今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

公開ブログの目的

 何かを語る場所の必要性はかなり前から痛感して久しい。そもそもTwitterを作る前からブログを作る構想は頭の中にあったくらいである。ただとりあえずTwitterアカウントを持つことができてしまったこともありブログ開設が停滞し続けていた。

 そもそもなぜ何かを語ることが私に必要なのか。それは私にとって「知ること」、そして「思考(空想)すること」が一つの趣味だからである。そのネタは交通に関することであることが多く、場合によってはポイントのことだったり創作のことだったりすることもあるが、とにかく知識の収奪と反芻はそれ自体が私の趣味だと言って良い。そしてそれはほぼ必然的に何らかの成果物を産む。成果物を産むことを目的としていなくともある一定の「結論」というものは必然的に表れるものである。その結論の置き場が私には必要なのだ。

 ではその結論の置き場としてTwitterを長く使っているのはなぜか。それは私の知識の収奪と反芻はそう体系だったものではないからだ。少なくとも長いことそうであった。私の思考は題があって書き出しがあって本文があって終わりがあるものではない。そうなることもあるのだけど、そうなると空想委員会に回収されてしまうのである。そして空想委員会が長らく非公開のものであったため、私の思考は長らく断片での公開を余儀なくされていた。

 とは言えその限界もかなり前から気付いていたことである。言うまでもなく140字の制限だ。またTwitterSNSであり、SNSは原則として双方向のメディアである。自然と「反応」というものを気にするようにもなる。これは私も例外ではなく、フォロワー数やらRT数やらを(今から思えば、無意味に)追い求めたこともあった。そうだった期間は大変長かった。北陸新幹線ルート問題あたりから交通評論界隈に疑問を持ち始めても結局はSNSでの承認欲求をすぐには克服することができなかった。だんだん大きくなる違和感とリアルの生活の破滅によって最終的に旧アカウントを捨てるという結末になるわけだが、それに至るには5年程の歳月がかかったが、まあそれは良しとしよう。

 旧アカウントを捨てたのは単にアカウントを変えただけでなく、「ネット言論からの離脱」を目指したものでもあった。なぜネット言論からの離脱が必要だという結論に至ったのか。それはSNSが、結局のところ閉じた世界であることに気付いてしまったからである。

kotobank.jp

 エコーチェンバー現象という言葉がある。これはこだまのように同様の見解を同質の仲間内でやり取りし合うことにより、特定の見解がその仲間内で支配的になる現象のことである。これは権威主義と非常に結びつきやすい。

kotobank.jp

権威主義authoritarianismとは,上からの命令や指示を,善悪・正邪の判断よりつねに優先させる考え方を指す」

 すなわち権威主義とは、善悪・正邪の判断を他者にゆだねることだということができる。まさに空想委員会が克服を目指す現実主義(客観的事実として認識される集団幻覚)そのものであるが、エコーチェンバー内部ではそのエコーチェンバーに疑問なく従うことが集団内の暗黙の了解と化するため、たとえ上下関係のない集団であったとしてもエコーチェンバーの構成員は権威主義にとらわれていると言えるだろう(しかも人間はだいたい、物事の正当化に何らかの権威を持ち出すものだ。つまり権威なきエコーチェンバーは概ね存在しないと言えるだろう)。

 端的に言って、私と権威主義は最も相容れないものである。貪欲に知識を収奪し常に自由な思考を展開させ続けるという私の性向は必然的にあらゆるものに対する疑問と他者とは必ずしも一致しない解答を導き出す。だがしかし最も相容れないものはそうであるが故に時として結びつくものでもある。私の場合、私と相対した教師たち(それは両親も含む)が私に根付かせようとしたものは権威主義だったと言って良いだろう。なぜならそれが私に最も不足したものであり、そして教師の職務は子どもに不足したものを充足させることだからだ。そして私自身もまた私に権威主義を根付かせようとした。その発端はあの「ヒトラーの秘密図書館」を読み、私もマジでヒトラーのような歴史的犯罪者になりかねないと真剣に思ったことである。またその後大学に入って「必読書150」を読み、古典の重要性を(それなりに)理解したのは良いがまたそれにより教養主義(これもまた一つの権威主義だ)が私に入り込もうとした(自ら入り込ませようとした。これは当時私自身が非常に不安定であったため何らかの着地点を見出したかったからである。思えば新興宗教にはまる学生のような状態だったんだな、と思うが、私は反権威主義的性向により宗教とは自ら作りでもしない限り相容れないため古の偉人に走りかけたわけだ)こともあった。だがその試みはすべてうまくいかなかった。理由は前述の通りである。

 新型コロナウイルスエピデミック第5波からしばらくのTwitter新アカウントと公開ブログは、私による権威主義への服従の試みの最後のものだったと言って良いだろう。最後にまだ試していない権威があったから試したかったのだ。それは「左翼」という権威である。一応Twitter旧アカウントでは北陸新幹線ルート問題以後交通評論界隈に疑問を持ちつつもその中で何とかやっていくために「無風戦略」というものが採用されていたわけであるが、どうしたことかTwitter交通オタクという連中はほとんどがネトウヨでもあるため、無風戦略は必然的に反ネトウヨ的言論の封印という形にならざるを得なかった。それは端的に言ってフラストレーションそのものだった。そもそも私は自民党ではなく立憲民主党に投票し続けるくらいには反ネトウヨだからである。だからこそ左翼になりたいという欲求があったことは否定できない。そして一応左翼っぽいことをやってみて、結局それも性に合わないことがよくわかったわけだ。私にとってネトウヨが疑問と反感の対象であるように、左翼エコーチェンバーもまた疑問と反感の対象にならざるを得なかった。私にはあらゆる権威主義が性に合わないのである。それは今から思えば空想委員会など作っている時点で当たり前の話なのだが、当たり前は意外とわからないものなのである。

 私はあらゆる権威から解き放たれ、あらゆるエコーチェンバーから自由でなければ生きていくことができない。故に、私とSNSは相容れないものなのである。私にとってSNSTwitter)は最新情報が流れてくる場所であり、形にならない思索の置き場であってそれ以外のものにはなりようがない。それが私が、10年Twitterをやって導き出した答えである。私がTwitterを止めることはない。Twitterは使い方次第で便利な道具になり得るからだ。だがエコーチェンバーへの服従は御免こうむりたい。故に今後Twitterのフォローは厳密にコントロールされる。Twitterは多様な言論を接種する場所ではなく(そうなり得ないことがよくわかった)、特定の情報を収集する場所となる。もちろんその中で他者とやり取りをすることはあるだろう。だがそれは共に最新情報を収集し合う者との挨拶であり、ちょっとした井戸端会議程度のものであってその会話それ自体を目的とするものではない。また積極的に自己の見解に対する異論や反論を収集することもない。それは当面紙の本と各種報道機関、継続的に更新される非SNSのウェブサイトが役目を担うことになる。つまりは有象無象の一般人ではなく、過去の偉人と市井の研究者を含むその筋のプロに意見を求めるのだ。元々私は論争的読書(→外山滋比古氏の「乱読のセレンディピティ」のようなもの)が好きである。ある見解に触れたらそれに反論する本を読みたくなる。その結果突拍子もないことを言い出す連中がこの世には大勢存在することもよくわかったため、今となっては論争的読書とは言ってもまともな大学に在籍しているとか、事実追及の手助けとなる範囲での権威主義の下でのものとなったが、しかしたとえば流通史においては北海道大学大学院経済学研究院准教授の満園勇氏と週刊東洋経済副編集長の梅咲恵司氏を組み合わせるなど、ある程度バックボーンを相違する識者を組み合わせるくらいのことは継続している。Twitterのリストもわざと見解を相違する識者を入れているところはある(減らしたが)。これで問題はないだろう。むしろ有象無象の相手をするよりはるかに効果的かつ有意義だろう。

 そして私はエコーチェンバーで満たされたTwitterとは距離を置き、空想委員会を公開してブログの世界に移行しようとしている。はてなはかつて「はてな村」などと呼ばれたこれもSNSではあるが、これも問題があればライブドアブログでもFC2ブログでも楽天ブログでも移行すれば良いと思っている。まずはここから、はじめてみたい。

 

(委・委員長)