今日も回り道

音楽グループの「空想委員会」とは何の関係もありません

ポスト・自由の時代

 唐突に非公開ブログの公開を始めたのはとある記事を公開したかったからなのだけど、その記事が見当たらなかったためあきらめかけたのだが、それらしいのが見つかったため公開することにする。

 

空1年2月7日(西暦2021年2月7日)

・社会再構築時代――ポスト・自由の時代

 21世紀は、社会というものを再構築していく時代になると考えている。

 20世紀は社会を破壊し、自由を獲得する時代だった。とりわけ1960年代以降のポストモダンの時代はそうだ。そこには必然性もあったが、しかし失ったものも大きかった。失ったのは、「秩序」と「コミュニティ」である。だから今後は、これを再構築していくことになると思う。

 

・なぜ、社会は破壊されなければならなかったか

 強制でありすぎたからだ。

 

 これはヤフージオシティーズと共に消えて行ったサイト、「以久科鉄道志学館」で和寒氏が言っておられた「第二次世界大戦の敗因」になぞらえている。氏は第二次世界大戦の日本の敗因を「強制でありすぎたからだ」とする。強制労働は質の高い仕事を産み出さないからである。この話は北海道の、戦時中に突貫工事で建設された炭鉱鉄道の廃線跡のページで出てくるのだが、鉄道の構造物は明治時代から今なお現役のものも多くある一方で、昭和時代、とりわけ戦時中に建設されたものの中にはは見るも無残にボロボロなものもあるのである。特に廃止され、保守点検を受けていない廃線跡を比較するとそれは明らかになる。明治時代のトンネルは特に保守点検を受けていなくても立派に残っているものも多くあるが、戦時中の炭鉱鉄道はコンクリートの剥離がひどいなど、明らかな老朽化が目立つものも少なくない。それはもちろん地質などの影響もあるだろうが、強制労働による突貫工事の影響、というのもやはりあるだろう。それは私自身そう思っていただけに、以久科鉄道志学館を見たときは「やはりそうか」と思ったものである。

 過去の時代は、あまりにも強制でありすぎた。秩序もコミュニティも、「押し付けられたもの」でしかなかったのだ。だからそれを解体し、自由になることに必然性があった。その次に来るべきものは、「自由を確保した新しい社会の構築」だろう。自己決定に基づく秩序、選択可能なコミュニティの創造だ。今の社会はそれに向っているものと考えている。

 

 もちろん懸念もある。第一に考えられるのは自由の制限が過剰になることだ。秩序もコミュニティも、多かれ少なかれ自由を制約するものである。それが過剰になると、20世紀を繰り返すことになる。第二に考えられるのは絶対自由主義者によるバックラッシュだ。自由に対するいかなる制約も許さないと考える者達の台頭である。ドナルド・トランプをはじめとするポピュリスト政治家の台頭は、この動きの現れであると考えられる。

 

 空想委員会は、自由の過剰な制限には反対しつつ、絶対自由主義にも反対していくものである。

 

2月7日

・社会再構築時代(2)

 「選択可能なコミュニティの創造」と書いたけれど、それを担保するのは流動性のある社会だ。現代社会のウィークポイントは、先進国における中間層の没落・格差の拡大によって社会の流動性が失われつつあることである。

 

 これは経済学の敗北と言えるだろう。経済学は格差の存在こそが経済発展に結びつくのだと標榜してきたが、私は経済発展の原動力は格差それ自体ではなく、努力によって格差を覆せるという「ドリーム」にこそあるのだと考える。そして格差の拡大・社会階層の固定化でそのドリームが失われたとき、すなわち経済的弱者が夢を見ることができなくなったとき、自由主義社会は人々の希望ではなくなり、経済発展は頭打ちとなるのだ。どんな時代も、弱者に夢を見せた国家・集団が勝者となるのである。