失った時間は取り戻せないというのは当たり前の話であるが、だからこそこの世で生きることは無理ゲーじゃないか、とも思う。
私が困難なのは20歳の前後約10年という重要な時期を、謎の自分内対立によって空費してしまったことである。結局2020年までの私というのは一見すると常識的に社会活動を行っているように見えても実際には猛烈な対立と混乱の渦中にあったわけで、対外活動などというものは最低限の体裁を取り繕っていたに過ぎない。その状態で勉学に打ち込めるはずもなく、実際今の私の学識は中学生に毛が生えた程度のものであって、高校・大学で本来身に着けるべきだったものは何一つと言って良いほどに身についていない。何一つ、というのも語弊があるがそのように私は認識している。一方でこれで人生が終わったものとみなし、後は余生とするのも20代の今からでは残された人生が長すぎる。結局今からでも、何もかもやり直すしかないのである。私が2020年に至った一種の悟りというのはそういうものであり、これは言い換えれば常識人として生きることを諦め、私はどれだけ常識外れでエキセントリックになろうとも私であり続けるしかないのだということを受け入れたということであり、その選択は実に正しかったと今改めて思っているところである。
「悟り」という言葉が出たが、実際今の私が至った境地というものは仏教の悟りに近いものだろう。私は他者からの承認ではなく自己承認で生きることとし、その象徴として今の私は私の見解がネット上で拡散することを全く求めていない。これは2022年中はまだ欲求を理性で押さえつけているところもあったが、今はもう本当に何も求めていないことは、実際に今私がTwitterで何らいいねもRTもされないツイートを連発していることからも明らかだろう。そしてまただからこそ、その中でも私のアカウントをフォローして下さる相互フォロワー諸氏からの反応を嬉しく思うのである。まさにこれこそが本来のSNSというものであろう。
それは良いが、しかし残念なのは失った時間は取り戻せないことだ。一昨日私は久留里線に関するツイートを発信したが、これを呟きながら思ったのは「三江線や留萌本線はこんなツイートも二度とできないのよな……」ということであった。岩泉線、十和田観光鉄道、気仙沼線、大船渡線、三江線、日田彦山線、札沼線、日高本線、留萌本線……これらはみな私が混乱していた最中に廃止になってしまった。混乱状態ではなく、今のこの落ち着いた状態であればこれらの路線に対しても何ができたであろうか……そう考えるとただ残念でならない。
定時乗合交通の重要な存在意義として【マイカーのバックアップ】というのもあるため、【普段は乗らないけど必要】という態度はそれはそれでアリだというのが私の結論。
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年5月18日
もちろん月1かせめて年1くらいは乗ってほしいとも思うが。
久留里線は極めて極めて厳しいが、ただ久留里で分断されてしまうと木更津に出づらくなり、一方で高速バスが走っていることから東京の方が圧倒的に出やすいという状態が生じることになる。その方が実際の交通流動には適合しているのだろうが、ますます東京一極集中が進むのはもやっとするところ。
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年5月18日
もとより分断されていた津軽線と、行き止まりとはいえ直通運転は行われていた久留里線、そして本来は都市間路線である米坂線はそれぞれ意味合いが変わってくる。
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年5月18日
そしてまたこれはもう一度言及することになるが、今の私の学識は中学生レベルである。少なくとも私はそう思っている。猛烈な回り道の果ての今から、いったい何が取り戻せるか、そもそも取り戻さずに何ができるか。気の遠くなるような話でもあるのだが、とりあえず希望だけは絶やさないようにしているつもりである。
【Wikipedia知識人であることを認めよう】
実は今やっていることの一つに「Wikipedia知識人であることを認める」というものもある。これは文字通りの意味であり、つまり今の私の知識の大半がWikipediaによるものであることを認めよう、ということである。
https://t.co/aWc9nBvotj
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年5月7日
一応Wikipediaくらいは確認しておくが、桑名はやはり平安時代には既に栄えていたようである。
↑こういうことはあえて堂々とやっているのである
これは認めるも何も当たり前のことであるが、Twitter旧アカウントの時代にはこんなこともできなかった。どうしても「恥ずかしい」という気持ちがあり、また自らの知識のなさを私自身認めたくなかったのは否めない。とは言っても事実としてそうなのであるからこれは認めるしかない。最近はようやくこんなことも認めることができるようになってきたと思う。これもまた悟りであり、7日のツイートはまさに私が悟りに至ったことを物語っているのである。
(委・委員長)