「規則を守る」ということが自明視され、「何のためにその規則があるのか」を問う能力が著しく減衰していると感じる。手続的正義は大事ですよ、でも手続的正義も暴走(という形容はイメージに合わないけど)するとクソな帰結に至ります。「規則を疑わず従う方が楽」という学生はとても増えた
— 増田聡 (@smasuda) 2023年5月16日
まあオレは昭和の男なので、そういう「規則に従う方が楽」って平気でゆうてしまう若者たちの中から、そういうのに言葉にならん違和感もつ人を少しでも救い出して「それでええねん」とゆうてやりたいところです。自分から社会に役立つ人材になりたいとかゆうてる奴隷になるなよ。ひとかどの人物になれよ
— 増田聡 (@smasuda) 2023年5月16日
たぶんもっとも足りてないのは「勇気」で、大学とかに入った若い人はあとは勇気養うだけでいいとおもう。恥をかく勇気や教員に逆らう勇気やルールを破る勇気や倫理に従う勇気とか諸々。端的にその場の空気に抗う勇気。ほんまに感動したり絶望したり未知に出会ったり何かを愛したり、が勇気を育む
— 増田聡 (@smasuda) 2023年5月16日
「勇気」と「捨て鉢」を区別できない人は増えた。勇気とはなにがしか「良きもの」を構築する意思と不可分なのだろうとおもうのです。ぶっ壊すことに勇気はさほどいらない。捨て鉢になりさえすればよい。良きものごとの体験がないと人は簡単に捨て鉢になれる。それに開き直ることをルサンチマンという
— 増田聡 (@smasuda) 2023年5月16日
勇気と捨て鉢の違いになるほどと思う私。「勇気」を持ちたいものです。
(委・委員長)