いつかどこかで言ったような気もするけれど、私はTwitterが性に合っているとも思っていないのだけど、しかし実際問題としてTwitterにあまりにも慣れ過ぎており、他のメディアがどうもうまく使いこなせないところがある。ブログを持つことについてもその必要性はむしろTwitter開設以前より認識しており、実を言うとTwitterを「空想委員」という名で始めたのも長文を載せることができるブログまたはサイトを委員会のウェブ上の本部と位置づけ、Twitterはその中で私の個人的呟きを載せていくところにしたい……という欲求というか野望があったためであり、とどのつまり前々回の記事で書いたようなことは一方で10年以上前には既に私の頭の中にはあったと言えばあったのである。
さて、今この記事を書こうと思ったきっかけは昨日のこのツイートにさかのぼる。
もっとも私自身最大の関心事たる交通の話はあまりTwitterではしなくなってしまったから、Twitterでの発言量で興味関心の度合いを測られても困るのだけど。
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年5月18日
ちなみに交通の話が少ないのは私がコメントするまでもなく既にコメントが出ていることが多いから。
こうは言ったけど、しかしそうは言ってもメイン趣味の交通そっちのけでノジマだのセゾンカードだの銀座の百貨店だのの話をしているのもなんだかなとは実際思う。それは最近相互フォローになった社虫太郎氏がこんなツイートをRTしているのを見ても思う。
"しかし、この構想は決して素人考えではない。立案者はガチのプロ。鉄道建設公団OBで、北海道新幹線のルート決定にも関わった吉川大三氏だ。私は3年前に吉川氏にこの構想を取材した。函館市のために、北海道のために、JR北海道のために実現すべき構想だと思った。 " https://t.co/J5y9qPy2hl
— Yumiko Yamaguchi (@clione) 2023年5月18日
函館新幹線なら旧アカウントの時代に私の見解は述べつくしているため今更特にコメントすることもないかと思っていたのだけど、とはいえ函館市長選に大泉潤氏が当選し、実際の政治の世界においてこのプランが動き始めたのは大変大きな動きでありかつ喜ばしいことでもあり、地方創生と鉄道整備を願う立場からニュース記事の共有くらいはしても良かったか、とも思ったのである。
札幌五輪開催ということになれば、倶知安余市道路の完成は必ず間に合うようにするだろうが、はてさて五輪反対派のいったい何割がこの道路の成否を気にかけているだろうか?https://t.co/ugGgqzrz9o pic.twitter.com/xzgyILEIwv
— 社虫太郎 (@kabutoyama_taro) 2021年12月23日
↑何度か社虫氏が言及しておられる後志道(E5A)や三遠南信道も、これらが「成否を気にかけている人が少ない」とされるところに交通趣味で生きてきた私との文化の違いを感じるのであり、まただからこそ私が情報を発信する社会的意義というものがあるのだろうか、とも思う。とはいえそもそも私自身はもとより五輪反対派ではないのであるが(※1)。
※1 東京オリンピックは元々好ましいものだとは思っていなかったが。あれはそもそも日本最大の都市である東京にさらに人を集めるというものであり、かつオリンピックの成果としてよく挙げられるインフラ整備についても【コンパクト五輪】を旗印とする以上そのような方面でのレガシーも残せないというものだったため。にもかかわらず有象無象がやれ中央新幹線をオリンピックに間に合わせろだのなんだのと言っていたのも、東京オリンピックがそもそもコンパクト五輪を標榜するものであったことからすると的外れ以外の何物でもなくこれまた好ましいものではなかった。あれは開催直前の反対運動も含めて、何ら論点整理が行われることもなく各自が好きな立場から好き放題主張するという今の日本の政治・社会談義の問題点を凝縮したものだったと総括できるだろう。
とは言っても、単純な「記事の共有」というのはしたくない、とも思っている。この世に出回る記事の数はキリがないからだ。函館新幹線の記事を共有するのならばフラノラベンダーエクスプレスの美瑛経由旭川延伸や根室本線釧路~根室の指定席設定、石北本線の高速バスとの連携と言った話題は当然すべてフォローしなければならないし、北海道のみならず四国や九州の話も当然フォローしないといけない。それは鉄道プレスネットのような専門の報道機関がやることだろう。情報発信を仕事にする気もさらさらないし、Twitterについては今後ツイート数を減らすことはあっても増やしたいとは全く思っていない。
しかしながらそうは言っても、Twitterでのコメントが私の興味関心の内のごく一握りのみに対するものになっており、様々なトピックがノータッチのままに通過していってしまうことに対するフラストレーションは間違いなく私の中にかなり前から存在し続けている。これはどうしたものか、ということであるが、それはやはりブログの出番ではないか、とも思うのである。
なぜならそれはやはり単純に、ブログなら長文が載せられるが故に複数のトピックに単一の記事で言及できるからである。世に散らばる記事を自身のブログで整理することで私の脳内もより整理できるか、という期待もある。そもそも確かブログというものは元々ウェブニュースに対するコメント投稿サービスから始まったものだったはずであり、そうした用途で使うことはブログの本来任務とも言えるだろう。
そもそもこのブログの記事がなかなか増えていかない理由は何か。それは私がTwitterに慣れ過ぎたことにより、長文を書こうとすると肩肘が張ってしまうからである。それだけではないが、そういう側面は間違いなくある。私がブログ記事を考えると、たとえばこんなツイートを思い出してしまうのだ。
RT>それは結局、我々国民の主権者としてのあり方の問題なんだろうな……交通に限らず。グランドデザインは多くの場合議論の対象にならず、極めて些末な事象に対する意見表明や批判ばかりが溢れかえっている。
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2023年4月20日
自分自身でこんなことを言った以上、長文を書くのならばまず国家のグランドデザインのような話からはじめて次第に具体論に移行していくような、つまりは1つの書籍のような構成にしなければならないような気がどうしてもしてしまうのである。とはいえブログは本来日記である。本来はTwitterとはかなり近い性格のメディアであるはずであり、トピックが連続していないなど当たり前のことのはずである。肩の荷はむしろ積極的に下ろして然るべきだろう。
(委・委員長)