今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

空想委員会組織図 空3年下6月24日

中央会議

 委員長

 統合本部

  広報課

  信用課

  厚生課

  図書課

 教務局

  哲学部

  平和学部

  創作表現部

 情報局

  第一部(政治)

   第一課(アジア)

   第二課(ヨーロッパ)

   第三課(自由・人権)

  第二部(経済)

   第一課(経済総合・金融)

   第二課(商業)

   第三課(労働人権)

  第三部(防災)

   第一課(気象)

   第二課(防疫)

   第三課(治安及び化学災害)

 建設局

  総合開発部

   国土史課

   調査課

   計画課

  防災部

   防災調査課

   交通調査課

   復興課

 

統合本部

 広報課

 信用課(空想信組)

  編成監督係

  決済係

  資産係

 厚生課(空想生協)

  庶務係

  補給係

  保健係

  企業局準備室

 図書課(空想図書館)

建設局

 防災部

  復興課

   東北復興係

   関東復興係

   九州復興係

 

【中央会議報】

 危機管理体制強化のため、情報局第三部及び建設局防災部を改組。

 

(委・中央会議)

趣味アカを越えて

 いよいよ、私の人生が再起動しつつある。この「人生の再起動」というテーマにおける具体的な行動は多岐にわたるが、少なくともインターネット上での行動においては、その最後の仕上げは「Twitterの政治アカウントへの復帰」ということになる。ずっとそれが最終目標として私の中で認識されており、それが正常に実現したことを以て「正常化」とすることは私の暗黙の了解事項であったのだ。

 

 そもそも私は西暦2012年にTwitterを始めた当初はどんなことでも平然と言及していたが、その後2014年春に突入した「最初の長期休止」を経て、2015年には「政治的言説への言及取り止め」を発表することとなった。何があったのかと言えば、直接的にはTwitterを通して知り合ったある人物にデモに誘われたことに始まる。別にそれ自体は良いのだが、しかしその人物が「近代国民国家という枠組みは失敗であったからイスラムの社会を最近勉強している」などという、まるでISあたりのジハード戦士のようなことを言い始めたことをはじめ、ちょうど盛り上がっていた安保法制についても別に喫緊のテーマというわけでもない「徴兵制導入反対」を掲げて反対運動を展開するなど、端的に言って暴走としか取れない行動があまりにも目立ち、これはもう付き合いきれないと思いその人物との関係は断ち切ることにしたのである。そしてそれはただその人物との関わりを絶つということに留まらず、当時私は明らかに猛烈な混乱状態にあったため、同時にTwitterのいわゆる政治クラスタとも距離を置こうと思ったのである。

 

 私が言うまでもなく、政治的言説のやっかいなところはデマゴーグが飛び交うことである。判断力の鈍った状態ではそのデマゴーグに飲まれてしまう。いかにしてデマゴーグに飲まれず冷静な判断力を維持するか。それが政治的言説への復帰における課題となる。

kotobank.jp

 その目標に向けて私は2度ほどTwitter上で勇み足をしてみたわけであるが(※1)、その結果よくわかったのはたとえ著名な学者であったとしても、インフルエンサーとは距離を置くべきだということであった。それを認識した私は再びTwitterを再構築すべく一旦休止し、全ツイート消去の上で3度目の再起動を果たすわけだが、それからしばらくは社虫太郎氏ら一部の知識人・専門家をフォローしつつも基本的には相変わらずの趣味アカウントとして運用することになった。それは私の趣味自体が昨今大きく変化し、旧来の交通趣味に商業開発(地理)と決済(金融)を加えた3本柱が中核に据えられる中で、新しい趣味である商業と決済の情報を収集する手段が必要とされ、結果的にその役目をTwitterが担うことになったためである。そしてそれは今ほとんど完成し、Twitterリスト8番のメンバーは109アカウントまで膨れ上がっている。先日は商業・決済趣味者からあきな氏を、交通趣味者からせきのりかず氏をフォローさせて頂いた(※2)が、これで当面は趣味者の新規フォローは打ち止めとするつもりである。

 

 そしてそうなるといよいよ、次は政治の話、ということになるわけだ。

 

※1 以下の2回

 1.2020年3月:多量のフォロワーを有するアカウントにおける「スルーしてもらうこと」への実験的行動

 2.2021年8月:無名の一般人のフォローを基本的に取りやめ、名のある学者等を集中的にフォローすることによる情報流入コントロールとその下での積極的行動の模索

※2 せきのりかず氏は旧アカウント以来2度目のフォローとなる。前回も今回も私からの片フォローであることが共通している

 

 それを考えるにはまず私の党派性を考える必要があるが、これは実に難問である。私は立憲民主党の支持者であるが、この党は野党第一党ではあるがしかし、その立ち位置は極めて微妙である。西暦2017年に結党されたこの党は(※3)、初代党首・枝野幸男からしてバリバリの右翼である【保守政党】であるはずだが、しかし実際には高い支持率を持つ自民党への対抗軸として左派系の知識人・インフルエンサーに過剰なまでに支持され、本来の党派性からは乖離した状態が長く続いている。

↑仰る通りなのだがしかし、2009年の政権交代選挙で旧民主党を支持したようなポピュリズム左派が多く支持層に流れ込み、それ故に本来の中道・反ポピュリズム的政策を打ち出すと「右傾化した」などと言われ猛烈な批判が巻き起こる、という状態が続いていることは否めないだろう。

 

※3 公式には2017年に結党された初代立憲民主党は2020年に解党され、初代国民民主党と合流して2代目立憲民主党が結党されたことになっているが、そんな風に見ている人はほとんどいないだろう。私も2017年に結党された立憲民主党が今なお連続して存続しているものと認識しており、この記事もそれを前提として記述する。

 

 そして党と同じく私もまた大変微妙な立ち位置である。私はそもそも「フランス革命省察」を著したエドマンド・バークのような最も旧来的な意味での保守主義者のつもりなのだが、同時にそのエドマンド・バークらの思想は次世代に受け継がれることなく死滅し、後に共産主義に反対し新自由主義を支持した”保守派”なるものとはほとんど無関係でもあると思っている。近代啓蒙主義が全世界を覆いつくした結果”保守”というものは実質空座になっており、また空座だからこそその時々の進歩主義者や、時にはメインストリームそのものとは違うと認識された人々、あるいはそれを批判した人々が”保守”なるカテゴリーに押し込まれたり自称したりしているに過ぎないのではないかと私は思っている。つまり、私が属すべきカテゴリーは「存在しない」というのが正しい認識というものだろう。

 それはそれで良いのだが、しかしだからこそ世界はすっかり袋小路に陥ってしまったように思われる。昨今世界を覆う閉塞感や終わらない戦争、実にどうでも良いことで時間を空費しあるべき改革がなされないというのも、結局はエドマンド・バークがかつて批判した急進的進歩主義が全世界を覆いつくし、啓蒙すべきフロンティアをなくしてもなお人類のほぼ唯一の思考の枠組みとして横たわり続けており、その脱構築がなされないが故のものなのではないか、と思われてならない。もちろん原因はそれだけではないが、それに起因する問題が極めて多いのではないか、と私には思われるのである。

 

 そして私の望みは、この地獄から脱却することである。

 

 そのために今の日本において必要なのは、第一に左派系知識人に学ぶことだと思っている。それは特に安倍政権以後の日本においては、作家の適菜収氏が指摘する通り「右翼=バカ」という図式がほぼ確立し、同時にまともな知識人はほぼすべからく左翼ということになったからである。少なくとも日本語のTwitterの中ではそうなったと言っても過言ではないだろう。そしてまた同時に必要なのは、その”日本左翼”と呼ぶべきものを批判的に解体し、その遺産を継承しつつ新しい日本左翼(日本リベラル)を創成することだろう。ここで言う「左翼」とはメインストリーム≒自民党的なものと対峙し、交代可能なものという意味である。そもそも私は全く批判や誤解を恐れずに言えば、従来の”日本左翼”とは今はもうほとんど廃れた過激な共産主義者らを除けば結局のところ、確かに目覚ましい発展を遂げつつも結局はまだまだ後進国でしかなかった戦後昭和の日本において、諸外国の情報をかいつまみつつ、情報網の未発達による人々の視野の狭さを原動力にして奇形的に膨れ上がった何かだと思っている。平和主義や自由・人権といった分野では見るものがある一方で、今なお日本共産党が論理的整合性を明らかに失ってでも固執する反公共事業のようなものは結局、高速交通網の発達が平成に入ってからとなり、欧米基準では軽便鉄道としか言いようのない旧国鉄線が基幹交通であり続けていた昭和の時代に、「これでもう日本は十二分に豊かになった」と錯覚した人々の亡霊のようなものだろう。それでは今、ようやく発達しつつある高速道路網・高速鉄道網に支えられた生活を送る今の若者達の支持を集めることができないことは明らかである。情報網の発達によりマクロ的視野に富むZ世代が、ヨーロッパではリベラル派に属して環境問題を訴えつつ日本では自民党支持に流れているのは概ねそういうことだろう。そしてまたそれがさらに過剰な”右傾化”の温床となる悪循環に陥っているものと思われる。この流れは食い止めなければならないが、しかしそれは旧来の”日本左翼”を復活させることではあり得ないのである。

 

 この時代にあって、その新しい日本左翼の糾合軸となるべき既成政党はと言えばやはり立憲民主党だろう。今私がそう思うことができるのは、それは家電量販店の専門家としてフォローさせていただいた昇り龍氏の功績である。

 

ポピュリズム左派とは明らかに一線を画すことがわかる主張・分析の例

 

同氏のツイートにより私はようやく、ポピュリズム左派とは一線を画す草の根の立憲民主党支持者を観測することができた。同時に私の望む左派再編の基軸となるべき人々は、彼ら草の根の左派であることも認識した。私は今後草の根の左派によりリスト7番を拡充し、その情報・言論収集を行うと同時に、私もまたこちらの分野においても今後は可能な限り積極的に発信していきたいと思う。

 

(委・委員長)

「勇気」を持ちたいものだ

 勇気と捨て鉢の違いになるほどと思う私。「勇気」を持ちたいものです。

 

(委・委員長)

再出発

 失った時間は取り戻せないというのは当たり前の話であるが、だからこそこの世で生きることは無理ゲーじゃないか、とも思う。

 

 私が困難なのは20歳の前後約10年という重要な時期を、謎の自分内対立によって空費してしまったことである。結局2020年までの私というのは一見すると常識的に社会活動を行っているように見えても実際には猛烈な対立と混乱の渦中にあったわけで、対外活動などというものは最低限の体裁を取り繕っていたに過ぎない。その状態で勉学に打ち込めるはずもなく、実際今の私の学識は中学生に毛が生えた程度のものであって、高校・大学で本来身に着けるべきだったものは何一つと言って良いほどに身についていない。何一つ、というのも語弊があるがそのように私は認識している。一方でこれで人生が終わったものとみなし、後は余生とするのも20代の今からでは残された人生が長すぎる。結局今からでも、何もかもやり直すしかないのである。私が2020年に至った一種の悟りというのはそういうものであり、これは言い換えれば常識人として生きることを諦め、私はどれだけ常識外れでエキセントリックになろうとも私であり続けるしかないのだということを受け入れたということであり、その選択は実に正しかったと今改めて思っているところである。

 

 「悟り」という言葉が出たが、実際今の私が至った境地というものは仏教の悟りに近いものだろう。私は他者からの承認ではなく自己承認で生きることとし、その象徴として今の私は私の見解がネット上で拡散することを全く求めていない。これは2022年中はまだ欲求を理性で押さえつけているところもあったが、今はもう本当に何も求めていないことは、実際に今私がTwitterで何らいいねもRTもされないツイートを連発していることからも明らかだろう。そしてまただからこそ、その中でも私のアカウントをフォローして下さる相互フォロワー諸氏からの反応を嬉しく思うのである。まさにこれこそが本来のSNSというものであろう。

 

 それは良いが、しかし残念なのは失った時間は取り戻せないことだ。一昨日私は久留里線に関するツイートを発信したが、これを呟きながら思ったのは「三江線留萌本線はこんなツイートも二度とできないのよな……」ということであった。岩泉線、十和田観光鉄道、気仙沼線大船渡線三江線日田彦山線札沼線日高本線留萌本線……これらはみな私が混乱していた最中に廃止になってしまった。混乱状態ではなく、今のこの落ち着いた状態であればこれらの路線に対しても何ができたであろうか……そう考えるとただ残念でならない。

 そしてまたこれはもう一度言及することになるが、今の私の学識は中学生レベルである。少なくとも私はそう思っている。猛烈な回り道の果ての今から、いったい何が取り戻せるか、そもそも取り戻さずに何ができるか。気の遠くなるような話でもあるのだが、とりあえず希望だけは絶やさないようにしているつもりである。

 

Wikipedia知識人であることを認めよう】

 

 実は今やっていることの一つに「Wikipedia知識人であることを認める」というものもある。これは文字通りの意味であり、つまり今の私の知識の大半がWikipediaによるものであることを認めよう、ということである。

↑こういうことはあえて堂々とやっているのである

 これは認めるも何も当たり前のことであるが、Twitter旧アカウントの時代にはこんなこともできなかった。どうしても「恥ずかしい」という気持ちがあり、また自らの知識のなさを私自身認めたくなかったのは否めない。とは言っても事実としてそうなのであるからこれは認めるしかない。最近はようやくこんなことも認めることができるようになってきたと思う。これもまた悟りであり、7日のツイートはまさに私が悟りに至ったことを物語っているのである。

 

(委・委員長)

記事を増やすか

 いつかどこかで言ったような気もするけれど、私はTwitterが性に合っているとも思っていないのだけど、しかし実際問題としてTwitterにあまりにも慣れ過ぎており、他のメディアがどうもうまく使いこなせないところがある。ブログを持つことについてもその必要性はむしろTwitter開設以前より認識しており、実を言うとTwitterを「空想委員」という名で始めたのも長文を載せることができるブログまたはサイトを委員会のウェブ上の本部と位置づけ、Twitterはその中で私の個人的呟きを載せていくところにしたい……という欲求というか野望があったためであり、とどのつまり前々回の記事で書いたようなことは一方で10年以上前には既に私の頭の中にはあったと言えばあったのである。

 

 さて、今この記事を書こうと思ったきっかけは昨日のこのツイートにさかのぼる。

こうは言ったけど、しかしそうは言ってもメイン趣味の交通そっちのけでノジマだのセゾンカードだの銀座の百貨店だのの話をしているのもなんだかなとは実際思う。それは最近相互フォローになった社虫太郎氏がこんなツイートをRTしているのを見ても思う。

函館新幹線なら旧アカウントの時代に私の見解は述べつくしているため今更特にコメントすることもないかと思っていたのだけど、とはいえ函館市長選に大泉潤氏が当選し、実際の政治の世界においてこのプランが動き始めたのは大変大きな動きでありかつ喜ばしいことでもあり、地方創生と鉄道整備を願う立場からニュース記事の共有くらいはしても良かったか、とも思ったのである。

 

↑何度か社虫氏が言及しておられる後志道(E5A)や三遠南信道も、これらが「成否を気にかけている人が少ない」とされるところに交通趣味で生きてきた私との文化の違いを感じるのであり、まただからこそ私が情報を発信する社会的意義というものがあるのだろうか、とも思う。とはいえそもそも私自身はもとより五輪反対派ではないのであるが(※1)。

 

※1 東京オリンピックは元々好ましいものだとは思っていなかったが。あれはそもそも日本最大の都市である東京にさらに人を集めるというものであり、かつオリンピックの成果としてよく挙げられるインフラ整備についても【コンパクト五輪】を旗印とする以上そのような方面でのレガシーも残せないというものだったため。にもかかわらず有象無象がやれ中央新幹線をオリンピックに間に合わせろだのなんだのと言っていたのも、東京オリンピックがそもそもコンパクト五輪を標榜するものであったことからすると的外れ以外の何物でもなくこれまた好ましいものではなかった。あれは開催直前の反対運動も含めて、何ら論点整理が行われることもなく各自が好きな立場から好き放題主張するという今の日本の政治・社会談義の問題点を凝縮したものだったと総括できるだろう。

 

 とは言っても、単純な「記事の共有」というのはしたくない、とも思っている。この世に出回る記事の数はキリがないからだ。函館新幹線の記事を共有するのならばフラノラベンダーエクスプレスの美瑛経由旭川延伸や根室本線釧路~根室の指定席設定、石北本線の高速バスとの連携と言った話題は当然すべてフォローしなければならないし、北海道のみならず四国や九州の話も当然フォローしないといけない。それは鉄道プレスネットのような専門の報道機関がやることだろう。情報発信を仕事にする気もさらさらないし、Twitterについては今後ツイート数を減らすことはあっても増やしたいとは全く思っていない。

 しかしながらそうは言っても、Twitterでのコメントが私の興味関心の内のごく一握りのみに対するものになっており、様々なトピックがノータッチのままに通過していってしまうことに対するフラストレーションは間違いなく私の中にかなり前から存在し続けている。これはどうしたものか、ということであるが、それはやはりブログの出番ではないか、とも思うのである。

 

 なぜならそれはやはり単純に、ブログなら長文が載せられるが故に複数のトピックに単一の記事で言及できるからである。世に散らばる記事を自身のブログで整理することで私の脳内もより整理できるか、という期待もある。そもそも確かブログというものは元々ウェブニュースに対するコメント投稿サービスから始まったものだったはずであり、そうした用途で使うことはブログの本来任務とも言えるだろう。

 

 そもそもこのブログの記事がなかなか増えていかない理由は何か。それは私がTwitterに慣れ過ぎたことにより、長文を書こうとすると肩肘が張ってしまうからである。それだけではないが、そういう側面は間違いなくある。私がブログ記事を考えると、たとえばこんなツイートを思い出してしまうのだ。

自分自身でこんなことを言った以上、長文を書くのならばまず国家のグランドデザインのような話からはじめて次第に具体論に移行していくような、つまりは1つの書籍のような構成にしなければならないような気がどうしてもしてしまうのである。とはいえブログは本来日記である。本来はTwitterとはかなり近い性格のメディアであるはずであり、トピックが連続していないなど当たり前のことのはずである。肩の荷はむしろ積極的に下ろして然るべきだろう。

 

(委・委員長)

猛烈なこだわり

 別に誰に自慢するというわけでもないけれど、昼のツイートでダイソーを「広島(西条/東広島市)」としたのは私の猛烈なこだわりによるもの。広島県という意味で「広島」としても良かったが、【広島市ではない】というところにはこだわりたかった。

www.daiso-sangyo.co.jp

ダイソーこと株式会社大創産業の本社所在地は【広島県東広島市西条吉行東1-4-14】であって広島市内ではないのである。沿革から言っても広島市内で創業した後郊外に移転した……というわけでもないだろう。

 

 このようなこだわりは他のツイートでも見られる。たとえばスギ薬局のツイートにおいて、私の出自を名古屋市民ではなく【愛知県民】とあえて記載しているのも同じこだわりである。なぜならスギ薬局名古屋市内ではなく西尾市内で創業した企業であり、現在本社を置くのも大府市であるからだ。

 

 なぜこんなことをしているのか。それは【ある地方を代表する都市が、その周辺の産物をもわが物としてしまうのが気に食わないから】である。私は何だかんだ言って名古屋も好きだが、その名古屋に対する最大の不満は東海地方一円の食文化を”名古屋めし”と称してしまう僭称体質に他ならない。東海地方の中心都市は確かに名古屋以外に考えられないが、しかし東海地方は東海地方であって名古屋はその一部でしかないはずなのである。

 

nagoya-meshi.jp

↑愛知県及び名古屋市が中心となる「なごやめし普及促進協議会」が公式に認めた名古屋めしはこの22。さすがに伊勢の赤福餅を入れるようなことはしていないが、それにしてもえびせんべい三河湾沿岸のものだし、守口大根は岐阜の名産物がその延長として愛知県内でも生産されていると言った方が正しい。胸を張って「名古屋」と言えるのは台湾ラーメンと台湾まぜそばくらいだろうか。それとて名前は台湾だが。

 

 さらに言えばこういうこだわりは地理的なものに限るわけでもない。ここ数年で私が徹底的にこだわった最大のものは

 

【「新型コロナウイルス」を決して略さない】

 

ことである。新型コロナウイルスことサーズ2についてはパンデミック初期には”新型肺炎”なる呼称が流行り、その後は”コロナ”なる略称が定着してしまったが、そのどちらもふさわしくないことは西暦2020年2月には既に認識していた。

 特に「新型肺炎」という呼称が存在したことについては、その後オミクロン株になって基礎疾患を増幅する全身感染症となってからも肺炎以外の症状が軽視され、やれマスクをつけるだのつけないだのと言ったことばかりが過剰に重視されることになったまさにその遠因であろう。警戒すべきは具体的な症状ではなくウイルスそのものなのであり、そもそも新型ウイルスは未知のものなのであるからその症状についても既知の報告にあるもののみと思い込んではならないのであって、パンデミックの初期においてウイルスの「症状」に警戒対象を絞ってしまうことは愚の愚策であったのだ。逆に言えば私は当初から新型コロナウイルスと呼んでいたことにより、必ずしも呼吸器系感染症とは言えなくなったと言われてもそれ自体は特に驚くこともなかった。このように、特に危機管理においては呼称一つが生死をもわけるのである。

 

 

 こんなことをやっていても誰にも誉められないし、自慢できるようなことでもなくしたいとも思わないが、しかし呼称というものは全く軽視できないものである。社会全体においてももう少し呼称というものには注意を払われても良いのではないかと思えてならない。

 

(委・委員長)

空想委員会日本本部組織図 空3年4月1日

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【中央会議報】

 4月1日付で改編を行った。

1.パンデミックの状況変化により統合本部新型コロナウイルス特別対策本部を廃止。権能は厚生課保健係に移行

2.危機対応能力向上と新空想国土交通計画推進のため、情報局・建設局の部局の権能を変更、明確化

 

(委・中央会議)