過剰な忌避の実例であると言えるだろう。私もその影響は大きく受けており、実際空想委員会について記述する場合でも暴力的な言葉はなるべく避けようとしてきたことも事実である。だがそのようなやり方が私の闘争心を内側へと向かわせ、自殺願望を抱かせ、そして外界に対して行動することを著しく妨げてきたのではないだろうか。

 

 攻撃性の発露が必要である。侵略へのあくなき欲求が今こそ必要である。それは本来私の人生の当初より必要だったものであり、これからもその必要性が失われることはない。

 

 余談だが、だからこそ私は王の座に座ろうとするのだろう。空想委員会委員長を自称するのは私が一兵卒ではなく王の座にこそ惹かれているからであり、また艦これにおいても私があのゲームをプレイするのはあのゲームのプレイヤーが戦略指揮官に固定されていることに快を見出していることは9年前から自覚している。そこにあるのは侵略への欲求であり、征服への欲求であるのだ。