プラレールの小田急3000形とはこれいかに。いやまあ改造のネタとしては常連だと思いますが(苦笑)https://t.co/m3RNq0cv2T
— 空想委員・臼井空 (@AtorsM1) 2022年11月28日
↑今日はTwitterで突然こんな話をはじめてしまったからプラレールサイトの思い出を語ろう
鉄道が好きになってしまった多くの少年(*1)がそうであるように、私もプラレールをやっていたというか今でも持っているのだが、私がプラレールの本来の対象年齢であった西暦2000年代はプラレールが子供だましのおもちゃからリアル志向の準鉄道模型へと飛躍した頃であり、あの頃は極めて魅力的な新商品がどんどん世に送り出されたときだった(*2)。私も毎月の新商品情報が楽しみで仕方なかったが、しかし財力無き子どもの身分ではプラレールなどまともに買うこともできず、またたとえ買い揃えたとしても広げる場所にも限界があり(*3)、私は次第に覚えたてのインターネットでプラレールコレクターの記事を読み漁る方がメインになっていった(*4)。とはいえそのころ既にインターネットはSNSの時代が到来しつつあり、私が見ていた頃はまだすみかわ氏の「プラレール博物館」がかろうじて更新されていたが、その他のサイトはほぼ更新されることもなく、代わり映えしない内容に正直飽きてしまった。そしてちょうどそのころヨッキれん氏の「山さ行がねが」と出会い、その更新の頻繁さに感動して(*5)そちらの方を良く読むようになり、プラレールサイトからは足が遠のいてしまったのである。
↑サイト「プラレール博物館」は今でも残るが、私が見ていた頃から更新が停まったままである。しかしなぜ文字化けしてしまうんだ……。
*1 私の言う「少年」は基本的に法律用語での少年であるため、一般的な言葉で言う「少女」もこれに含まれる
*2 こう書くと今はそうでもないようだが、決してそんなことはなくむしろ今たまにおもちゃ売り場を覗くと「今どきはこんなのも一般販売で製品化されるのか」と私でも驚いてしまうくらいだ。しかし原料費高騰と少子化でプラレールもキャラクターシリーズの早期終了などいよいよ暗雲が立ち込め始めたか……とも正直思うこともある
*3 これは家が狭いと言っているのではなく、プラレールワールドが巨大になりすぎなのである。いっぱいつなごうシリーズとかまともに走らせようと思ったら現代の子育て世代の多くが住むだろうマンションの一室では到底収まらないと思うだけど実際皆さんどうしておられるのだろう……。
*4 そもそもそんなサイトの存在を知ったのは、たまたま親に買ってもらった本「プラレールのすべて2」を読んだからである。私がインターネットを使うようになったのはその本の出版からかなり経ってからの話ではあるが。なお「プラレールのすべて」シリーズは全3巻をこれも今でも保有している。その昔はこれも何度も読んだものだ。
*5 ……最初はそんな理由だったんだよな(苦笑)
そんなわけで私は他人の記事を読んだだけではあるけれど、一応プラレールの歴史についてはそれなりに詳しいつもりではある。また一部にはプラレールの改造という文化が存在することも知識としては知っている。とはいうもののプラレールコレクターのサイトはほとんど更新が止まってしまい、「プラレールのすべて」も出版から年数が経ち、プラレールの改造は今でもブログやSNSに作例を発表されている方々がいらっしゃることは承知していたが、しかしプラレールコミュニティはそんな個々のブログやSNSだけで構成された小宇宙へと分散していき、プラレールの歴史も次第に散逸していくのだろうか……と勝手に思っていたのだが、なんとここにきて再びプラレールの歴史をまとめ始めた方がいらっしゃるのだから人間の知の欲求は侮れないものがあるなと思うのである(笑)それがなゆほ氏の「プラレール資料館」である。
氏の動きについては同人誌「いなかの駅」の発行などを断片的に耳に挟んではいたが、「プラレール資料館」をまともに読むのはつい先日のことになってしまった。いやしかし、もうこれはまさに「あの頃」の熱量が戻ってきたようで、プラレールコレクター達の「その後」の研究成果の発表も相まって私自身興奮しっぱなしであった(笑)何より「おお」と思わざるを得ないのはあの「おもちゃちゃちゃ茶」の茶氏が協力者に名を連ねておられることで、なんというかご健在であられたかと勝手に灌漑に浸っているところである。
↑なゆほ氏曰く1年前ほど前まではまだ「おもちゃのちゃちゃ茶」もアクセスはできたようだ。しかし私自身茶氏の消息をこのような形で知ることになるとは思わなかった(笑)
↑「プラレール資料館」の魅力は何と言ってもプラレール博物館閉館後のプラレールコレクター達の研究成果を垣間見ることができること。すみかわ氏がついにたどり着けなかったプラ電動ハイウェイバスの箱をまさか拝むことができるようになろうとは
↑また面白いのはかつてのプラレールサイトのパロディがそこかしこに現れることだ。執筆者が変わっているあたりE653系国鉄色を使ったリバイバル運転を見るかのようである。
とはいうものの、なゆほ氏も仰るように昔の個人サイトはどんどん消えてなくなっているのが現状だ。この機会に私がかつて見ていたプラレールサイトも一通り確認したが、意外とまだ残っているサイトも多かったものの、しかし関門とんねる氏の「東京電池鉄道」が消えているのは私としても非常に残念でならない。電池鉄道グループは埼玉電池鉄道、三重電池鉄道(*6)が健在であり、また群馬電池鉄道もできているようだったが、しかしグループの総帥たる東京電池鉄道がなくなってしまったのでは「電池鉄道」の名も単なる個人サイト名でしかなくなってしまう。SNSはどんどん情報が消えてしまうしどうしたものかと思うが、しかし一方で今Twitterが混乱していることもあり、SNSを見限ってブログの世界に移行しようとしている私のような動きが今後広まることを期待したい。
一方でこんなサイトを見ていると私もプラレールに復帰したくなる(笑)昔そろえた車両は皆レストアが必要だろうが、今度こそかつてなしえなかった複線化・長編成化をやりたいものだ。私もそろそろ健康に対価が必要な年頃に入りつつあり、また可処分所得の投入先は旅と本がメインにならざるを得ないが、しかし家電量販店で現行品の安売りを買ってくるだけでも良いから、トミカ共々どうにか復帰できないかと思う。
*6 三重電池鉄道は今でも更新が続いている。また今はTwitterもやっておられるようだ。こちらも感慨深い
最後になったが、なゆほ氏と「プラレール資料館」の末永い活躍を私も陰ながら期待しております。
(委・委員長)