今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

それでも新しい路線は走る

  平成以降の日本における乗合交通趣味というのはどうしても”葬式”のようになってしまうものであるが、やはり趣味とは後ろを向いて行うものではなく、あくまでも前を向いて行いたいものである。ノスタルジー趣味を否定するつもりは全くないが、ただ私は意識的に新しい路線へと目を向けていきたいと思っている。

 

 モータリゼーション以降の乗合交通はすべてオワコンで縮む一方だと決めつけている人も多いのではないかと思うが、実際のところ運輸業界においても新しい挑戦は続いているものである。定着せずに消えていったものも多いが、意外な路線がごく最近の運行開始だった、ということも往々にしてあるものである。

 

 ここに挙げたのは空4年2月12日(西暦2024年2月12日)に乗車したみなと観光バスの131系統(六甲アイランド~阪急御影)である。この路線は平日朝ラッシュ時には1時間に4本、それ以外の時間帯も毎時2~3本を運行する高頻度路線であるが、Wikipediaによれば驚くべきことにこの路線は西暦2019年の運行開始であるという。六甲アイランドと言えば六甲ライナーであるが、同路線は神戸本線に接続していないことと阪神本線との接続が魚崎駅であること、また六甲アイランド内をこまめに回るわけでないことからこちらのバスも支持を集めたものと思われるが、それにしてもこのような潜在需要がまだ神戸市内にあったとは驚かざるを得ない。

 

www.pref.kyoto.jp

 大都市だけではない。京都府内で人口が最も少ない自治体は相楽郡笠置町であるが、西暦2024年2月1日付京都新聞によれば同町の人口はついに1000人を下回ったということであるが、同町内を走る相楽東部広域バスはこの路線も西暦2017年の運行開始であり、2023年には毎日運行化と増便を行うなど積極策が続いている。利用は好調とは言えないようであり、加茂駅で接続する関西本線大和路快速も毎時1本に減便されてしまったが、それでもこうした挑戦を続けているわけである。

 

 今後の日本における成長産業としては観光業も重要な位置を占めるが、そちらへの乗合交通の協力・挑戦も見逃せないものがある。既に運行期間は終わっているが、この年末年始にはNHK大河ドラマ「光る君へ」に合わせる形で京阪バスが周遊観光バス「紫式部光号」を中書島・宇治~石山で運行を行った。2/9の中書島発朝の初便に乗ったところ乗客は私1人という寂しい状態であったが、しかしそれでも新規需要の開拓を試みる姿勢は肯定的に捉えたいところである。

 

 運輸業界においても人手不足が深刻化しているが、今後の就業者獲得のためにも斜陽業界などという風評を吹き飛ばすべくこのような新しい取り組みがますます重要になるだろうと思われる。私も乗り、また情報発信も行っていきたいところである。

阪急全線乗車達成に寄せて

 空4年2月28日(西暦2024年2月28日)、今津線今津駅においてついに阪急電鉄への全線乗車を達成した。これは名鉄近鉄、京阪、阪神に続くものであり、名古屋・八木から日帰りで行ける範囲の大手私鉄線はすべて乗車したと言って良いだろう。残るは八木から遠い南海電鉄(※1)と、関東8社(※2)と西鉄である。運輸業界の厳しい現状を鑑みればなるべく早く回るべきだろうが、順次遂行していきたい。

 

※1 これも残すは高野線岸里玉出極楽橋とケーブルカー、そして多奈川線のみである。もちろん実際に行くのならば水間鉄道にも同時に行かなければならない

※2 東武・西武・京王・小田急・東急・京浜急行・京成・東京メトロ

 

↑最後の未乗区間今津線西宮北口~今津だった。阪神を結ぶ沿岸3線(東海道本線神戸本線阪神本線)より北を目指す路線は多種多様な路線が存在し、今津線はその中でも最も主要な路線であるが、最も主要な路線であるが故に特徴に乏しく旅の経路にはなり得ても目標にはなり得ない。2/28に乗ったのは春以降こちら方面に赴くとしたら六甲山を越える観光用の各線に注力したいからであり、また3月廃止予定の阪急バス妙見口能勢線及び阪北線(50系統箕面行き)と抱き合わせで乗車できそうだったためである

 

↑同じく2/28には阪急バス尼崎線(阪神尼崎~川西能勢口)にも乗車することができ、また1月には阪神バス宝塚甲子園線、宝塚杭瀬線にも乗ることができた。阪神間福知山線宝塚本線を結ぶ路線はこれですべて乗ったと言えるだろう。今後阪急バスは長岡京向日市内の残る未乗路線と豊能郡川西市周辺の山間部を走る路線に注力し、また阪神バスは2/23改正で土休日1本に減便された西宮甲子園線(今津駅前経由)を基軸にもう一度旅をしたいと思っている。

 

 それにしても、私は一体今まで何をしていたのだろう。私の最初の一人旅がいつだったかは忘れたが、西暦2008年には既に旅には出ていたはずである。今から思えば、あの頃は日本の都市郊外を走る乗合交通機関の絶頂期であった。中央本線鶴舞駅セントラルライナーホームライナー太多が通過していったのは、今では幻のようである。今度の3月の改正では中央本線名古屋口では普通列車の130km/h運転が始まるが、一方で昼間の快速は定光寺・古虎渓を通過するのみとなり、また車両も今やロングシートばかりである。中央本線は「しなの」と貨物列車を除けば、もはや濃尾平野のための路線となり果てたと言って良く、十二兼までの複線電化は維持されているが高蔵寺以遠はもはやおまけである。近畿の拠点である八木はその切り捨てられた方の区間であり、山陰本線も複線電化は園部まで続いているが、亀岡以遠は昼間毎時1本となってしまった(※3)。郊外の縮退である。そして人口はますます都市に集中している(※4)。

 

※3 元々毎時1本だった園部以遠はさらに削減された

※4 ただ誤解してはならないのは、商業施設についてはむしろ郊外型の方が好調であり、都市型は既に成長の限界を迎えたように見受けられることである。都市型商業施設の王者と言えば百貨店であるが、それとてファーストリテイリング2ブランド+100均+ディスカウントスーパーになった東京銀座のマロニエゲートをはじめ「ロードサイドSCの多層建て版」になりつつあるのが現状である。

 

 あの絶頂期を体験しておくべきであった。特に大手私鉄はまさに郊外交通の主力なのだから、あの絶頂期に一通り乗っておくべきだったのだ。そして僅かでも運賃収入を発生させ、運輸業界の前途に少しでも貢献しておくべきであった。

 

 私に必要なものはただ旅であったのだ。多くの人が私には旅以外の〇〇が必要であると私に主張し、私もいくつかの挑戦を行ったが何もうまくいかなかった。私には結局交通趣味しかないのであり、私の人生の満足は乗った路線の数だけしか存在しないのである。あとのことはすべて余興でしかない。余興にコストを掛け過ぎたのである。

 

 ただここで自分を慰めておくと、おそらく世の中には人生の満足を達成する方法などわからない人の方が多いだろう。だからこそ「おかれた場所で咲きなさい」などと言った、現状肯定・現状追認・変革否定の言説が蔓延るのである。私は何が私の人生を満足させるかがわかっただけでも世の大多数の人々よりむしろ恵まれているだろう。私は他人との比較には露ほども興味が持てないため(※5)世の大多数の人々より恵まれて居るか否かなどは全くどうでも良いとしか思えないが、しかし一つの視点として押さえておきたいところである。

 

※5 だから高級品を持って金持ちアピールがしたいとか、その手の欲求は何もない。高級クレジットカードには少々興味があるが、それも単なる自己満足である

なぜ我々がこれほどまでに追い詰められなければならないのか

 空想委員会の現状を一言で言い表すと表題の通りになる。内政はどうにか形にしたが満足の行く状況ではなくむしろボロボロと評すべきなのが現状であり、そして内政はボロボロだというのに外敵に有効な打撃を与えることは全くできていない。

 

 この現状の理由は未だ未解明の部分も多いが、表層的な理由としては従来われらが戦ってきた戦いが結果として外征になっておらず、むしろ内戦だとしか言いようのない状態であったことによる。そしてなぜ内戦が行われたのかと言えば、そこには空想団体の分裂の問題があり、戦略目標の未策定があり、またこの世の現状に対する私の失望もあり、さらに周囲の無理解もあった。今ここにようやく内戦を終結させ、内なる兵力を国境線の警備に振り向け、あるいは復員させて他の平和業務に従事させ、どうにか内政を整えたことは僥倖である。だがわれらの目標たる現実からの解放のためには、厳重な国境警備の下で平和に暮らすのみではその目標を達成することは到底不可能である。必要なのは「反攻」なのだ。それも今までの時間的負債を一挙に覆す「大反攻」がわれらには必要なのだ。

 

【解説】

 この文章は空4年12月22日(西暦2023年12月22日)、私が空想委員会委員長として予算担当部局連絡会議(座長:統合本部信用課長)の席において空想委員会の現況をありのままに語ったという体で書いたものである。この文章の特徴は従来私が意図して避けてきた暴力的表現をあえて前面に打ち出した点にあり、この文章を書いたことにより私は空想委員会が本来的に戦闘組織であることを再確認し、そしてこの文章を下敷きにする形で書いたのが先の記事(→空想委員会の攻撃性について)となる。

 当たり前の話だが、空想委員会には武装化の意思はなくその能力もない。ここで言っている「大反攻」というのは全国乗合交通巡り(のりのり旅)の本格化であり、そしてそれに続く社会活動の再開・本格化のことである。だがそれらを個別具体的に書くならばともかく、すべてをひっくるめて書くにはこのような表現が最もしっくり来た。そして私は現にここで述べた通り、「大反攻」の先駆けとして昨今乗合交通巡りを本格化させている。

 

 私という人間が厄介なのは私の意思が不明瞭なところである。だからこそ意見集約に恐ろしいほどの時間がかかってきた。だがそもそもなぜ私の意思が不明瞭なのかと言えば、それは根源的には暴力的表現を過剰に忌避するあまり、私の行動の根底にある闘争心を適切に発露することができなかったからではないか、というのが昨今の私の見解である。実際先の記事において私の原動力は「征服欲」である、と書いたが、これは実にしっくり来るものであり、私の趣味活動がある程度の範囲の網羅を志向する(※1)ことを適切に説明するものである。

 

※1 わかりやすいのはやはり乗合交通巡りだが、しかし商業施設趣味においても近畿地方の百貨店・元百貨店巡りなどということもやったし、決済趣味においてもクレジットカードの収集をしようとするのはやはり征服欲が原動力であるからだと言える。そしてメイン趣味から一番遠い創作趣味においてなぜ私が艦これなどというゲームにこれほど入れ込んでいるのかというのも、あのゲームが各海域を「征服」(→ゲーム内では「奪還」ということになっているが、これは既に批判されている通りあのゲームが侵略戦争を題材として防衛戦争に仕立て上げたものだからであり、艦これの攻略とは本質的に各海域への「侵略」による「征服」であることは明らかである)していくものであるから、ということもまた事実であるだろう。もちろん他方においてはあのゲームは美少女ゲームでもあるわけであり、そこには美少女達を「征服」していく、という要素もまた含まれるわけである。

空想委員会の攻撃性について

 猛烈な自己嫌悪に陥りながら「自殺願望と他殺願望は暴力性が内に向くか外に向くかの違いに過ぎず両者は表裏一体の存在である」という話を思い出している

つまり自殺願望の克服には攻撃性を適切に外側に向かって放出する必要があるのである。

 なぜ世の中の仕組みが一般的に軍隊を模倣するのか、というのもここから来ているのだろう。学生ですら軍服を身にまとい受験という名の戦いに赴く。彼らはそうして攻撃性を平和裏に発露しているのだ。

 空想委員会が戦闘組織を自称することもまたここに通じるものと思われる。

――家族LINE 空4年2月27日

 

 空想委員会の目的は複数の言葉で語ることができるが、考え方によっては「私の平和的存立のためである」と表現することもできるだろう。私が私としてこの世に存立するために、内に向かっては予算や予定の管理、生活の指導などを行いつつ、外に向かっては望む未来に向けて社会活動を行う。空想委員会とはそのような組織であると表現することができる。

 空想委員会の問題点はどのような言葉で語ろうとも、結局は仕組みとしてうまく回らなかったことだ。その要因として攻撃性の過度な忌避があったのではないか、というのがこの記事の趣旨である。

 

 人間は言葉による対話ではなく武器による殺し合いを選んだ生き物である。その原動力は闘争心であり、だからこそ社会は多くの場面において戦争と軍隊を模倣し、人々に競争を強いる。この仕組みへの批判は根強いが、しかしこの仕組みの他により良い仕組みを構築できていないのもまた事実である。空想委員会が戦闘組織を自称するのも、結局は私が人間であり、そして人間であるが故に闘争心こそが行動の原動力だから、なのではないだろうか。

 今私の闘争心が最も発露されているのはのりのり旅である。これは平和化された侵略行為であると言える。私が定時乗合交通機関に乗るのはその事業者が保護する領地を「征服」するためであり、そのためにこそ私は乗りつぶしに惹かれるのではないか。そしてこの暴力性を過度に忌避してきたからこそ、私は今まで思うように動くことができなかったのではないか。

 

 暴力性の過剰な忌避は平成以後の日本において顕著な事象である。比喩であっても暴力的な言葉を徹底的に封じようとする。具体的な事例としては新型コロナウイルスパンデミックのとき、行政機関が戦争を連想しうる言葉を使用することに対して批判が挙がったことが挙げられる。私個人としてはあの時あの場において「不要不急」に代表される戦争を連想し得る言葉を行政機関が使用したのは適切だったと思っている。なぜなら新型ウイルスの上陸という事態は、まさに国家の存亡にすら関わる非常事態だからだ。あくまでも一地域の問題であり、国家はその地域の機関を支援するに留まる地震などとはわけが違う。それは国家が国家として動かなければならない事態であり、まさに戦争と同様の事態なのである。にもかかわらず戦争を匂わせるような言葉を使うななどというのは、それは目の前の事象を非常事態だと思いたくないというナイーブな感情の発露に外ならず、そのような人々にも今が非常事態であることを周知するためにこそ戦争を連想し得る言葉の使用が適切であったことを逆説的に証明するものである。しかしそのようなナイーブな感情の発露が社会の中で一大勢力を築き上げ、実際的な影響力すらも持ったことはまさに現代日本における暴力性の過剰な忌避の実例であると言えるだろう。私もその影響は大きく受けており、実際空想委員会について記述する場合でも暴力的な言葉はなるべく避けようとしてきたことも事実である。だがそのようなやり方が私の闘争心を内側へと向かわせ、自殺願望を抱かせ、そして外界に対して行動することを著しく妨げてきたのではないだろうか。

 

 攻撃性の発露が必要である。侵略へのあくなき欲求が今こそ必要である。それは本来私の人生の当初より必要だったものであり、これからもその必要性が失われることはない。

 

 余談だが、だからこそ私は王の座に座ろうとするのだろう。空想委員会委員長を自称するのは私が一兵卒ではなく王の座にこそ惹かれているからであり、また艦これにおいても私があのゲームをプレイするのはあのゲームのプレイヤーが戦略指揮官に固定されていることに快を見出していることは9年前から自覚している。そこにあるのは侵略への欲求であり、征服への欲求であるのだ。

破滅の向こうに

 恐らく本当に死ぬことはないだろうから軽く聞き流して欲しいのだけど、私は今久々に死にたいと思っている。これほど死にたいと思うことは少なくとも過去1年以内にはなかっただろう。

 

 何の話かと言えば秋のダイヤ改正の話である。わかり切っていたことだが廃止・減便が止まらない。西暦2024年春以降はこの動きがさらに加速することが見込まれている。9/20は「バスの日」だったが、バス運転士不足はますます深刻化し、現在でも約1万人不足しているのが西暦2030年には少なくとも3万6000人不足するということである。もはや赤字路線が削減されるという段階は終わり、今後は黒字路線・補助金路線でも削減されていくということだ。

 

 夏の暑さも厳しくなり、新型感染症が世界に蔓延している。本当に気が重くなる。

 

 

 その中にあって、私は先日よりようやく「全国公共交通巡り」を開始した。特に9/9~11の青春18きっぷ旅では始発からの乗りまくりを行い、さらに帰りは夜行バスとした。そこで思ったのは、これこそ私が求めていたことだ、ということだ。逆に言えば結局私が求めていたのはこれか、とも思った。時刻表通りに走る、それ自体が観光資源となるわけでもない「日常の乗り物」に延々と乗り続けるという、古くは宮脇俊三氏が「時刻表2万キロ」にその旅の模様を綴った最も典型的な「乗り鉄趣味」というものが結局私が最も楽しめることなのであり、その他のあらゆる趣味はもちろんそれらも好きなのではあるけれど、ただこの趣味にはどうしても及ばないものがあるのだ、ということを認識させられた次第である。

 

 思わざるを得ないのは、「なぜ今更そんなことを言っているのか」ということだ。乗るのが好きだなんてことははるか昔からわかっていたことである。そしてそのころから腰を据えて乗りまくり旅をやっていればもっと多くの路線にも乗れただろうし、その見識を活かしてさらに活躍することもできただろう。それなのになぜ、今の今までずれ込んでしまったのか。

 たとえばの話、私は名鉄全線に2回乗っている。1回目は約30年にも及ぶ時間をかけてようやく昨春達成したところであるが、2回目はその後すぐ、たったの4日で乗りつぶしてしまった。つまり4日でできることに私は約30年もの時間を費やしていたのである。

名鉄全線乗りつぶしは西暦2023年(空3年)3月17日、知多新線内海駅で達成した。翌日のダイヤ改正知多新線は線内折り返し運転が基本となり、今は昼間の内海駅パノラマスーパーを見ることはできない

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↑続く2週目は同じ西暦2023年(空3年)の3月30日、築港線東名古屋港駅で達成した。17日からは10日以上経っているが、これは築港線のみ乗り残していたからであり、実際に要したのはたったの4日だった。さらに築港線のみ乗り残していたのは朝の出発時刻が遅かったためであり、文字通り始発から終電まで乗っていれば2日で終わっただろう。

 

 これはあまりにも悔やまれてならない。私が一人旅を開始したのは西暦2008年とかだったはずである。それから一体何をやっていたのか。

 

 結局、腰を据えるのが遅すぎたのである。私は名古屋市営地下鉄全線乗りつぶしは早々と終え、オーストリアの首都ウィーンの地下鉄にも全線乗った実績があるのだが、しかしそれ以外の乗りつぶしを決意するのがあまりにも遅すぎた。JRと名古屋市営バス乗りつぶしを決意したのが、実に西暦2019年(空0年)のことなのである。JRと名古屋市営バスに全部乗るのであれば当然ついでに日本国内の鉄道全線には乗ることになるのが私という人間なわけであるが、つまりは乗りつぶしを決意したのはそこなのである。なぜ、そんなことになってしまったのだろうか。

 

 この記事ではわざと空想歴も併記しているが、西暦2019年(空0年)は私の再出発の年である。産まれてから積み重ねてきた私という人間がついに破綻し、その清算と人生再構築を余儀なくされた年である。西暦2020年のTwitter旧アカウント終了などはまさにその清算と再構築の結果である。鉄道にたとえるならば旧国鉄が分割民営化でJRになったようなものである。今の私はJRなのだ。

 JRとしての私は人生のすべてをゼロベースで見直し、本当にやりたかったこと、好きなことだけに注力することにした。これはあくまでも理性的に検討した結果である。それまでの私は対外的身分が学生だったこともあり、将来のため、視野を広げるためといってやりたくもないことばかりをやり、実らない努力ばかりをやっていた。その結果ない力がさらに分散され、リソースを本来分配すべきところ、つまりは努力が実るところ、私の本来の持ち味を発揮できる場所に分配することができていなかった。これは企業経営にたとえるならば赤字事業ばかりに注力して黒字事業に注力することができていなかったというわけであり、それは破綻して当然だろう。清算と人生再構築とは即ちそのような赤字部門を捨てて黒字部門に注力するということだ。国鉄改革で特定地方交通線が廃止になったようなものである。そしてその中で注力すべき黒字部門として強化されることになったのが、「全国公共交通巡り」なのである。

 

↑私も共感する

 

 「全国公共交通巡り」はまたの名を「のりのり旅」と言う。ただ「乗る」のではなく、「気の狂うほどに乗る」という意味を込めて「のり」を2度繰り返している。中でもさらに注力分野として「のりのりJR」と「のりのりバス名古屋」が策定された。具体的には以下の通りとなる。

のりのりJR:青春18きっぷを主に使い、JR各線の普通列車の自由席(特別料金を要さない列車)に乗りまくる。ついでに元国鉄の三セク線、バス路線、及び旧国鉄線と一体的に機能する私鉄線にも乗る。今後の人口減少とその人口の都市集中、及び商業地・勤務地としての都市の求心力低下、特急列車の新幹線への移行により今後いよいよ持続不能になっていくことが明らかな一方で、高齢化や若者の車離れ、インバウンド、バス運転士不足の受け皿となることが期待されてもいる「幹線の普通列車」という存在に今こそ乗り、その現状とこれからを探ることを目的とする。

のりのりバス名古屋:ドニチエコきっぷを主に使い、名古屋市営バスに系統番号単位ですべて乗る。今後人口がより集積していくであろう都市の交通の現状を探ることを目的とする。

 両者を合わせて「点と線戦略」などと当時の私は呼んでいたものである。当時はろくに資金もなく実現のあては何もなかったが、それでも今後の努力の目標としては悪くないものであると考えられた。それからもいくらか紆余曲折もあり、私は活動拠点を名古屋から八木に移したこともありのりのりバス名古屋に代わって「のりのりバス南丹」、そして「のりのりバス京都」「のりのりバス京阪」へと邁進していくことになり、一方でのりのりJRの方もその前哨戦として大手私鉄各線への乗車を優先することになり、結果として名鉄全線を2周することになったわけであるが、しかし先日はいよいよ青春18きっぷを入手できたこともありついに念願の「のりのりJR」を実行に移し、また今秋~今冬には「のりのりバス名古屋」にも着手しようと思っている次第である。

 

↑このツイートの背景にはそのようなものがあったのである

 

 これに向けて私は、決して安定しているとは言えないが少なくとも自由な時間を確保しつつクレジットカードを12枚も作れるくらいの社会的身分と収入のあてを作り、一方で実質的な一人暮らしを開始して自律的に活動するための基盤を整えた。鉄道趣味と並行して行うことになった商業施設趣味(※1)及び決済趣味(※2)を「生活基盤趣味」とし、それを車の両輪としながらその上に交通趣味を載せて突き進んでいこうと思っている。

 

※1 これが趣味になったのはもちろん鉄道事業者の副業と乗客の「行先」として関心を持ったという点が大きいが、実は元はと言えば食料品を買いそろえるための物価調査として、各社のプライベートブランドの価格を比較し始めたところに始まるものなのである。今でも小売り各社の価格帯(≒ターゲット層)とその店舗配置は関心の中核を占めている。

※2 これは言うまでもなくポイ活から始まったもの。元々私は各社のポイントカード等を体系的に調査し、ポイントやクーポンの活用によって生活コストを下げることを模索すべきであることはかなり前からわかり切っていたのだが、私の混乱により長らく先延ばしになっていた。しかし西暦2021年夏、それまで長らく継続していたドコモの家族会員を辞めて自己資金で改めてスマホを持とうというときに、母の勧めと小売りを本業とする「第4のキャリア」という存在に興味を持ったことから楽天モバイルを契約し、その結果として楽天経済圏に参入することからポイント経済圏を調査する気運と必要性が高まり、スマホ代の支払い口座として楽天銀行の口座を作ったところキャッシュカードにブランドデビット機能が搭載されていたことから日常の決済についてもキャッシュレス化を一気に推進することになり、その手段の多様性、選択肢の多さと複雑さにハマったというわけである。それでも当初は一般に言われるようにクレジットカードは2枚~4枚に抑えようと思っていたのだが、しかしポイント還元率の面から見ても決済の利便性の面から見ても明らかにそんな枚数で抑えることはできそうもなく、どうしようかと思いながらTwitterをそれらしいワードで検索してみたところ大学生や年金生活者でも100枚以上のクレジットカードを持っている人がこの世には居ることがわかり、また当時既にインターネットの受け売りではあるが家族に対してクレジットカードのアドバイスをするようになっていたこともあり、それならば私としても趣味の一つに加え、調査研究を兼ねてクレジットカードを作れるだけ作ってみようと思ったのである。結果として私も今では12枚ものクレジットカードを持つようになり、さらに増やそうと思っているが、一方で年会費無料ゴールドカードのセゾンゴールドプレミアムを取得できてそれにかなり満足していること、MUJIカードの審査に落とされたこと、のりのりJRがいよいよ始動したこと、相互フォロワーのキャレおじさんのJCBゴールドの顛末等により私としてもやはりクレジットカードの発行は冷静に、慎重に行わなければならないと思ったところである。実は来年までには三井住友カード・セゾンカード・JCBカード三菱UFJカード(MUFGカード)の国内4ブランドを制覇する……などということも考えていたのだが、JCBカードWが基本還元率1%を維持できなくなったこと、三菱UFJカードも三井住友カードとセゾンゴールドプレミアムで代替できることから、今後は現在の主軸たる三井住友カードとセゾンカード、そして鉄道事業者及び商業施設のクレジットカードの中から特に生活上必要なものを揃えていくことに注力しようかとも思っている。

 

↑私としてもMUJIカードの否決とこの文章を読んでかなり冷静になったところがある

 

 それで今ようやく私はのりのり旅を開始した、というわけである。しかしほぼ時を同じくして乗るべき乗り物たちは消え去ろうとしている。結局私はのりのり旅を越える趣味を見つけることはできなかったわけであり、だからもう消えていく乗り物達と共に死んでしまおうかとすら思うわけである。それでも私は死なないだろう。結局死ぬことなどできないのである。それは私ののりのり旅はまだ始まったばかりで終わっていないからである。国内が終わっても海外がある。私にはまだ、やるべきことがある。

 

(委・委員長)

「新年」を迎えたわけだけど

 でもだからと言って今日を盛大に祝って欲しいかと言うとそれもまた違うのよね。

 

 前回の記事で書いた通り、本日西暦2023年6月27日は空4年上6月27日であり、本日より1年間が「空想歴4年(空4年)」となるわけである。が、この紀年法を採用しているのは空想委員会日本本部とその唯一の構成員たる私だけであり、その由来もまたこの両者のみに起因するものである。それ以外の一般の方々がこの日を祝う必要性は何もなく、1月1日を祝うことを妨げるものでもない。

 

 1月1日が苦手である、という話はしたが、だからと言ってそれを6月27日に移植しても何も物事は解決しない。今日を祝うのはただ私1人で良いのである。もちろんこれは他の方々が今日を祝って下さることを妨げるものでもないが、それはすべて自由意志のみに委ねられるものである。

 

 

・「リベラル」

 立憲民主党はリベラル政党であると言われ、それを支持する私もリベラル派に属するというのが一般的な解釈なのだろうけど、しかし私は今まであえて「リベラル」という言葉を避けてきた。それは私の勉強不足によりこの言葉が具体的に何を表すのかがよくわからなかったからだが、いつまでもわからないままにするわけにもいかないから、最近田中拓道「リベラルとは何か」(中公新書、2020年)を読んだところである。これによるとリベラルとは「価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治的思想と立場」ということである。

 ということである、というか、これはむしろ著者の田中拓道一橋大学大学院社会学研究科教授がリベラルという言葉をそう定義した上でその思想の変遷を追ったのが本書である、と言った方が正しいのであるが、ともあれ一般に「リベラルとは何か」を考えるにあたっては、まずこの定義から出発するのも悪くないだろう。というわけで私もこの定義を採用したいのであるが、この定義に基づいて「リベラル」を考えると、第一に思うのは「私はやはり【リベラル】であったのだ」、ということだ。これは何年も前から薄々感づいていたことだった。私は全体主義も完全自由主義もしっくりこないが、それは人間は明らかに多様であり、多様であるが故に「幸福」は自ら追求するしかない(→父権主義的に「幸福」を供給することなどできない)ことから社会の目標を「構成員の幸福」に置く限りにおいて社会は自由主義的である必然性があるが、一方で社会の中で自由に活動するためには当然「生存」が大前提としてまず必要であるにもかかわらず完全自由主義は「死ぬ自由」をも必然的に認めてしまうため、それを採用した社会(≒新自由主義社会)では人々は生存のための活動に人生の多くを費やさなければならないことになり、結果として完全自由主義社会というものは実態としては「生存のための行動を全体主義的に強要される社会」へと陥っていくからである。自由主義社会を求める人々が真に求めるであろう「生存した上での自由」を社会全体で達成するには結局生存そのものは父権主義的にでも提供されていなければならないのである。言い換えればこれは「自由の階層構造」とでも言えるだろう。これはマズローの欲求階層説にも対応するものだろうが、人間にとって最も重要なのはよほど奇特な趣味人を除けば「欠乏からの自由(生存する自由)」なのであり、「選択する自由(政治的な自由)」はそれに次ぐものでしかあり得ないのである。逆に言えば「選択する自由」を棄損することが妥当性を持つのは「欠乏からの自由」を達成するために必要な場合に限られるとも言える(※3)。この階層構造を破壊せんとする者はまさしく「よほど奇特な趣味人」と言わざるを得ないだろう。www.nri.com

しかしその「よほど奇特な趣味人」が実は実際の政治を考える上で実に厄介なものなのである。社会的な意識の高い人々、例えばSNSで日夜政治的言動を発している人々などというものはこの「よほど奇特な趣味人」であることも多く、その結果彼らは欠乏からの自由を度外視してでも選択する自由を主張したり(※1)、欠乏からの自由は達成されてもなお全体主義を主張したり(※2)するわけである。そしてそれは常識的にはよほど奇特な趣味人でしかないはずだが、しかし往々にして彼らが多くの支持を集め権力の座につくこともあるのである。あるのである、というか、それこそ一国を率いるなどという気のふれたことをしたがるような連中はそのような「よほど奇特な趣味人」であることの方がむしろ多いようにも思う。

 私の政治的活動の目標は私の幸福追求権を保守防衛及び拡大すべくこの「よほど奇特な趣味人」を批判し「欠乏からの自由を前提とする選択する自由」を確保することであると言えるが、それはまさに田中拓道氏による「リベラル」の定義そのものであると言えるだろう。なるほど、私はやはり【リベラル】であったのである。

 

※1 新自由主義を最初に主張したミルトン・フリードマンフリードリヒ・ハイエクはまさにこのタイプの「よほど奇特な趣味人」であったと言える。そのような趣味人の趣向が社会全体に適用されてしまったのが「新自由主義の失敗」なるものの根底にあるのだろう。そしてこれは私が肌感覚で理解していることだが、今日の日本において安倍自民を批判し野党共闘を支持したようないわゆる「左翼」の中には、こういうタイプの連中もまたごまんと居るのだ。もっとも彼らが厄介なのは彼らのエコーチェンバーが全体主義へと方向性を変えてしまえば容易くそちらへと振り切れてしまうことでもあるのだが

※2 世界一の富裕国となり安全な医療も十分に受けられる環境にある今日のアメリカ合衆国においてなぜか妊娠中絶を認めない人々など。いわゆる「右翼(保守派)」が多くこちらに該当する。彼らはそもそもの話として社会の目標を個々人の幸福には置いていないわけだが、ならば彼らは何のために政治なるものをするのだろうか。そもそも保守派とは元々はフランス革命において人間の理性を懐疑して急進的進歩主義を批判した人々を指すはずであるが、今日保守などと呼ばれている連中はむしろ人間の理性そのものは過大なまでに評価する傾向にあり、彼らの訴える内容も現に人々が大切に守ろうとしている伝統を尊重することではなく、彼らが勝手に決めつけた伝統なるものを自然に反してでも温存しようとしたり人工的に復活させようとしたりすることであり、それはもう保守ではなく「左に270度振り切れた極左」とでも言うべきものだろう、と私は思っている

 

 第二に思わざるを得えないのは、この「リベラル」なる概念の日本における不可能性である。端的に言って、これは日本人の心情から最も乖離した思想であると言えるだろう。日本は自由主義なのか集団主義なのか、みたいな話はよく聞くが、私の認識では日本社会は「集団主義的完全自由主義」とでも呼ぶべきものである。日本社会の本質は多様な小集団(=ムラ)の集合体であり、小集団の相互間では完全自由主義(※3)が適用される一方で、すべての個人はいずれかの小集団の「部品」として組み込まれ、その小集団を維持することそのものこそが小集団の目標となる。これが日本社会が主に左派の主張するように「最も全体主義になりやすい」傾向を抱えながら、少なくとも形式的には右派が認識するようにG7の一角であるくらいには「自由主義国家」を形成している所以であるのだろう。そしてまたこの社会においては、個々人は小集団の部品でしかあり得ないためその選択の自由なる概念はピンとこないものがあり、「欠乏を回避するための再分配」もその主体は小集団の方になってしまう(※4)というわけである。

 何よりも厄介なのは、日本の「リベラル派」なるものもそのような小集団の一つでしかない、ということだ。彼らは往々にして日本的価値観そのものから解放されたような気分に浸っているがその実態はただ元々居たムラが住みにくかったから隣のムラに移ったという程度のものであり、彼ら自身の内にある日本的価値観を相対化しきれていない(※5)。だから結局は彼らもリベラル村のパーツでしかなく、にもかかわらず彼らの主観では彼らこそが普遍的価値観の体現者であり伝道師であるため、彼らはリベラル村そのものを際限なく拡大しようとする傾向がある。結果、彼らの主張は往々にして「(彼らの考える)自由への総動員」とでも言うべきものに陥る。私の認識では彼らの主張は確かに比較的自由へと近づいていくものであるから右派的な全体主義よりはマシであり、だからこそ私は立憲民主党を支持し続けているところがあるのであるが、とはいえ彼らの主張もまた往々にして80年程前にあったような”国民精神総動員”的な色彩を帯びる傾向があることは否めない。それは結局彼らもまたリベラル村という小集団の「部品」でしかなく、その選択の自由という概念を腑落ちしきれていないのだろう。そしてまたそうであるが故に、その小集団の方向性一つでどんな矛盾も主観的には矛盾することなく主張することができてしまうのだ。それが具現化したのがまさしくサーズ2(新型コロナウイルス)によるパンデミックであり、彼らは当初安倍晋三首相率いる自民党政権が全学校の休校を指示したときにはそれを批判した一方で、それが終わってしまえば逆にそれを行わないことを批判したのである。こうなるのは結局、彼らもまた自ら思考することをせず、リベラル村の方向性に沿った主張しかしていないからだと言える。端的に言って、だからこそリベラルは嫌われるのだろう。

 

※3 「ムラ」の中にはそれぞれのルールが適用され、その内部にも適用される普遍的なルールなど存在しない。「法の支配」はあくまで小集団の関係性のみに適用され、その小集団の内部には及ばない

※4 自民党型再分配がまさにそれである。自民党政権は確かに再分配を行うのであるが、行う相手は行政主体(都道府県・市町村)であったり事業主体(企業等)であったりし、社会保障もあくまで家単位となることが多い。それは再分配を行う相手が小集団そのものであり、個々人ではないからである

※5 それは別に悪いことでもないのだが、ただ彼らは彼らの主観ではその日本的価値観なるものから解放されたと思い込んでいるからこそ厄介なのである

 

 さてここまで長々とリベラルについて語ってきたのは、私が「新年」に望むことはまさに私がリベラルたる所以でありその神髄を表していると言えるからである。私は6月27日を新年としたいがそれは私だけが祝えば良いことであり、他の方々を巻き込むつもりは全くない。私は他者については1月1日に新年を祝う在り方からそもそも新年を祝わない在り方まで、すべてを尊重したいところである。そしてその中において1月1日に新年を祝う人々が社会の構成員の中で多数を占めることは明らかに事実であるから、最大多数の最大幸福を実現すべく日本国の国会が祝日法第2条において1月1日を「元日」という祝日として定め、多くの企業・学校がそれに合わせて休暇を取ることは何ら批判しない。ただ私が望むのはそこから外れる権利も尊重されることであり、昨今の働き方改革で多くの企業が1月1日を休業とするようになってきたのは、労働時間の文脈では評価できるもののその他の文脈においては手放しで肯定することはできないのである。

elaws.e-gov.go.jp

 

 このような在り方は今の日本においては「リベラル派」を含めほとんどの人々には非常に新鮮であったり、ともすれば理解不能だったりするだろうが、ただ私はこれからは日本もリベラル的になっていくべきだろうと思うし、実際その萌芽は芽吹きつつあるようにも思う。ただそれは一方で旧来の「リベラル派」の主張がそのまま実現するというものでもなく、だからこそ今後は従来の「リベラル派」こそが自陣営の教義に従わない変化をリベラル的であると捉えることができず、その実態においては反リベラルの方向へと突き進んでいくことを私は強く懸念している。実際昨今リベラル派知識人達が表立って立憲民主党を批判したり、国会で暴力行為のパフォーマンスに及んだれいわ新選組を評価したりしているのは、まさに彼らが反社会・反リベラルの方向へと突き進んでいる証左であるように思えてならないのである。私は彼らリベラル派知識人の残したものに学びつつも、彼らの現在の主張には必ずしも賛同しないのはまさにここにあるのである。

 余談だが、私が「空想委員会日本本部」というたった1人の組織を作ったのは、小集団の集合体たる日本社会の構造を理解した上で、私の自由を最大に守るためなのかもしれない。この組織はこの日本社会の中にある一つの共同体、一つのムラとなるべく組織されたものである前々から意識していたことであり、私はこのムラにこそ所属しているのだ。

 

(委・委員長)

空3年の終わりに

・「空想歴」について

 このブログは謎ブログである、とTwitterで何度か言った記憶があるが、このブログが謎ブログである所以は「私の脳内をほぼそのまま公開すること」がこのブログの使命であると言えるからである。このブログの主要な要素である「空想委員会日本本部」なる組織はまさに私の脳内それ自体であるということができ、実際この組織が「何」であるのかは私にもよくわからないところが多々あるのも事実であるが、とはいえそもそも「己を知る」ということこそがソクラテス以来の哲学の根本命題であることを考えるまでもなく、自らの脳内を理路整然と語りつくすことのできる人間など実際ほとんどいないだろう(※1)し、むしろ私は組織図という形で私の脳内の一端を書き表すことができる分だけかなりマシだとも言えるだろう、とも思っている。

 

※1 主観的には語りつくせるつもりでも、実際には語れないことが多々あることだろう

 

 そんなわけで、このブログに謎の記述が存在したとしてもそれは仕方のないことである。そしてその謎は少しずつ語っていくことにしたい。そこでこの記事ではまず空想委員会が使用する紀年法「空想歴」について記述することにしたい。

 

 カテゴリー「組織運営」には現在「空想委員会組織図」と称する記事が入っているが、そのタイトルには一般の方々から見たら何やら見慣れない日付が記載されている。この日付こそが「空想歴」である。空想歴は空想委員会がようやく官僚制組織としての体を整えるに至った西暦2020年6月27日を【空想歴元年(空1年)上6月27日】とし、それから西暦2021年6月26日(空1年下6月26日)までを1年とする。この紀年法に従うと、この記事を書いている西暦2023年6月24日は「空想歴3年(空3年)下6月24日」となるわけである。

 この紀年法は公式には【いかに世の中が移り変わろうとも、我らは同じ時を刻み続ける】という空想委員会の意志を表すものであるとされているが、もちろんそんなものは後付けの建前であり、実際には私自身の主観的な時の流れを表したものである。おそらくこの記事をここまで読んだ誰しもが予想したことだろうが、6月27日とは私の誕生日である。6月生まれというのはユニークなもので、一般的な年と主観的な年(年齢)とがほぼ半年ズレている。空想歴で私が表現したいのはこの二重性であり、私個人は1月よりもむしろ6月をこそ重視したい、ということでもあるのである。

 

 一般的に1月1日と誕生日の差はどのように認識されているのだろうか。私にはこのズレは、ごく軽微なものではあるが「違和感」と表現したい。私は正月があまり好きではない。あの寒い中店やその他の施設はほとんど閉まってしまい、あらゆる自由が制限された中で「新年」なる漠然とした概念を祝うことを強要される全体主義的な雰囲気が苦手である。私は過去には「年越しの瞬間」というものに異常なまでにこだわったことがあったが、それは結局その「違和感」を無理やり乗り越え、「新年」を我が物にしようとした、ということだろう。どこかで書いたと思うが、私は自分自身をそのような「無理」から極力解放したいと思っている。もちろんこの世で暮らす限り様々な制約は受け入れなければならないが、しかしだからこそ解放できる無理からはどんどん解放していきたい。その一環として私は空想歴を導入し、「1月1日に新年を祝う無理」から私自身を解放したのである。今は私の個人的なメモ書きはすべて空想歴で記述している。このブログはあくまでも公開されているものであるからその本文においてはなるべく西暦で記述しようと思っているが、しかし見出しくらいは空想歴を使用させて頂きたい。

 

・空3年の終わりに

 さて言うまでもなく、また6月27日が差し迫っている。今度の6月27日で空3年が終わり空4年になるわけであるが、この「新年」に際して私が今思うことを取りまとめたい。

 この記事を書いている途中で日付が変わってしまったからもう一昨日のことになるが、西暦2023年6月23日(空3年下6月23日)から世界ではまたいくつかの動きがあった。一般的な大ニュースはロシアで起こったワグネルの反乱であるが、私が最も驚いたのは能勢電鉄妙見山撤退であった。それ以外にもJR東日本のシステムトラブルがあったし、つくばエクスプレスの延伸が土浦方面に一本化されるということもあった(※2)。これらに対して何かを主張したい、という欲求は実はあまり強くない。それより私がやりたいのは「事実の整理」である。誰かの憶測ではなく、確かな事実を私は知りたい。私のインターネットでの在り方を長く見てきた方ほどそれは意外かもしれないが、私が何かを言いたい、意見を聞かせたいと思ってきたことそれ自体が外界の環境によって「作られたもの」であるという面も強くあったのではないか、と昨今思うのである。もちろん私にも主張したいことはあるし、主張したいときに主張できる環境は是が非でも用意されなければならないと思っているが、また私は他者が何かを主張しようとしていることを基本的に好ましく思いその自由を擁護したいとも思うのであるが、それはそれとして私は何かを言うということよりも、事実を吸収したいという欲求の方がむしろ強いようである。このブログが何度か記事を増やそうとしたものの相変わらず低頻度の更新に留まっているのはまさにそれであり、私が真に必要としているのは言論空間としてのブログではなく、むしろ情報の集積庫のようなものだったのだ。

 

※2 ただそもそもつくばエクスプレス延伸は最も効果の高い土浦延伸であってもB/Cが1を切ることがわかっており、定量的には延伸計画自体を取りやめるべきである。なお他都市の事例を見れば、B/C1.21と算出されている大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線の鶴町延伸すら「効果が乏しい」として凍結されている。つくばエクスプレス延伸をやるならば、少なくとも長堀鶴見緑地線鶴町延伸は実現してからでなければならないだろう。

news.railway-pressnet.com

osaka-subway.com

注)B/C(費用対効果分析)が算出するのは「社会的便益」であって採算性ではない

 

 というわけで今後はこのブログも必要に応じてそのようにも活用したいと思う。そのような記事は新たなカテゴリー「MNPクリップボード」に分類し、その中で管理することにしたい。

 

 一方でリアルでの活動については、今こそ京阪神の鉄道・バスの旅に出たいところだ。能勢電鉄妙見山撤退は、京阪神の鉄道ですらもう安泰とは言えないことを認識させられるものである。京阪神の特徴は大都市と山々が隣接していることであり、だからこそケーブルカーやロープウェイが多数整備されており、さらにそのアクセスのための鉄道路線が多々あるのであるが、そのケーブルカーやロープウェイが縮小傾向であることは以前より明らかだった。西暦2022年9月16日には大阪府南河内郡千早赤阪村金剛山ロープウェイの廃止が決まったばかりであるし、その他の各線も運行時間の短縮や運賃値上げが相次いているところである。東海地方では21世紀の初めに名鉄が大きく路線網を縮小させたが、いよいよ近畿にも鉄道網縮小の波が押し寄せたと思わざるを得ない。一方で私の財政状況は相変わらず厳しいものがあるが、しかし昨今はいよいよクレジットカード発行によるポイ活ができるようになったことによりわずかながら改善されつつあるのも事実である。それにより4月には名古屋に帰省し、名鉄各線に乗ってきたところである。また南丹のバス各線については1月までの八木への滞在中にあらかた乗ることができている。次は近江鉄道なども考えたがそちらは過去に乗ったことがあるし、やはり次は京阪神だろう。阪急、阪神、京阪、近鉄京都市営地下鉄大阪市高速電気軌道……私が幼少期から乗り物図鑑で思いをはせてきた各線に、しかしなぜか今日まで未乗車のままで残されてきた各線に、今こそ乗ることにしたい。

 

 私は今まで異常なまでに遠回りを強いられてきたところがあるように思う。その遠回りを終わらせることができるか。それが空4年のテーマとなるだろう。

 

(委・委員長)