まあ大多数の方は気付いていただろうが、私のかつてのHN「空想委員」とは「空想委員会の委員」という意味だった。今は臼井空に変えたわけだが、正直今でも空想委員の方がしっくりくる(笑)これは何も空想委員というHNを長く使い続けたからだけではなく、私にとって「空想委員会委員長であること」が何よりのアイデンティティであり、はっきり言って名前などというものは実社会で生きていくための便宜上の記号くらいにしか思えないからである。
では、空想委員会(正式名:空想委員会日本本部)とはいったい何なのだろうか。
1.組織の目的――あるいは空想委員会の始まりについて――
空想委員会のそもそもの目的は「私と社会の対立の調停」である。あれは中学の頃だったと思うが、私はあるときこんなことを疑問に思ったのだ。
「なぜ、私が社会に一方的に歩み寄らなければならないのか」
別に私が社会に適合する努力を一切したくないわけではないのだが、しかし一方的に歩み寄らなければならないというのはあまりにもフェアでないように思われた。そもそも物理法則と違い、社会は人間が作ったものである。社会が人の道具であるならば、その社会に人が合わせなければならないのは非常におかしなことであるようにも思われた。また私が社会不適合者であることはかなり前から薄々感づいていたため、その私がそのままで存在できる社会というのはつまり「ユニバーサルデザイン化された社会」ということであり、それを目指すのは一人私のみにメリットがあるのではなく、社会全体にとってもメリットのあることであるように思われた。故に私は社会変革を考えるようになったのである。当時の私は中学生であったためできることは非常に限られていたが、とりあえず私の思いついた社会変革案は「空想計画」と名付けられ、夏休みの自由研究のために買ってもらったUSBメモリの中に保存されていったのである。
そのようにして旗揚げした空想計画であったが、これは何もゼロから築き上げたわけではなかった。そもそも私は鉄道趣味者であるわけだが、鉄道趣味の一種に「架空鉄道」というものが存在し、これは私も既にやっていたため、空想計画はそれまでに蓄積された私の架空鉄道を拡張する形で始まったのである。
私の架空鉄道の起こりは小学校1年か2年の頃、登校分団を列車に見立てたことに始まるが、これが社会問題の解決を志向し始めたのは3年か4年の頃である。当時名古屋ではあおなみ線の利用者数低迷と栄の地盤沈下が問題になっていたが、あおなみ線の問題を伝えるNHKニュースであおなみ線荒子駅の至近にある東山線高畑駅を利用するインタビュイーが「あおなみ線は栄に直通していないから」といっているのを見て
「ならば栄を中心とする高速鉄道網を整備してそれにあおなみ線を直通させれば良い」
と思ったのである。それが架空鉄道「愛知電気鉄道」の始まりであり、空想計画の最初の始まりといえる。ただそのころの私はまだ架空鉄道という言葉を知らなかったため、この趣味を「空想鉄道」と呼んでいた。私が「空想」という言葉を使い始めたのはそれが最初である。
とはいえそれだけでは現実に対し影響力を持ち得るものではなかった。それは決して見込み違いのことではなく当時の私からしても当たり前のことであり、そもそも私の思い付きがすべて正しいとは当時も今も思っていない。故に調停者を必要としたのだ。委員長たる私を守り、私が存在し続けられるように社会の変革を促し、私の活動を公益的活動に昇華させていく。科学的事実に基づき私の思い付きを「計画」へと昇華させていく。そしてそれらの計画を来るべき日まで保存し続ける。それは実際には私自身がやるしかないにせよ、その活動のためには私自身から少し距離を置いた存在が必要であるように思われた。それが、空想委員会の始まりでありそもそもの目的である。またこれ故に空想委員会は社会の改良を模索するのである。それは私の私的な利益を追求するものでもあることは事実だが、しかし同時に社会のユニバーサルデザイン化を推進するものでありそれは公益にもつながるものでもあるはずだ、と私は確信している。
2.組織の目指すもの――「空想」の意味――
前記の通り私が「空想」の語を使い始めた理由は「架空鉄道」という言葉を知らなかったためだが、しかし架空鉄道という言葉を知った今もなお、いやむしろ知ったからこそ「空想」という言葉は私にとって特別な意味を持つ言葉となった。
それは結局のところ、私の思想を表す言葉として「空想」が最も適任だからである。私は私の思想性を問われるのならば、保守主義でも革新主義でもなく(*1)「空想主義者」であると主張したい。
なぜ「空想」なのか。コトバンクで「空想」という言葉を検索すると多くの解説が出てくるが、ここでは世界大百科事典第2版の記述を採用したい。
「現実とはかけ離れて新しく作り出された独特の想像のこと。類縁の言葉に夢想,白昼夢,妄想,幻想などがある。空想は非現実的,創造的,独自的などの特徴をもつ思考の表象作用であるが,多分に視覚的・画像的傾向がある。正常成人の覚醒思考でも見られるが,夢や薬物中毒その他の精神病的状態で顕著であり,天才,精神遅滞,幼児,未開人の思考にもみられる。空想は音楽,絵画,文学などの芸術や哲学,宗教から発明,発見などの科学的分野にまで関連しうる」
「空想」の特徴として、世界大百科事典は以下の3要素を挙げる。
1.非現実性
2.創造性
3.独自性
「空想」とは非現実的なものであり、創造的なものであり、そして独自性を有するものなのだ。これは空想委員会を理解する上でも極めて重要なことである。
「空想」の対義語は「現実」である。世界大百科事典には「現実」の項目はないようであるため、代わりに精選版 日本国語大辞典の解説を採用する。
「〘名〙 (actuality, reality の訳語)
① (空想、理想などに対して) 事実として目の前にあらわれているものごとや状態。また、現在、実際に存在していること。〔布令字弁(1868‐72)〕
※波の音(1907)〈国木田独歩〉一「自分は空想の浜から現実(ゲンジツ)の浜に出た」
② (━する) 実現すること。
※野分(1907)〈夏目漱石〉五「光明より流れ出づる趣味を現実(ゲンジツ)せん事を要す」」
辞書的な意味では、「現実」は「事実」と同一であるとされる。なお同じ辞書において「事実」の解説は以下の通りである。
「[1] 〘名〙
① 実際にあった事柄。現実にある事柄。真実のこと。哲学では、特に、必然的にあることや、単に可能としてあることと区別される。
※御堂関白記‐寛仁元年(1017)七月二日「摂政被来云、今夜斉院盗人入云々、仍奉遣奉云々、右大弁来云、斎院事実也」
※俳諧・箱館紀行(1810)跋「日記は事実を専らとし紀行は吟詠をあるしとすとか」
※国会論(1888)〈中江兆民〉「或は偶ま偶ま読書学問したる者有るも其は実に落々晨星にて所謂鳳鳴二于朝陽一の類なるが故に竟に普通一般の事実(ジジツ)と認むるを得ず」 〔史記‐荘周伝〕
② 特に、法律で、一定の法律効果の変更や消滅を生ずる原因となる事物の関係をいう。また、民事・刑事の訴訟において、法律適用の前提ないし対象となる事件の内容の実体関係。
※刑法(明治一三年)(1880)二一八条「被告人を曲庇する為め事実を掩蔽して偽証を為したる時は左の例に照して処断す」
※民事訴訟法(1926)一九一条「判決には左の事項を記載し判決を為したる裁判官之に署名捺印することを要す。〈略〉二 事実及争点」
[2] 〘副〙 本当に。実際に。
※田舎医師の子(1914)〈相馬泰三〉五「兄さんは誰よりも今の若い人達の心をよく知ってゐる。そして事実、東京で若い多くの女のお友達もおありの事であったらうし」」
やはり、「現実」と「事実」は同じであるとされる。
だが、実際のところ我々の「現実」はどこまで「事実」足り得るのだろうか。
そう考えたとき、私は決まって思い出すことがある。それは私が小学生のとき、担任の教師が実に真剣な表情で
「『国産じゃがいも使用』と書かれたポテトチップスに国産じゃがいもはほとんど使われていない」
などと語っていたことである。教師曰く「国産じゃがいも使用」のポテトチップスの原料は99%が外国産のじゃがいもであり、国産じゃがいもは1袋に1枚くらいしか含まれていないのだそうだ。もしそれが「事実」であるのならば、日本国内でじゃがいもが不作であってもポテトチップスの流通にはほぼ影響がないはずである。
実際には西暦2016年夏、北海道でじゃがいもが不作になったとき、菓子市場においてもポテトチップスが品薄になるという事態が発生した。
あの教師はこの事態を一体どのように説明するのだろう。大半が輸入じゃがいもであることを隠すためにわざと品薄にしたなどという陰謀論でも展開し始めるのだろうか。そんなわけがない。菓子会社もあまたの従業員の生活を支える存在であり、事業継続のためならば品質的問題さえなければどんな商品でも売ろうとするだろう。もし本当にもとより多数の輸入じゃがいもを確保しているのであれば、「国産じゃがいも使用」の表記を外してでもポテトチップスの販売を継続しただろう。それはBGE問題でアメリカ産牛肉が輸入停止になったとき、大手牛丼チェーンが牛丼を豚丼に変えてでも事業を継続させたのと同じである。だがそうはならなかった。これはつまり、
「『国産じゃがいも使用』のポテトチップスの原料は、事実として国産であった」
ことを何よりも物語るのである。
ではなぜあの教師はそんな事実に反することを言ったのだろうか。それは結局のところ、大手食品メーカーが消費者を欺いているという教師の説こそが「現実的である」と、今我々が生きる社会においてはそう評価されるからだろう。実際私はあの話を聞いたとき、
「まあ、そんなものだろうな」
と正直思っていた。だからあの場でも特に反論などしなかったし、疑問に思って調べ始めるようなこともなかった。私自身、実際に北海道でじゃがいもが不作になるまであの話が事実に反していることを知らなかったのである。菓子会社と契約農家にはお詫びしたいところであるが、それはともかくとして、このエピソードは我らの思う「現実」と実際に巻き起こっている「事実」との間には思いの外距離があることを物語るものである。
実際こんなことは山のようにある。たとえば最近では、社会学者でTwitterユーザーの社虫太郎氏が自身のTwitterで
「新型感染症によるエピデミックサージが起こったら都市住民は過疎地に観光旅行に繰り出して都市の人口密度を下げるべきである」
と述べている、というエピソードが「現実」と「事実」との乖離を物語るだろう。
実に面白い提案であり、実際私が第六波以降京都府南丹市に滞在しているのはこの提案に沿ったものなのであるが、しかし今我々が生きる社会はこの逆、
「新型感染症によるエピデミックサージが起こったら観光旅行をやめ家に閉じこもるべきである」
という主張を「現実的である」としている。それゆえにGoToトラベルは西暦2020年12月に停止されたわけだが、しかし第三波、第四波、第五波、第六波、第七波は防ぐことができず、一方で旅行の自粛により観光業を主要産業としている地域は多大な経済的被害を被ったわけである。まさに「現実」が「事実」を駆逐した結果、「事実」として大きな被害がもたらされた事例であると言えるだろう。
このように、辞書的意味においてはほぼ同じものであるとされる「事実」と「現実」は実際には乖離したものなのである。図式化すると以下の通りとなるだろう。
図式1 現実≠事実
一体「現実」とは何なのだろうか。それは結局のところ、我々人間が勝手に作り出したおとぎ話に過ぎないのだ。わずかな事実の端切れを人間が勝手につなぎ合わせ、それを社会全体で共有することによりあたかも客観的事実であるかのように錯覚されているおとぎ話、それが「現実」である。
「あなたは現実的な人だ」
という評価は
「あなたは今私とあなたが所属する社会が共有する幻想に忠実な人だ」
という評価だということができるだろう。
これで良いのだろうか。そんなわけはない。なぜなら我々が住むこの地球は、宇宙という空間は、人間が作り出した「現実」という名のおとぎ話ではなく、物理法則に代表される「事実」に従って動くからである。「現実的たること」はファシストに酔いしれる衆愚のように共通幻想に埋没して一時の安息を得るには良いだろうが、物事の解決にはむしろ遠くなる。そして恐ろしいことに、地球は今”人新生”を迎えようとしている。人類の選択が地球環境を動かす主要因となるのならば、なおのこと人類は神の忠実な信徒ように「事実」に従うべきであるが、実際にはむき出しの自然の脅威が遠のいたが故に人々はますます「現実」の物語の中へと埋没しようとしているように思えてならない。「現実」は力を持つと「規範」へと変貌する。そしてそれに異を唱えることを許さなくなるのだ。前述の社虫太郎氏がTwitter左翼言論界隈において干されているのは、まさに左翼論壇の共有する現実=規範を破ったからだろう。
私はこの地獄の出口を探りたい。その出口を私は「空想」と呼ぶのである。「空想」は「現実」と対峙するものであり、またそれは本質的に共有されず独自性を有するが故に社会規範=現実から自由であり、それを相対化する創造性を有するからである。故に空想委員会は「空想」を冠するのである。空想委員会が社会のユニバーサルデザイン化を促進することが期待される組織であることは「1」で書いた通りだが、そのための方法論というか、具体的な社会活動目標は以下の通りに定めている。
【現実から解放】
これは2重の意味を持つ。
1.我々を取り巻く「現実」を相対化しそれから自由になること
2.客観的事実として我らの置かれた不都合な状況から解放されること
一見すると突拍子もないことのように見えるかもしれないが、しかしこれは時代の要請というか、人類史の流れとして当然行き着く方向性でもあると思っている。近代化とは、進歩とは、人々が「現実」という虚妄を離れ「事実」の世界へと移行していくことであるとすることができるのではないだろうか。空想委員会は人類の進歩の歴史を肯定し、それを促進する組織であって、また進歩への抵抗運動及び昨今地球温暖化の進行等により随所で見られるようになった反動主義運動とは真っ向から対峙することになるだろう。
*1 どちらかといえば私は保守主義者だと思うが、これはもし私がフランス革命議会に参加していたら議長席から見て右側に座っていたであろうという意味であり、日本における尊王攘夷派としての「右翼」とは結局のところ相容れないものだとも思っている
3.組織の設計について
空想委員会の組織目標が私と社会の対立の調停であり、その結果として社会のユニバーサルデザイン化を促進することが期待されており、またそのための具体的な社会活動目標として【現実から解放】という目標が設定されていることが確認された。
とはいえ、空想委員会の最も重要な使命は「私の自由を守ること」である。ここで言う自由とは思想良心の自由であり言論の自由である。「2」で少し触れたが、空想委員会の対峙する「現実」というおとぎ話は一方で社会規範の形成にも深く関わっており、それと対峙するということは自然と反規範的にならざるを得ないところがある。つまり空想委員会は、少なくともその内部においては反規範な言動をも許容する場である必要がある。実は空想委員会が合議制組織であることを表す「委員会」を名乗る理由はここにあり、これはつまりここが「自由な言論の場」であることを意味するのである。
しかしながら、実際問題として空想委員会が具体的な行動を起こしていくにあたっては、何らかの方法で組織として意思決定をする必要がある。また現時点において空想委員会の構成員は私一人ではあるが、しかし空想委員会が組織である以上は私以外の人間を加入させても円滑に動くようにしておかなければならず、その場合最も恐れられるのは「委員会が委員長たる私の意志を離れて活動すること」だ。もし委員会がここまでに書いた使命から離れ、得体の知れないビジネスやら宗教やらのハコにでもされたらたまったものではない。さらに空想委員会の厄介なところは「現実から解放」なる常識的にはわかりにくいことを目標に据えていることであり、何も考えずに活動すれば目標を見失って迷走を始めるだろう。「だろう」というか、実際のところ空想委員会の10年超に及ぶ歴史は迷走の歴史でもあった。空想委員会の組織は、そんな迷走をどうにかして終わらせ、安定的に活動していくことができるようにするために設計されたものである。
空想委員会の歴史は大きくわけて第〇次、第一次、第二次、第三次、第四次の5段階にわけられるのであり、現在は第四次の空想委員会なのであるが、空想委員会が中央会議を頂点とする官僚制組織へと移行を開始したのは第二次空想委員会のときだった。これは私が大学生の頃であり、今からは7年程前のことになるわけだが、この頃は委員会も私も迷走の極みにあった。何もかもがバラバラでちぐはぐであった。これを「大分裂時代」と私は呼んでいるが、その分裂を終わらせ「再統合」をすることが第二次空想委員会の使命だったのだ。これは経営破綻した企業を事業再構築するようなものだった。
再統合は具体的には以下の2ステップによって目指すこととなった。
1.現在空想委員会がどのように分散(分裂)しているのかを認識する
2.分裂状態の利点を生かしながら、組織として統合を図る
分裂は、決して悪いことばかりではない。分裂した組織とは、言い換えれば「自由な組織」である。「多様性のある組織」と言っても良い。そうした利点を生かしつつ、しかし組織としての統一性をどう確保するか。第二次空想委員会のテーマはそこにこそあったと言える。
この難題を解決するにあたって、私が注目したのは「国家」だ。国家は、それまで統一性を持たなかった人々に統一性を見出し、人々の多様性を担保しつつある特定の目的に人々をまとめ上げていく営みである。今では信じられないことだが、江戸時代まで日本列島で暮らしていた人々に「日本人」という意識はなかった。名古屋藩と三河藩の人間に同胞意識などなかったのである。それを作り上げたのは明治政府である。私はこの国家という仕組みを、空想委員会に応用できないかと考えた。その結果が、各部局の成立であると言える。空想委員会が官僚制組織へと移行したのはまさにこのためである。官僚制組織の特色は「非属人性」である。官僚制組織は人間とは無関係に駆動する、機械的な仕組みである。だから官僚制組織は人間疎外だとか言われるわけだが、しかしだからこそいかなる人間が存在しても組織はシステムとしてある程度機能できるのであり、これこそが現代の自由主義社会における人々の多様性を担保しているのだ。私は空想委員会の官僚制組織への移行から、このことを学び取った。
ではそのようにして成立した空想委員会の組織はどのように機能するのか。まずは組織図を見てほしい。
空想委員会は中央会議を頂点とする民主集中制の組織である。組織の構成員のうち、委員長、統合本部長、教務局長、情報局長、建設局長の5人を特に「空想委員」と呼び、この5人が中央会議を構成し、その中央会議の決定が「空想委員会の意志」となるのである。また中央会議の議決は原則として多数決によるが(*1)、しかし委員長は中央会議の決定に拒否権を行使することができ、これによって空想委員会が委員長の意志を外れることを防いでいるのである。それにしても自由を標榜する組織がソ連のような民主集中制を採用することはどうかと私自身思うこともあるが、しかし空想委員会は組織設計に当たって国家を参考にしたとは言っても国家そのものではなく、あくまでも自由意志によっていつでも組織を離脱することのできる民間組織に過ぎないため、その点については特に問題はないかと思う。
そして中央会議の決定を履行するのがその下に連なる4部局だ。これらのうち統合本部は「中央会議補助部局」、教務局・情報局・建設局は「内部局」と呼ばれ、中央会議補助部局は空想委員会を組織として運営していくために必要な活動を行い、内部局は「現実から解放」に向けて実際の活動をしていく組織である。これらの組織の構成は私という人間の活動そのものを写し取ったものであり、概ね統合本部が私の日常生活を、内部局が私の趣味活動を写し取っている。
空想委員会の活動においては「危機管理」というものが非常に重視されている。これはやはり空想委員会の元々の使命が「私を守ること」だからであり、自由については前記の通りであるがそれ以外にも戦争、災害など私を脅かすものはすべて空想委員会の関心事ともなるのだ。昨今のパンデミックに当たっては空想委員会も統合本部に「新型コロナウイルス特別対策本部」なる組織を設けているが、もちろん私自身ウイルスに関する知識は何もないに等しいにせよ、空想委員会が私を守る組織である以上付け焼き刃でもウイルス対策に勤しむ必要があるのである。
一方で委員会の組織がユニークなのは組織設計に当たって「対立の内包」という概念が導入されたことだ。これは組織間の所管内容をあえて重複させ、またその境界を曖昧にすることにより組織内における組織間対立を認め、自由な対立の果てにあるべき組織を模索するというものである。今では随分と整理されたが、たとえば建設局は現在総合開発部と防災部の2つしかないが、実は元々は非常に多くの部署が存在したのであり、それらが私の脳内で繰り広げられた対立の結果たった2つにまで集約されたのである。委員会の組織はそのような、実に複雑な過程を経て私の活動に見合うよう最適化されたものだと言えるのである。
*1 空想委員が5人なのはもちろん多数決が機能するようにするためである。委員長は中央会議の決定に拒否権を持つとは言え、多数決での決定が大前提であり決してそれを軽視しているわけではないことは強調しておきたい。なお私がかつて空想委員を個人HNとして使っていたのは、空想委員会の構成員が私一人である以上空想委員を名乗ることのできる実在の人物もまた私一人だからである。
4.終わりに
語っていないことは山のようにあるが、とりあえずこれで空想委員会を公開したことにしたい。ただそもそもの話として、なぜ長らく非公開だった空想委員会を公開化したのかということについて語っていなかったため最後に語っておきたい。
それは、私という人間をより低コストで運営できるようにするためである。
「3」で空想委員会の官僚制組織化を「経営破綻した企業を事業再構築するようなものだった」と書いたが、実際委員会の官僚制組織化に限らず、おおよそこの7年程私がやってきたことは破綻処理と事業再構築のようなものだったと思う。そもそもなぜ私は破綻したのか。それは私という人間が非常に高コストだったからだ。これはかなり前から思っているのだが、どうも私という人間は日本語で思考していないようである。では何語で思考しているのかと言えば「自分語」としか言いようのないもので思考しているようなのだ。これはつまり私が思考したことを発表するときには、私は自然言語については日本語しかまともに習得できていないため自然と日本語で発表することになるわけであるが、しかし日本語で発表する場合であっても自分語から日本語への翻訳が必要になるのである。この翻訳が非常に高コストであり、故に私はもとより日本語で思考している者達(=常識人)にはコスト的に太刀打ちできないのである。とはいえ日本語での思考は導入しようと思ってできるものでもなく、今の私は自分語を公開することにより、自分語での発表ができるようにすることを目指しているのである。その中で最も常識から外れたもの、解説を要するものが「空想委員会の存在」であると思われるため、それを公開しないことにはどうしようもないと思わざるを得なかった。故に公開したのである。だからといってどうなるのかは私自身わかりかねるところがあるが、ともかくより良い未来に繋がっていることをただ期待するばかりである。
(委・委員長)